中座を横から見たscene

中座を横から見たscene
中座を横から見たscene
井戸川射子
思潮社
2026年3月18日
4件の記録
  • 匙
    @sajisann
    2026年6月15日
  • い。
    い。
    @hon_i_read
    2026年6月2日
    散文詩だった第一詩集や幻想的だった第二詩集とはかなり違っていて、自分の身の回りを形づくる過去や出来事を平易な言葉で集めているような詩集だった アプローチは詩集ごとに変容しているけれど、水彩画のような淡さが通底しているように思った
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年5月25日
    井戸川さんの小説にもある悟りみたいな一節が全面化したような詩ばかりで正直どう読んだらいいのか悩む部分も多かったけど、ときおり小ボケが挟まってきて笑ってしまう部分もある。第一詩集、第二詩集と比べても大きな変化があるし、同時代の詩と比べてもあんまり読んだことがない感じでとても面白かった。 「実感は出来事に先んじない/たてがみはベールの裾のあしらいで 洗い終えた足は また泥はねで汚れるが/馬が変わらない限りは 泥はねなんかは起こるでしょうと/光を呼びこむための窓に温度が生み出した水滴/馬が馬飼の水まで飲んでしまい その水で目が潤い/飲まれるという被害に見舞われた馬飼に 馬はお返しの水をと/水は澄み水中が空中のようで/何事においても、最初に私が変化するものなんだね/自分に人のがのっかる、と馬飼/壁から時間を読み取れるようになるには それなりの時が/曇りの日でも時間が自ずと分かる方法があれば良いのだが/時間とは陽と息がどうなっていくかだけ/子どもの成長で時間が分かれば良いのに」(「古来門下、肘を振るって過ぐ」)47-8 「蟹は洪水を切るという/私より生きたこの蟹に・自由に水を切る術があると仮定しよう/蟹は水を切ることにためらいがある/瓢箪の中身を知らぬまま切るようではないか/自分のように透明だったものが透明を切って自分が切っているのは果たして水だけだろうかと/空と空を切るのか/十本の内の二本をずっと構えていて/洪水には私の骨も含まれる・墓でない場所はないため/私ももう透明の領域に踏み入っている/これなら上はもっとだろう/十本の内の二本を蟹は振り上げるだろう・大魚に呑まれた後でも/大魚の中は洪水である・大魚は瓢箪である」(「これなら上はもっとだろう」)66-7 「初めにあったものは遅れではないか/原初の生物も何かに遅れて出てきたのでないか/少女のこの場合 対象は問題ではない/追い回す自分をこそ 少女は追い回すべきである/彼の貧弱な精神的間奏 あたしの沈黙はこんなに豊かであるのにと少女は思う 出会いはいつも遅れたふうになる/誰かが先にいて 誰かが訪問者であるというだけ/経験があたしを敏感にさせる 二回目の前では初めては透ける 影さえ透けるんだから/あたしはあたしの夢であるのだから 会うなり彼は 飲み終えた牛乳パックを開いてまな板にするのは迂回で/今それが手に貼りついていて道に振り落としたんだけど/まだ迂回路だねと/二人の間を曖昧さが駆け巡っている/星のように消えたりする あたしは彼にとって観客で/あたしから返されることで彼は やっと自分のやったことが分かるんでしょう/観客は 何でこんなの見たんだろという反省だけで/その日のデートのお金は 二人の買い食いの分は彼の分さえ少女に支払われず/何となくデートは台無しとなった/でも後から払う気が彼にないと 今なぜいえる」(「第一側面」)82-4 「祖母の老衰はうたたねの中座という感じだった/どこからが明日でしょうかというような/流れるように枯れる月日の中で 逆流を期待した/昼間が始まり頰赤く染まりの中で/祖母にもたらされたものは何だったか/だからうたた寝の中座だったんだって/私たちには 途中というものばかりあるんだって/では登りつめるとは何か 降り行くの中途か/祖母に趣味はなかった/余暇というのは余剰だからと 余剰はなかった/骨になる予言のように骨秀でてきた」(「暮れていく日」)97-8
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年5月7日
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