クジラが見る夢 (新潮文庫 い 41-6)

2件の記録
よろこびイサンディ@yorocobi_isandy2026年9月6日読み終わった本書の終盤、ジャック・マイヨールがクジラとの遊泳を求める章があり、その中でクジラは人間より随分大きい脳を持っている、という記述があった。 その大きな脳で何を考えているか、といったことも、敬意を評しつつ、書いてあった。 そもそも人間は、その種としての時間の最終盤で言語を持った。 言語を持つまでに体得してきた有象無象の言語化こそ、人類という種がしてきたことであり、この数百年に至っては、メタ的に認知するなどして、こねくり回しているに過ぎない印象すらあり得る。 SF的な夢想でしかないが、例えば、クジラに「言語」という一種の不幸が宿ることがあれば、人間がこれまでに築いてきた哲学的なる思想に大きな影響を与え、或いは根底から覆す可能性すらあるのではないか、と、本書を読みながら考えた。 作家のすべては処女作で極まる、との言葉を、何かの本で読んだことがある。 それを人類やクジラという種に敷衍しただけの思考ではあるけれど、そんな思考を齎してくれる、素晴らしい一冊だった。 名古屋に転勤になる少し前、30代前半に、僕個人の経験として、素潜りに近づいた経験があった。 同じ会社の同じ事業本部に、若かりし頃、素潜りに没頭した日々を重ねた人がいて、僕を誘ってくれた。 「興味があるようなら、電話をくれればいい」 向こうの求めるような真っ当な回答をせぬまま、僕はまだ、深い海の静謐に対し、距離を詰めかねている。
よろこびイサンディ@yorocobi_isandy2026年9月5日読んでるひとかどの映画好きであれば、「ジャック・マイヨール」という名前を聞けば、『グラン・ブルー』なる往年の名作が想起されるのではないか。 かの映画を視聴した者は、たとえ如何なる情報が忘却に伏されようとも、あの深海の濃紺と、そこに表現される静謐は脳裏に焼き付いているのではないか。 本書は『グラン・ブルー』以後、名声をはせてのち、十年と経たぬうちに著者がジャック・マイヨールと過ごした時間について、書かれている。 文字が大きく、1ページあたりの文章が少ない点も相俟って、何か良質な詩を読んでいるような気分になる。 それは著者の名文と、それによって描かれる神秘的な題材の相乗効果であることに読者は気づくことになる。 本書は、先だって読了を迎えた、同じ著者による『ハワイイ紀行』で触れられていて、気になって購入した次第である。 『ハワイイ紀行』で帯びた読了後の熱を、まだ、思い出せる時分にあって、依然、半分にも満たないページを読み進めているに過ぎないが、読み終わるのが惜しい。 ジャック・マイヨールの代名詞である素潜りで、彼が100メートルの深海に到達してから、今年で50年が経つことに読み進める中で気づいた。 1976年、人類から前人未到が、また一つ、損なわれた。 ただ、果てしない宇宙へと人類の意識のベクトルが向くよりも、海やその下に向いているときの方が、何か安心できるのは僕だけの現象なのだろうか。 ずっと本書に滞在していたい気持ちも捨て切れぬが、早晩、読み終えることになるだろう。