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@hon_i_read
読書の記録です 詩集、人文が多め でも何でも読みます
  • 2026年7月9日
    青きドナウの乱痴気(24)
    1848年当時のウィーンを舞台に、3月から10月にかけてのウィーン革命を背景として、庶民の生活史・風俗史を描いていく歴史学の本 都市のエスノグラフィーを歴史資料から再構成したような作品と言えるかもしれない 専門的な言葉で書かれているわけではなく、当時の人々の服装や街の雰囲気が丁寧に描写されているため、その時代の生活をとても具体的に想像することができます 一方で、ウィーン革命そのものを分析する本ではなく、政治的・社会的な構造を論じるタイプの本はないため、1848年のウィーンの空気感や当時の人々の日常を知りたい人には、とても良い本だと思いました
  • 2026年7月7日
    グラフィティ
    久しぶりの再読 岡本啓は感情の動きをあまり書かない ほとんど出来事や行為が書かれてる それは、出来事と出来事、或いは行為と行為の間にあるプロセスが割愛されていて、その一瞬のズレがとても気持ちよく、意味や時間の跳躍の合間に、すっと感情が見えてまた消えていくような気がする 今回は「渚にて」という詩がとても印象に残った 浜辺にいる風景から想起される過去や時間の流れが綺麗だった
  • 2026年7月6日
    響きと怒り 下
    響きと怒り 下
    第3章 語り手 ジェイソン 今までの2章とは変わり、内省的な出来事ではなく、金銭に関わるような物理的な出来事を中心に、ジェイソンがいかに他者を扱うか、その扱い方・考え方が描かれている 出来事の分かりやすさはあるけれど、詩的な雰囲気や繊細な感覚は見えず、内部にいながらも少し外部からコンプソン家を見ているという印象だった 第4章 三人称 三人称で書かれているけれど、中心人物は長年コンプソン家に仕える家政婦のディルシーであり、一家を見つめながら、自分の日常を生きるディルシーが描かれる 内部崩壊へ向かっている一家の外側にはディルシーの物語があり、そして語られなかった人々にも個別の物語があり、それでも世界は一見平穏に見える 世界とはそのような多層的なものなのだと思う 全体を通して、意識の流れを中心とした小説で、ときに(クエンティン章)では極端に詩的になり、とても美しい瞬間をたくさん読んだ気がした 言われているほどの難解さは感じなかったけれど、一つの物事が多面的に語られる面白さが際立っていて、傑作と呼ばれている小説をじっくり読んでみて、改めて傑作と言われるのにはそれ相応の理由があると感じた 一度は読まれるべき作品だと改めて思いました
  • 2026年7月2日
    響きと怒り 上
    響きと怒り 上
    第1章 語り手 ベンジー 知的障害のあるベンジーの視点から、匂いや言葉によって、彼が経験したことの断片が次々に思い出されていく 実際には彼は言語化しているというよりは印象を思い出しているだけなのかもしれないけれど、フォークナーによって言葉になる以前の感覚が言語化されている その断片を見る無垢な視線がとても良かった 第二章 語り手 クエンティン 悩みを抱えながらボストンの街を移動しているクエンティンは、途中で子供たちと川で遊んだりちょっとした事件に巻き込まれたりしながら過去を回想している 彼の回想には虚実が入り混じっていると思われる節があり、一体何が本当にあったことで何が彼の願望や妄想であるのか、ある程度までしか推測できない それでも彼にとっての価値を守るために彼は悩み、そして散歩をしているのがとても美しかった 上巻はこの第二章までだけれども、とても印象的だったのは、何でもない風景が続くなかに、その平穏さのなかに、自分の一大事を抱えた人たちがいて、知らない人たちの営みがある、ということや、何も無いようにみえる風景の中に個人の物語があること、そういうものが世界だと言われているようで、少しだけ世界の見え方が変わったような気がした 思っていたよりも読みやすく、句読点の消失や時間の飛躍、説明のない場面転換等は、まあそういうもんか、と思いつつ読めばあとから分かってくることが多かったです あと、訳注をその都度確認するとロストすることがあまりなく読めると思いました
  • 2026年6月26日
    荒野のおおかみ
    荒野のおおかみ
    孤独な知識人自称「荒野のおおかみ」である主人公ハラーが、ヘルミーネという女性に導かれて俗世の楽しさと馴染めなさを知り、やがて悪夢のような魔術劇場へといざなわれていく この小説は、知識人や教養人の苦悩や、世俗とのギャップが描かれ、どう対処すべきか、或いはどう折り合いをつけるべきか、という話としてももちろん読めるのだけれど、そんなことよりも圧倒的に出来事が面白く、その力強さに圧倒された 小説が内省的な思弁小説から世俗的な物語に変わり、更には幻想文学のように変貌していくし、後半に現れるパーティーシーンの熱量は本当に素晴らしかった なぜ今まで読んでいなかったのか悔しいくらいいい小説でした 何度も読み返すと思います
  • 2026年6月22日
    骰子一擲
    骰子一擲
    マラルメ最後の詩を、マラルメ自身が死の直前まで校正していた配置を日本語で再現していた詩 訳文も美しくて、何度も再読している 真理を追求しながらそれでも偶然性に侵食されてしまう宿命に抗いながら受け入れているような詩で、これが最後の詩になってしまったことは偶然であるけれど、運命的なものを感じてしまう 後書きで、マラルメの死に至る様子が説明されていて、その最晩年の寂しさを感じながら、とても美しい人生なのだとも思った たった一編の詩だし、僕が明確に内容を理解しているとも思えないけれど、ことあるごとに再読したくなるとても美しい詩
  • 2026年6月22日
    神話作用
    神話作用
    前半はエッセイ風の短文が羅列されていて、これは後半を読めば分かるのだけれど、神話作用の実例として書かれている この部分だけ読むと、レスリングやら映画やら、そういったものの表層にある出来事を読み替えて真の意味を語っているようにみえるけれど、後半の「今日における神話」を読むと、我々は出来事を第二次的に意味づけをして、それを自然な現実であるかのように見てしまい、その二重構造の意味作用が「神話」である、ということが分かってくる そしてその神話的見方は幻想なので、できるだけ見えるままに物事を見た方がいいと言いつつも、それでも神話的見方をしてはいけないものでもないと言う つまり神話という意味作用を理解せよ、ということなのだと思う 僕たちは様々な出来事を分析し真の意味を探してしまうことがある それは、良い作用と悪い作用、両方あるので意味作用の多重性を意識して物事を捉えなければいけないのかもしれない、という気がしました
  • 2026年6月20日
    小笠原鳥類 詩集 『小笠原鳥類のCDは魚だ』
    小笠原鳥類による、詩と音楽エッセイ集で、思い出のCDの解説は、解説なのに脱線して文法が壊れてギリギリで解説の枠を保っているけれど、詩なのかもしれない とても私的な価値を音楽に、CDに、持っていることが嬉しさと共に伝わってくる気がする 詩は、どれもいつものように水中の生物、動物、音楽、映画、宇宙等が絡みあいながら、とても楽しく迫ってくる 小笠原鳥類の詩はいつも明るい この本はその中でもとても分かりやすい詩だと思った 素晴らしい詩集だった
  • 2026年6月20日
    シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン 歴史・陰謀・労働・疎外
    大塚英志の物語消費論は、ビックリマンシールをひとつのモデルケースとして、お菓子のオマケだったにも関わらずシールの裏に短いパラグラフがあり、単体だと意味をなさないものが、何枚もあつめると神話体系ができ、言及されない空白を消費者が埋めることによって消費者=物語作者になっていく つまり本質的に売られているものは物語ということになる それが2021年現在にアップデートされたとき、インターネットという世界の中でどのように物語は消費されているのか、そして、物語消費論発表当時には顕在化していなかった労働問題、つまりフリーレイバー問題への言及が主で、この見えない労働の意味を考えることで、人間の主体が情報になりつつある現代の人間の物語の在り方を考え直している
  • 2026年6月18日
    極夜行
    極夜行
    角幡唯介による、素晴らしいノンフィクションで紀行文で探検記 著者が犬のウヤミリックと共に橇で太陽の登らない極夜を4ヶ月旅をする 太陽も無く光も無い中、星、風、地形、自然を頼りに進む人と犬 そこでは星や自然が生死と直結していて実際的な手段として人と確実な繋がりを持っている 途中何度も死にそうになりながら進み、止まり、食料も尽きかけ、相棒のウヤミリックを食べるor not ! 美しく、多分見た者にしか分からない感動的な風景の広がる極夜、自然と人間の関係、人と犬の関係 全てが面白く、凄まじく、とてもいい本だった そして、本で読むだけにしたい体験だと思った反面、経験した人にしか分からない価値があるということをとても羨ましく思った
  • 2026年6月12日
    パウル・ツェラン詩文集
    パウル・ツェラン詩文集
    パウル・ツェランの代表的詩と、ほとんどの文章が収録されている そして翻訳がとても素晴らしい ツェランはホロコーストの記憶を語る詩人としての側面もあるけれど、「死のフーガ」にも他の詩にも、時間や言語の多重性、証言不可能性をそのまま書く強さを感じた 繰り返される言葉、並列する時制、意味の切り詰め、跳躍…めくるめくような言葉の氾濫という気がしてすごく良かった 特に「追奏(ストレッタ)」が印象に残った 「死のフーガ」に呼応するような内容でありながら、詩としての言葉の疾走がより音楽になっているように思えた
  • 2026年6月11日
    流れつづける水の歌
    詩集とラップとしての音楽作品が同時に展開されていて、何篇かの詩によるラップはYouTubeで聴ける 平易な言葉とリズミカルな韻の踏み方で、とても切実に、言葉を発しているように思った
  • 2026年6月10日
    有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論
    有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論
    メイヤスーは、カント以降の相関主義、つまり人間の思考と存在の相関から離れて世界そのものについて語ることはできない、という立場を打破しようとする その出発点は「先祖以前性」の問題で、人類出現以前の宇宙や地球について語る科学的言明を、相関主義は「現在の私たちにとってそう記述されるもの」として捉えるが、メイヤスーはそれでは不十分だとと言い、数学的言明によって記述される一次性質については、人間の認識から独立した実在について語りうると主張する さらに、この世界がなぜこの世界であるのかという「事実性」の問題を、世界の法則や存在のあり方に究極的な根拠や必然性を与えることができないならば、それらは別様でありえたはずである、と考え、法則や存在のあり方には必然性がなく、むしろ偶然性こそが絶対的であるという結論へ向かう つまりメイヤスーは、数学の絶対性を担保として認識の外部を確保し、その上で絶対的偶然性を導くことによって、相関主義の打破を試みている しかし、数学的論証から絶対的偶然性へ移行する部分に少し飛躍があるようにも思われ、また、偶然性の絶対性を担保しようとするとき、最終的に保証されているのは偶然性そのものではなく、むしろ合理性や論理性の方なのでは?という疑問も少し残った とはいえ『有限性の後で』は相関主義に正面から挑んだカウンターパンチであると思う また、相関主義の問題点だけでなく、その手強さや強固さそのものも改めて実感した
  • 2026年6月2日
    中座を横から見たscene
    散文詩だった第一詩集や幻想的だった第二詩集とはかなり違っていて、自分の身の回りを形づくる過去や出来事を平易な言葉で集めているような詩集だった アプローチは詩集ごとに変容しているけれど、水彩画のような淡さが通底しているように思った
  • 2026年6月2日
    10:04(白水Uブックス266)
    10:04(白水Uブックス266)
    起きたことと起きなかったことが、これと言った大きな出来事の起きない日常の断片の中で語られていく 起きなかったこと程真実の強度が増して重要性を帯び、現実と真実の境目は曖昧になっていくセミオートフィクション 物語らしい物語は無く、断片の中で語られる事柄がとても美しいよい小説だった
  • 2026年5月29日
    エチカ(倫理学)下(スピノザ)
    エチカ(倫理学)下(スピノザ)
    下巻は、第4部、5部 第1部 神の再定義、神=自然=世界 第2部 人間は神の様態である、精神と肉体は同一である 第3部 感情の分類、定義 喜び、悲しみ、欲望をコアとして、コナトゥス(生きていくことを維持していく力)がある、ということ 第4部 どのように外部因子によってコナトゥスのベクトル変化が起こるのか、そして、外部因子によって感情が変化をすることは受動的善であり、自己満足による能動的善の方がより善である 自己満足の善を持つ人を自由の人と呼ぶ、ということ 第5部 自由の人の認識の仕方 第3種の認識が重要であり、ダイレクトに物事を理解するということ 自己言及的善は神自身への愛である 実体→様態→感情の構造→受動から能動へ→認識の深化→神への愛、と章が進むにつれて細部へとフォーカスされていき、自己満足的善を最大の善とする、そして、知的愛(神の自己言及的愛)を理想とする、という結論までとてもエキサイティングに読めた しかし抽象度の高い1.2部を完全に読めたかというとまだそんなことはないのでまた読もうと思うし、しっかり最初から読んで繋がりを把握しなければ結論だけを読んでも意味がない、とても論理的なもので、しかも最上の善を持つ生き方を目指せ、という具体的なところまでたどり着くのがとても美しかった そして有名な最後の一文「すべての高貴なものは稀であるとともに困難である。」と、言ってくれると肩の荷がおりた気持ちになった
  • 2026年5月27日
    エチカ(倫理学)上(スピノザ)
    エチカ(倫理学)上(スピノザ)
    第1部で、神=自然=この世界全体、ということが提示され、第2部で人間は神の様態であり、その人間のかつ精神と身体の関係が提示される 第3部で、コナトゥスを原理とした感情の法則が示される まずスピノザが使う言葉の意味を誤解すると終始誤解し続けてしまうので注意深く読む必要があると思った 神の概念が全能性のある神ではなく自然そのもの、ということ、そして第3部等に現れる感情(喜び、悲しみ、欲望等)も日常的に使われる言葉の意味ではなく、現象としてコナトゥス(ありのままの状態を維持していこうとするということ)を考えなければいけない 例えば、喜びはコナトゥスの増大、悲しみは減少、というような極めて現象的なことで、それさえ間違わなければ大枠として全体を捉えることが出来るように思えた そして上巻で提示されたものが、どのように展開していくのか下巻を読んでいこうと思いました 今のところとても面白いです、難しいけれど
  • 2026年5月20日
    夜なのに夜みたい
    以前はそれなりに楽しめた岡野大嗣の歌集が今回はあまり楽しめなかった それは著者の作風が変わったというよりは僕の興味の対象がより硬質なものに移ったからだと思う その本を読むべきとき、というものを大切にしようと思った
  • 2026年5月18日
    彼方の幽霊
    日常生活を切り取りながら、街や出来事の位相を変えるように、変容させていく 流動的な流れと停滞し孤立した感覚に、生きる美しさと寂しさを見ているような気がした そこには、表面に見える出来事の奥から、最もらしい意味を見出そうとするような意図は感じられず、物事がただ表層のまま横滑りし、見え方が変わっていく この詩集から深い価値や意味を見出すというよりも、表層的で、同じレイヤーで見方を変えると言った方が良さそうだった 青春を扱っている詩が多いような気がしたけれど、そこには社会からの断絶や絶望、戦いというような攻撃性はほとんど無く、寂しさはあっても、どこか前に進むような強さがある とてもよい詩集だった 何度も読みたい
  • 2026年5月16日
    動きすぎてはいけない
    千葉雅也によるドゥルーズの解説と再解釈、そして有用性が書かれている ベルクソン的なひとつに接続された世界をもつドゥルーズとヒューム的な物事が切断された世界をもつドゥルーズの相反するふたつのドゥルーズに分け、統合させていく 非意味的に切断されている世界を非意味的に接続していくことが必要であり、しすぎてはいけないし、しなさすぎてもいけない つまり、動きすぎてはいけない、とはその中間をいくという意味で使われている 更に後半では、ライプニッツのモナドのように閉じられた系を真とするドゥルーズの理論が展開されていく ドゥルーズの理論を、閉じられた系としての物事を、過剰な意味接続をせず、しかし非意味的接続をしながら、リゾームを展開し、しかしそのリゾームもまた切断すべきものとして解釈する 物事を考える時に、とても有用で、意味に過度な必然性や接続を求めないことの良さを感じた
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