ある女

4件の記録
- 綾鷹@ayataka2026年2月14日金原ひとみさんのエッセイの中に アニー・エルノーが出てきたので読んでみた。 著者の母親の死と、その母親の女性としての生き方を描いた小説。 貧しい階層に生まれながらも小売商売人になり果敢に生きていく母親、無学ながら何事も学ぶことに熱心だった母親、娘に自分よりいい生活をさせるために犠牲も厭わない母親、強く美しい母親、自分の考えを押し付ける感情的で暴力的な母親... 様々な母親の姿を回顧する中で、愛と憎しみと母親に対する相反する著者の感情がはっきりと感じられる。 自分と家族のことをこんなに剥き出しで語るのは勇気がいるのではないだろうか。(自分なら向き合うことが怖くて逃げてしまうと思う。。) 母娘の愛と苦しみがこんなに感じられる小説は初めてだった。 ・一九三一年、彼らは、イザトーから二十五キロ離れた、人口七千人の労働者の町リルボンヌに、酒類提供及び食料品小売の店を賦払いで買った。カフェ兼食料品店は、ラ・ヴァレ(谷間)地区にあった。十九世紀以来の繊維工場が、掘り籠から墓場まで、人々の時間と生活を支配している地区だった。今でも、戦前のラ・ヴァレと言えば、それだけで何を言いたいのか察しがつく。人口に占めるアルコール中毒患者と未婚の母のパーセンテージの極度の高さ、壁を水滴がしたたり落ちるほどの湿気、そして、消化不良の下痢で二時間ばかりで死んでしまう乳幼児たち。当時、母は二十五歳だった。まさしくその土地で、彼女は彼女になり、私が長い間初めから彼女のものだったように思い込んでいたあの顔と、あの趣味と、あの物腰を身につけたのにちがいない。 ・ある日曜日、父と母は私を連れ、ある森の近くの土手で、家から用意していった軽食を食べた。家族水入らずで、肉声と、生身の体と、途絶えることのない笑いに満たされた親密さの中にいた思い出。帰り道、私たちは空襲に出くわした。私が父の自転車に乗せてもらっているその前方を、母は先に立って坂を下っていく。サドルの上にどっかりとお尻を乗せ、背筋を伸ばしてー。私たちは二人とも、母に恋していたように思える。 ・私は、母の粗景さ、溢れんばかりの愛情、また非難の言葉を、彼女の性格の個人的特徴としてのみ考えるのではなく、それらを彼女の人生の軌跡と社会的境遇の中にも位置づけようと試みている。この書き方ー真実に近づいていく方法のように私が感じているこの書き方は、私が個人的な思い出の孤独と闇から出ようとするのを、より一般的な何らかの意味の発見を促すことで助けてくれる。ところが私は、自分の中の何かが抵抗するのを感じる。できれば、もっぱら情緒的な母のイメージ、温もりとか戻のようなものを、それに意味など与えずに取っておきたい気がする。 ・彼女はますます、まわりにいる人間を区別も識別もしなくなっていった。さまざまな言葉が彼女の耳に届いたが、それらにはもう固有の意味がないも同然だった。それでも彼女は、行き当たりばったりに答えていた。相変わらず、意思伝達をしたがっていた。彼女の言語機能は少しも損なわれていなかった。彼女の口から発せられる文には軽合性があったし、語も正確に発音されていた。 ただ、言葉が物から離れ、本人の想像の世界にのみ従属していたのだ。彼女は、もはや自分のものではなくなってしまった人生を、空想で作り上げていた。パリへ行く、一匹の金魚を買った、夫の墓へ案内された、等々。が、時折、彼女は知っていた。「私の状態は、もう元に戻らないんじゃないかと心配だわ」あるいは、彼女は憶えていた。「わたしはね、できることは何でもして娘を幸せにしようとしたんだよ、でも娘は、そのぶん幸せになったわけじゃなかったわ」 ・この本は伝記ではないし、もちろん小説でもない。おそらく文学と社会学と歴史の間に位置する何かだと思う。被支配階層に生まれ、そこから脱出しようとした母自身が、歴史となる必要があったのだ。彼女の望みにしたがって、言葉と思想を持つ支配階層に移った私が、その階層の中で、自分をそれほど孤独でも不自然でもないと感じるためにー。 私が彼女の声を聞くことは、もはやない。大人の女である私を、子供だった頃の私に結びつけていたのは、彼女と、そして、彼女の話し言葉、彼女の手、仕種、笑い方、歩きぶりなどだった。私は、自分の生まれ故郷にあたる階層との間の最後の絆を失った。

雨の夜@asatoyoru2025年4月23日読み終わった「わたしはね、できることは何でもして娘を幸せにしようとしたんだよ。でも娘は、そのぶん幸せになったわけじゃなかったわ」 アルツハイマーにかかったあとでも覚えていたこのすれ違い。 母親としてこの自覚は重く辛い。 この言葉すらも書き記す容赦のなさが怖かった。



