質屋の女房
4件の記録
DN/HP@DN_HP2025年9月9日かつて読んだこの短編集に収録された短編たちはフレッシュだった。小島信夫がこの文庫の解説で「ガラスの靴」について書いている「新鮮」さとは少し違う意味で。 それぞれの短編で描かれる、戦争、徴兵までの、童貞喪失、“男”になるまでの、決めかねる将来までの、あるいは占領下、“戦後”という時代にあったモラトリアム。そこには熟れる寸前に残った青さのようなギリギリのフレッシュさがあった。 モラトリアムは猶予された期間ではあるけれど、そこには気楽さや安心感、希望よりも「漠然とした不安の未来」「前途には悲惨なものが待っている」という思いが渦巻き不安や焦燥感が募る。それでも、周りが動いたり決めたりし始めるなか、なにも決められないまま動き出せないまま『相も変わらず』過ごすうちに時間や時代や他人が前途や未来、将来を”決めて“しまったとき、猶予期間が終わったと「そうわかった瞬間」「ふと安堵に似た溜息がもれ」る。ああ、モラトリアムとはそういうものだった。と感傷的に昔を思い出し、わたしも素晴らしい小説を読んだことに感傷が加わった溜息をもらす。 しかし”大人“に父になったことで、時代が変わったことで、そして母親の死(を実感する様を描いた「海辺の景色」は本当に傑作)によって終わったはずのモラトリアムは最後の「家族団欒図」「軍歌」という二篇で父親の姿をして帰ってくるのだった。ああ、そうか。モラトリアムという期間は、若者だけのものではなかったのか。先の予定や期限が切られた決断、作らなくてはいけない金や時間、生きている限りある、将来や未来。幾つもの猶予と不安と焦りが人生には常にある。わたしにはある。今もある。それらを抱えながらも、決めたり決められなかったり、動いたり動かなかったり、右往左往や思い悩みながら、(わたしの人生では)多くは時間に押しつけられるように訪れるモラトリアムとその終わりがこの短編集のように繰り返される。そして何度も安堵に似た溜息を漏らす。そうやって人生は続いていくのか、ともう一度溜息が漏れたのだった。 安岡章太郎の書く小説はその時代的には「遠い」のだけれど、そこで主人公が起こす、あるいは起こせない行動、感慨や思い悩みは普遍的というか、わたしに「近い」と思ってしまえるのだった。そして安岡章太郎も小説がめちゃくちゃうまい。毎回、うまい素晴らしい小説を読む喜びと一緒に、自分を省みたり気がついたり、人生を思ったりしてしまう。ちょっと落ち込んだりもするけれど、やはり素晴らしい読書体験なのだった。



DN/HP@DN_HP2025年3月6日かつて読んだ安岡章太郎は小説ではなくアメリカ滞在記の『アメリカ感情旅行』から読み始めたのだけど、少しづつ読んでいる私小説に近いような小説はどれも素晴らしい、と思っているところ。


