エミリーに薔薇を

27件の記録
阿久津隆@akttkc2026年9月1日まだ読んでる今日も「過去」を読むことにして、最初に読んだときは情景をまるで想像できていなかったところがいくつもあって、バックおじさんが逃げていたトミース・タールと鉢合わせたところとかもそうだった。 p.234 トミース・タールはいささかもためらわず、バックおじさんを突き倒したが、とまりもせずに倒れかけたおじさんをつかまえ、おじさんを小脇にかかえたままなおも走りつづけ、十フィートばかりかかえて走りながら、「気をつけるだ、バックのじいさん。気をつけるだ、バックのじいさん」といい、おじさんを投げだすと、そのまま走りつづけた。 滑稽でいい場面。
阿久津隆@akttkc2026年8月31日読み終わった「過去」はよくわからないまま終わって次は「デルタの秋」でこれもアイクおじさんの話というかこれがアイクおじさんの話で、秋に狩猟旅行に行く話でかつては馬車で行っていたところが車で行くようになって狩猟できる場所は減っていってだんだん奥へ奥へと変わっていった、そこにこの秋も行ってアイクおじさんはもう80歳とかだった。読んで、急ブレーキを踏んで「今年で最後だ、なぜならヒトラーがこの国を乗っ取ってそして狩猟を禁じるだろうから」と語る、不穏な空気を醸すエドモンズに「じゃあおじさんはほとんど八十年近くも生きてきて、自分がいっしょに生きてきたほかの人間どもについて、やっとそれだけのことしかわからなかったんだね。ひとつおじさんに聞きたいんだけど、まるで死んでいるように暮らしてきたその八十年近くのあいだ、おじさんはどこにいたんだね?」と言われたり、若者たちが夜明け前から狩猟に行ってアイクおじさんはテントに残ってそこにやってきた若い女に「あんたはあんまり長生きしすぎて、すっかりもうろくしたもんで、昔愛について知っていたり、感じたり、聞いたりしたことを、すっかり忘れちゃったようですね?」と言われたりする話だった。アイクおじさんも眠れないらしく、僕もそうなんですよ、と思いながら、全部読んで、すると短編集は終わって、アイクおじさんは「熊」の登場人物でもあるらしく、僕は「熊」はすごく好きな短編だったから、やっぱりまた読みたい気持ちになって、解説のあとは中上健次の講演がふたつあって、中上健次を読みたい気持ちにもなって、アイクおじさん同様に僕もまるで眠気を受け取ることができず、だから解説で読んでそういう話だったのかと思った「過去」をもう一度頭から読み始めて、賭けを決めるところ。 p.231 「五百ドルだな」とヒューバートさんがいった。「よし」 「よし」とバックおじさんがいった。 「よし」とヒューバートさんがいった。 「よし」とバックおじさんがいった。 ここ好き。
阿久津隆@akttkc2026年8月30日読んでるポーカーの場面がかっこよかった。 p.248 「くばれ」とヒューバートさんがいった。だが依然として、ヒューバートさんもバディおじさんも眼をあげなかった。ふたりがそこにじっとすわっているあいだに、トミース・タールの鞍のような色をした手が光のなかにのびてトランプを取りあげ、裏向きの一枚をヒューバートさんにくばり、つぎに裏向きの一枚をバディおじさんにくばってから、今度は表向きにしてヒューバートさんに一枚くばるとキングであり、つぎに表向きにしてバディおじさんに一枚くばると、六だった。 「バック・マッキャスリンの身柄に対して、シビーの持参金を賭けるんだぞ」とヒューバートさんがいった。「くばれ」すると例の手がヒューバートさんに一枚くばると、三であり、つぎにバディおじさんに一枚くばると二だった。ヒューバートさんがバディおじさんを見た。バディおじさんがこぶしで一つテーブルをたたいた。
阿久津隆@akttkc2026年8月28日読んでる今日も逃げ出したトミース・タールをみんなで追いかけていた。みんなでひとりを追い詰めるモチーフというのは、考えてみるとフォークナーではけっこうよく出てくるもので、よくみんなでひとりを追い詰めている。
阿久津隆@akttkc2026年8月27日読んでる昨日から読んでいるやつのタイトルは「過去」というのだそうで、でかいタイトルだ、そう思いながら、読んで、トミース・タールという脱走した召使いを追いかけるみたいな話ということだけわかった。全然頭に入ってこない。
阿久津隆@akttkc2026年8月26日読んでるミス・ジェニーとナーシサの話が終わると次はアイザック・マッキャスリン、つまり「アイクおじさん」で、この名前は覚えがない。しかもアイザック・マッキャスリンの話かと思ったら「この話は彼自身が関係したことでもなければ、実際に眼にしたことでもなく、彼の年上の親類、マッキャスリン・エドモンズの経験したことだ」ということだった。最初のページでそう書いていたが、2ページ先でも p.210 ところで、これからの話は彼が関係したことでもなければ、実際に見ておぼえていることでさえなく、一八五〇年生まれで、アイザックよりも十六も年上であり、ひとりっ子のアイザックが生まれたとき父は七十近かったので、いとこの子というよりも兄に近く、兄というよりむしろ父に近かった、マッキャスリン・エドモンズの口からきかされた昔の、古い時代の、話なのである。 と念を押してきて、つまりどういうことだ、と思いながら、なんの話を読まされるんだ、と思いながら、ぼんやり何もわからないまま少し読むと眠っていた。
阿久津隆@akttkc2026年8月26日びっくりしたそういえば、「ウォッシュ」はいつ書かれたのだろう、『アブサロム、アブサロム!』からどのくらい後なのだろう、と思ってチャッちゃんに聞いてみると、驚いたことに「ウォッシュ」が先で、けっこう強くびっくりして、完全に後だと思っていた。長編のあの場面を、後年のフォークナーが仔細に描きなおしてみた、というものだと思っていた。ああいうでかい世界観というのは、長編を書きながら構築されていくものなのではないかと思うというか、長編とまったく矛盾しない世界を短編で描き出すというのは、なんだか、とんでもないことなんじゃないのかと思って、仰天した。









阿久津隆@akttkc2026年8月25日読んでるナーシサがあの手紙について話していて、多分、秘密を隠匿するために体を売る、みたいなことをしたらしく、ストーカーから送られてきた手紙というのはそんなに恥ずかしいことなんだな、と私は考えて、あれはしかし、気持ち悪い手紙だった、と『土にまみれた旗』を思い出して、読んで、ミス・ジェニーが元気そうで何より。
阿久津隆@akttkc2026年8月24日読んでる「ウォッシュ」。ウォッシュが家に戻って孫のミリーと「あれはなあに?」「なにがだい、ミリーや?」「あの表のさわぎよ」「なんでもありゃあしねえだよ」とやさしく言う、それから「なにかほしくはねえかい?」と気遣って、水を求めたので、「よし、すぐやるよ」と言って、水を飲ませてやる。その場面が僕は悲しく悲しくて、涙がこぼれそうだった。そのあとにウォッシュがひとりで寂しげに食事をする場面も切なくて切なくて、辛かった。 終わると次は「女王ありき」で、ミス・ジェニーとナーシサが出てきて、この短編集は、フォークナーオールスターみたいだ! と盛り上がった気持ちになる。『土にまみれた旗』の後日譚の模様。
阿久津隆@akttkc2026年8月23日読んでるコンプソン家のやつが終わって次に行くと「ウォッシュ」とあって、「ウォッシュ」と思って、読み始めると「サトペンは」とあって、「サトペン!」と思って、この短編集、なんだかすごい、思い出のアルバムみたいだ、と思いながら、読んで、どうもしかもこれは、『アブサロム、アブサロム!』のウォッシュとサトペンが対峙するあの陰惨な場面を細かく描き直したようなそういう感じっぽく、うわあ、と思いながら読んだ。ここは、辛い気持ちになるんだよなあ、と思いながら読んだ。
阿久津隆@akttkc2026年8月22日読んでるナンシーが家にいて、子どもたちがいて、ナンシーはうわ言のような声を出しているというか声を出す装置になっていて、ひとりになることを恐がって、子どもたちを留め置こうと躍起になっていた。ジェイソンとキャディが生意気な口をずっときいていた。
阿久津隆@akttkc2026年8月21日読んでる暗闇を恐れる召使いのナンシーをコンプソン家の人たちが家まで送り届けることが習慣化しているらしく、コンプソン家の母が「いったいいつまで、こんなことをつづけるつもりなんですか? みんなしてこわがっている黒人を家に送っていくあいだ、あたしがひとりだけでこんな大きな家に残されておかれるなんていうことが?」としきりに言っていて、何度目かに初めて、光がすっかり途絶えた夜道をのそのそと歩いていく人々の姿というかその周囲の闇の深さや、その真っ暗闇に包まれている家の姿が妙にありありと、リアリティを持って浮かんできて、たしかに、それはけっこう、怖そう、と思った。
阿久津隆@akttkc2026年8月20日読んでる『余命一週間の探偵として』で15年前とかに殺された長女の名はエミリーと言った。なので部屋に戻って『エミリーに薔薇を』を取ってきて再開して、読んでいくとぐんぐん時間が流れてこちらのエミリーもやはり死に、別の男の死も暴かれて、みんな死んでばったかだ。次はコンプソン家が舞台らしく、ナンシーというのは、いたような覚えていないような名前だが、ディルシーは覚えている、またジェイソンがいて、キャディがいる、クェンティンが語っている、コンプソン家の父と母がいる。不思議と、ベンジーの名が出てこない。
阿久津隆@akttkc2026年8月16日読んでる「エミリーに薔薇を」もよくわからず読んでいたのでまた頭に戻って、特に難しいことが書かれているわけではないがまた妙に目が滑る感じで、すいすい目を滑らせているうちに眠くなって早々に寝た。そろそろフォークナーから離れる頃合いなのだろう、と思う。
阿久津隆@akttkc2026年8月14日読んでる起きると5時で、なんで目が覚めるのかな、と思いながら開いて「正義」を最初から読んでみると、最初はクェンティンとかの語りで始まって、彼らが週末に遊びにいく農場のサム・ファーマーズという男が、クェンティンっぽい少年に向けて物語る、そういう構造であることがわかって、そんなこともわからないまま、これはいったい誰が語っているのだろう、と思って読んでいたわけだった。村の頭がいて、世継ぎはふたりいたが、頭が死ぬとほぼ同じときに長男も死に、次男はひきこもりで、世継ぎを断り、それで頭の妹の子どもであるドゥームに白羽の矢が立った。このふたりの死がドゥームによって企てられたことなのかどうかはよくわからず、何かをほのめかす言葉はあったが、わからず、ドゥームは座礁した蒸気船を村まで運ばせて、それを自室にするというか、家を改装して、それを繋ぎ合わせるみたいな、そういうことをやるようだ、よく光景が想像できなかったが「赤い葉」で見た光景だ、それに向けて村人たちががんばっているところだった。
阿久津隆@akttkc2026年8月11日読んでる再開した再開。「正義」を読み始めると「キャディとジェイソン」とあって『響きと怒り』の姉弟だ、語り手は誰だ、それにしても、また会えてうれしいよ、クェンティンはどうしてる? そんな気持ちになりながら数ページ。
阿久津隆@akttkc2026年6月23日読んでる開くとインディアンたちは沼にいる側仕えの黒人をとうとう追い込み、「さあこい」と言い、「おまえはりっぱに逃げたんだ。ちっとも恥じることはねえんだ」と言って捕まえ、一行は墓地に向かって進んでいった。黒人は次第に胸を喘がせ始めて、口を大きく開き、胸を上下にはずませ、目玉を回して、渡された食べ物を噛んで、口からこぼれさせた。「こい」と呼ばれ、「待ってくんな」と言ってひょうたんから水を飲み、喘ぎ喘ぎ、水を飲み、それは口から溢れて泥の塗られた胸を伝って流れていって、待つ人たちは、どの場面でも、真剣に、端然と、辛抱強く、執念深く、待っていて、それは供される存在への敬意とかなのだろうか。 「赤い葉」が終わるといったんここまで。また今度。
阿久津隆@akttkc2026年6月22日読んでる続きを読んで、側仕えの黒人が逃亡していた。『アブサロム、アブサロム!』のサトペンの百マイル領地から逃げ出したフランス人建築家のことを思い出したが、こちらは集落の頭が死んで、側仕えの人間は墓でも側仕えをするということで墓に一緒に入らないといけないらしかった。日が暮れて、川岸を這っているとヌママムシに噛まれた。 p.44 蛇はへまな噛みつき方をしたので、彼のうでにまるで剃刀の傷のような長い二つの傷をこしらえ、勝手に勢いこみ怒りたけって半分へばってしまい、自身の不手際と猛毒の怒りによって一瞬完全に身動きできなくなってしまったように見えた。「がんばる(オレー)だ、じいさん」と黒人はいった。そしてその頭にさわり、それがふたたび三たび自分の腕を深く、引っかくように、不手際に、噛みつくのを眺めていた。「これというのも、おらは死にたかねえからだ」と彼はいった。ついでもう一度その言葉を―「これというのも、おらは死にたかねえからだ」―とゆっくり、ぼんやり驚きながら、おだやかな口調でいったが、あたかも、その言葉が口からひとりでに吐かれるまでは彼自身そんなこととは知らなかったようであり、それともまた、それまで自分の欲望の深さと広さを知らなかったかのようだった。 自分の腕を噛むヌママムシを応援する感覚の想像のつかなさがいい。死にたくはないんだなあ、やっぱり、そうなんだなあ、と思いながら読んで、腕はそのあと、腐って、悪臭を放っていった。
阿久津隆@akttkc2026年6月21日読み始めた「赤い葉」。モケチュッベが亡くなってイッセティッベハが新しい頭になるとのこと。モケチュッベという字面に見覚えがあるような気がした(あとで調べたらイッケモチュッベだった)。









阿久津隆@akttkc2026年6月1日買った@ 本屋B&Bフォークナー祭、短編まではいいかな〜と思っていたが短編も読みたくなってきたので買った。『土にまみれた旗』 → 『八月の光』 → これ、という予定。










