「歴史認識」とは何か

5件の記録
- 🌜🫖@gn8tea2025年7月12日読み終わった「こうした問題になると、とかく糾弾調や異論を切って捨てる強い口調の議論が多いなか、大沼先生の話は全く違っていた。自国の負の部分を強調する「自虐」でもなく、逆に負の部分から目をそらして自国の正当性を言い募る「独善」でもなく、あるいは今の状況を作った"犯人"を探して責め立てるのでもない。冷静に事実を見つめ、原因を探り、現象を理解しようと努める。…(中略)…異論をも包み込み、そこから学び取ろうという姿勢は、先生が真摯な学者であることを示していると同時に、日本の戦争責任・戦後責任の問題と実践的に向き合ってきたなかで培われた包容力、バランス、忍耐力のたまものなのだと思った。」 p231 聞き手をつとめて 江川紹子 対話形式で読みやすかったのもあって、一晩で一気に読んだ。日本がこれまでに行なってきた過去の加害行為への反省について、具体的に知ることができた。欧米中心の国際社会に対する批判もとても共感した。日本の、過去の植民地支配・侵略戦争に対する反省と償いの姿勢が世界の先駆けになれたかもしれないことを考えると、昨今の排外主義の高まりは非常に残念だし、これまでの地道な積み重ねを水の泡にしかねない危険な態度だ。信頼関係を築くには絶え間ない努力が必要だが、壊すのは一瞬だ。 わたしは幼少期から頑ななところがあり、理想主義者で、変なところで潔癖だ。じぶん自身その性質に苦しむことがあるし、周囲も傷つけてきたと思う。ここ数日その性質について考えていたこともあり、筆者の研究と実践に基づく語り、偏りがあるとわかったうえでなるべくフェアでありたいという姿勢は考えさせられた。 「社会のあり方にかかわる議論は、社会というものがこうした俗人からできているのであって、聖人の行動を求めるべきではない、という認識を頭の片隅に置いてやったほうがいい。自分自身を含めた、人間の不完全さを意識した姿勢。それが、「歴史認識」といった、とかく意見の違う人を「論破しよう」という衝動が働きがちな問題ではとくに大切だと思います。」 p221 「寛容な社会を維持するためには、不寛容に不寛容であらねばならない」と言われるように、どんな意見でも等しく価値を認めるべきとは思えない。差別をひとつの意見として認めることはできないし、決してトーンポリシングになってはいけない。ただ、いつまでも平行線のままでは社会が良くなっていかないのも事実であり、対話(もっとも苦手とするもの……)するということがちょっとでもできるようになれたらと思った(とはいえ前提となる価値観が違いすぎて絶望的な場合が多くて辛いけれども!)。 この本はさまざまな「歴史認識」の立場に配慮し、感情に寄り添うものになっていると感じた。とくに「いつまで謝らなければならないのか」「なぜ日本ばかり責められるのか」と感じている方におすすめできると思う。 筆者の他の本も読んでみたい。
- 🌜🫖@gn8tea2025年7月11日読み始めた「日本の講和は苛酷なものだったという主張は、国際社会でまったく通用しない議論です。むしろ、米国や中国が日本の戦争責任についてきわめて寛大な態度をとってきたこと──中国政府は、日本の対中侵略は一部の軍国主義者の責任であって、日本国民は中国国民と同じく被害者だ、という言い方をしてきました──が、日本の侵略という厳然たる事実を日本国民の意識から薄れさせて、わたしたち日本国民をいわば「甘やかす」結果をもたらしてしまった。第三者からみればそういう関係にある。そのことを日本国民は意識しなければならないのではないか。きつい言い方かもしれませんが、わたしはそう思います。」 p44 インタビュー形式で易しく丁寧に、国際社会が日本の戦争犯罪をどう裁いたか語られている。文章自体はスラスラと読めるが、そう遠くない過去に日本国がした行為のあまりの酷さに、時折休憩を挟まないと読み進められない。苦しいけれど、この国に生まれてしまった者として向き合わなければならない過去だ。300万人以上の日本国民と、1000万人以上の他の国々の犠牲者を生んだ侵略戦争。二度と繰り返してはいけない。