朗読の楽しみ: 美しい日本語を体で味わうために

7件の記録
- 松本真波@_mm1771772025年5月7日再読中読書日記@ 自宅樋口一葉の良さについて、幸田先生が語る章。 一葉作品や、一葉自身の日記からの引用があるのだが、以前に比べるとスラスラと読め、意味も多少分かるようになってきていた。 やはり古典(明治の作品を古典と言ってよいものか…)に少しずつ触れ、声に出して読んでみるのが大切ですね。 そして、「一葉の作品を朗読してみたい」という気持ちが沸々と湧いてきた。まずは、彼女の文体が美しい事(息づかい)を感じられるよう彼女の作品を何度も反芻しなくては。
- 松本真波@_mm1771772025年5月7日読み終わった読書日記本当にこの本に出会えて良かったと思う。 日本語の美しさ、優れた文章、今なお残り続ける素晴らしい日本文学。これらを人々の心から失なわないためにも、やはり今必要なのは「作品を届ける朗読」であろうと思う。 まだまだ道は長いが、一生懸命に作品と作家に向き合い、聴いてくれる人自らが作品と作家に興味を持って日本文学を楽しんで貰えるような朗読を目指して頑張りたい。
- 松本真波@_mm1771772025年5月2日再読中読書日記@ 自宅今日読んだ章は『源氏物語』について。 やはり日本文学を朗読するのであれば、その言葉の原点である古典を読めるようになりたい。ただ、朗読の第一人者と言われる幸田弘子先生でも読み方には毎度悩まされたそうだから、とても容易な事ではないけれど。 それでも、日本に生まれたからには母国の素晴らしい千年以上も前の物語の魅力を知り、広めるためにも朗読出来るようになりたい。世界でも認められた作品を母国語として読めるんだから!読まなきゃもったいないでしょ!!
- 松本真波@_mm1771772025年4月18日再読中読書日記@ 自宅「朗読は、五十を過ぎてからよくなるといわれます。」 まだ自分は、独りよがりの解釈でもって自分に酔って読んでしまう(登場人物達の感情に寄り添いすぎる)。また同時に、必死に(醜く)も読んでしまう。 「水鳥のように」、心の内では一生懸命に向き合って読むのだけれども、表向きは余裕があるように見せなくては聴き手は聴きづらいのだ。
- 松本真波@_mm1771772025年4月16日再読中読書日記@ 自宅読んでいて改めて思った。自分は「物語」を伝える朗読ではなく、「作品」を伝える朗読がしたいんだと。ただ、その為にはまだまだ自分は技術も経験も少なすぎる事を痛感。
- 松本真波@_mm1771772025年4月7日読み始めた再読中読書日記@ 自宅縁あって、幸田先生のご関係者の方から頂いた大切な本。 私がマイクを使わずに「生の声」で作品を届けたいと思うのは、幸田先生のこうしたお考えからです。正確には、私の師匠(幸田先生を師事)から教わったのですが。 もう何度も読んだ本ですが、久しぶりにまた読み始めました。