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よろこびイサンディ
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@yorocobi_isandy
  • 2026年8月22日
    歴史学の手引き
    歴史学の手引き
    他の章についても学ぶべきことが本当に多い本だったけれど、僕にとっては第6章が最も印象に残った。 一時代を築いた一群の歴史学者が、90年代初頭に歴史学者となった著者の視点から綴られている点、僕にとっては蒙を啓かれる内容だった。 歴史学についての専門的な教育を受けたことのない僕にとって、網野善彦氏や阿部謹也氏、二宮宏之氏といった、歴史学の大家は、ただ点在しているだけだった。 この第6章を読み、その大家が線となり、面となって立ち上がってくる感覚があった。 歴史学者の歴史が有機的に結束していく感覚があった。 網野氏や阿部氏、二宮氏についても、必ずしもその当時の歴史学のメインストリームを進んできておらず、ある種の破調として名を馳せた点は、僕が本書を経験する前に感じていた歴史学の魅力とも相通ずる点があり、嬉しかった。 著者の優しい語り口に先導され、このあとも続くのではないか、という淡い期待を抱いたままに読了と相成った。 個人的には、かの時代の歴史学者の著作を読みたい気持ちが膨らんでいる。 また、それらを読むにつけ、本書と著者を知り、彼女が本書で顕現した視座を持って読み進められる幸福は、僕と同じ読書好きにも味わって欲しいと切に願うところだ。
  • 2026年8月12日
    旅して学ぶ台湾
    旅して学ぶ台湾
    旅行者として訪れる我々に、台湾と台湾人に対する想像力を養うべく用意されたのが本書なのかもしれない。 この本を経験したことにより、台湾での我々のコミュニケーションがより円滑になるなら、著者の望むところなのだろう。 地政学的により微妙なバランス感覚が必要となる台湾という土地にあって、歴史上、翻弄された過去も直視して記載されている。 その翻弄された過去の中には日本が加害側になったこともあり、その事実にも紙幅を割いている点、好感を持てる。 本書にその記載こそなかったが、東日本大震災の災禍にあった日本への台湾の厚い支援を端緒としているように見受けられる日台の良好な関係は、コロナ禍以降、大輪の花を咲かせている。 良好な日台関係を維持し続ける絶妙なバランス感覚を、我々も学び取ることができるかもしれない。 本書はその一歩目を踏み出す際にも有効的に機能するだろう。 格別の読後感こそ、存在しない本書だけれど、台湾史を知る上でおさえるべき歴史的事実を着実に積み重ねて、読了と相成った。 台湾旅行を何度か経験し、かの地をより深く知りたくなった人のための境界に屹立する一冊なのかもしれない。
  • 2026年8月11日
    歴史学の手引き
    歴史学の手引き
    フランス近世史を研究する東京大学名誉教授による、題名にもある通り、歴史学の手引きが本書である。 こう書いてしまうと、読むのに骨が折れる著作かと思われるかもしれない。 ただ、どちらかと言うと「手引き」という方が先行し、際立っているが故にスルスルと読み進めることができる。 歴史学にそれなりの興味を持っている、僕のような一般の読者であれば、名前くらいは知っている西洋の歴史学者についての概略が記載され、彼彼女らに対する著者の意見も記されている。 歴史哲学の周辺をうろついていた僕の、個人的な時宜を捉えた本書は、「こんな本を待っていた」という好意的な感覚を持たせてくれる。 昨年に読了を迎え、個人的にとても印象に残っているフランス文学者・石川美子氏の著作と語り口が似ている気がしている。 彼女らの共通点は「フランス」にあるが、どれほど影響しているか。 このところ、良書に当たることが続いている。 やはり読み進めなくては、読書の女神は微笑まない。 そう、時間を掛けずに読み終えたいが、叶うだろうか。
  • 2026年8月8日
    旅して学ぶ台湾
    旅して学ぶ台湾
    日本経済新聞の書評で取り上げられ、それを呼び水にして購入した次第である。 日本経済新聞という、泣く子も黙る日本一の経済新聞が書評で「岩波ジュニア新書」を取り上げた。 そのことをちょっとした事件と捉え、本書に興味を持った。 本書は昨今の台湾旅行の流行から派生するようにして生まれたのではないか、と推察することができる。 台湾に対する、ちょうどいい背丈の書籍がないことは、大手書店の台湾関連の本棚の前に立てば、自ずと分かる。 その間隙を縫った、マーケティングが先行した、というと悪意の表象した表現に成ってしまうが、そういった本だと思われる。 台湾史について、これ程、噛み砕かれ、嚥下し易くされた書籍は類例がないだろう。 知らないことがあった場合、書籍に当たる人々、且つ台湾に興味がある人々にとって、痒いところに手が届く書籍なのではないか。 このテーマに対する興味が人並みにある自分にとっても、台湾への知識が増強されていく感覚がある。 200ページに満たない本書のことである。 早晩、読み終えたい。
  • 2026年7月25日
    ハワイイ紀行 完全版
    素晴らしい読後感から殆ど間を置かずに、この投稿への文章を記載している。 燦然たる読書体験をもたらした本書を、長らく積んでいたことに後悔を感じ、また、読了まで進んだのが、なぜ今だったのか、ということについての思考を、本書が要求している気がしてならない。 500ページ超の本書を読み進めるにあたり、何度、頭の中で、ここに書く感想を添削したことか。 素晴らしい本書の素晴らしいページについて、諸賢に伝えたい思いが、何度、去来したことか。 著者の地学的な好奇心を端緒として、本書は始まり、章ごとのテーマに対し、都度、歴史を丁寧に追っては行くものの、全体の流れとして、地下深く、大地の歴史から、徐々に人の歴史や彼彼女らの営みに対する話題へと推移する。 最終的には読者を宇宙に誘う辺りは構成を案じた著者の妙技を感じる。 ただ、能書きを垂れると本書の魅力を伝えられない。 このほとばしる感動を伝えるには、言葉という器は冷静でシニカルに過ぎる。 本書が新刊書店で手に入らない地域もあることから推察すれば、絶版の憂き目に差し掛かっているのかもしれない。 30年近く前に刊行された本書が、更に版を重ね続け、読み継がれることを強く願っている。
  • 2026年7月19日
    バラバラな世界で共に生きる
    本書を語る有識者が揃って「バザールとクラブ」への言及をするのは、おそらく社会学用語としての「サードプレイス」という人口に膾炙した概念があって、それで理解の素地が均されていたからなのだろう。 「サードプレイス」で慣れ親しんだ構造を「バザールとクラブ」へと微調整し、置き換えた。 本書にて、「サードプレイス」への言及こそなかったが、推して知ることができるし、だからといって、別にその一連が悪い訳でもない。 昨年末、下村寅太郎がライプニッツについて著した本を読了した際、犯した過ちを忘れている訳ではない。 20世紀後半のアメリカを舞台に活躍したローティの、その著作に当たるより前に、哲学的な流れをなぞる必要を、僕はまだ覚えている。 ただ、こうも魅力的に哲学者を表現されると、一足飛びにローティの著作に当たっている未来も想像に難くない。 そして、撃沈して、僕は哲学史の復習に戻ってくるのだ。 ローティについての本書を手に取ったのは、先んじて読了していた鼎談本の話者の一角としての朱氏の著作だったからであって、哲学への好奇心が引導した結果、という訳ではない、という、あて所に尋ね当たらない、退屈な言い訳をして、筆を置くことにする。
  • 2026年7月17日
    バラバラな世界で共に生きる
    この前の5月に出版されたばかりの新書である。 20代の頃はよく読んでいたが、随分と久しぶりにNHK出版新書を手に取るのではないか。 先だって、読了を迎えたネガティブ・ケイパビリティについての鼎談本における話者のひとりである朱氏が著した本書は、氏の専門であるローティについての入門書である。 文章自体は至極、読みやすい。 著者自身も読みやすいように腐心しているのではないか、と思う。 ただ、漫然と読んでいると、頭に入ってこない瞬間があるのは、おそらくローティの醸した哲学の難解さ故なのかもしれない。 僕はローティの本を読了したことがなく、本書でも丁寧に取り上げられている『偶然性・アイロニー・連帯』という本の、その独特なる書名を知っているばかりである。 正直に言えば、『正義論』を著したロールズと本書のローティを混ざって認識していたくらいだ。 20世紀後半に活躍した哲学者とあって、理解するための下地が隔絶している訳ではない。 200ページを僅かに超えるくらいの本書である。 今月中に読了を迎えられるといい。
  • 2026年7月12日
    ハワイイ紀行 完全版
    随分と前に購入した記憶がある。 よく考えてみると、二十歳過ぎに購入した可能性すらあり得る。 15年以上を読了を迎えぬまま、過ごしたことになる。 読書に対する抵抗感の近接を感じながら、読書好きを周囲に公言していた時分であったから、500ページ超の本書についても、たじろぎながら、ページが繰られることはなかった。 それをなぜ、今、読み進めることになったのか。 ひとつの作品に対する読みたい気持ちは、往々にして、減衰することが多いが、本作に関しては読みたい気持ちは購入当時のままであって、そうであるならば、と思い、読み始めた次第である。 加えて、この5年程で、著者の文明論的なる作品を複数冊、読了し、好印象が持続的にあった。 その感覚は、殆ど片恋のようですらあった。 現地的な発音でのハワイイを、著者が旅し、調べ尽くした紀行文である。 理系出身の著者による確実な筆致、硬質な文体で、地学的に特異なハワイ諸島について、滔々と語られていく。 どの大陸からも隔絶した絶海の諸島としてのハワイ諸島に対する、著者の興味が、まずあって、その興味はより多くの知見を蓄えた人々へと繋がっていく。 冷静沈着な文体が乱れることこそ、ないけれど、本書をかえりみて、俯瞰できた瞬間、著者の興奮を、或いは推察することができる。 夏の盛りには読み終えていたい。
  • 2026年7月5日
    近代日本思想の肖像 (講談社学術文庫 2099)
    あとがきに記されているように、二十代の頃に書かれた文章も本作にはあるらしい。 多くの物書きに類似した傾向ではあるけれど、若かりし日に書かれた文章というのは、どうしてこうも読みにくく、人を寄せ付けぬ感じがするのだろう。 そういった寄せ付けぬ傾向のある作品も収録されているものの、文芸批評的なる文章を集めてきたという本作は、前半部までは楽しく読めた。 言わずと知れた社会学者であり、多くの読者を獲得している大澤氏であるからこそ、畑違いの分野についての文章であっても、15年以上の歳月を越しても絶版とならないのだと思う。 氏の文章は独特で、ともすればスノッブな感じさえ漂う。 氏が師事した見田宗介にも時勢に対する見解を、ただ集めただけの著作があったが、それと似たような読後感だった。 個人的に大澤氏の著作を何冊か読了しているけれど、やはり真骨頂は社会学的なる著作だと思う。 端役のようであり、また、骨の折れる本作より前に読むべき著作はありそうだ。
  • 2026年6月29日
    みみずくは黄昏に飛びたつ
    みみずくは黄昏に飛びたつ
    文庫版のための対談も含めるとすれば、5回の対談が収録された本書は、ともすれば、一貫した物語を胚胎している気さえしてくる。 4回目の対談は村上春樹の自邸で執り行われ、そこでの川上未映子のあまりに容赦のない、ややもすれば、無礼とも取れる程の率直な質問に、村上春樹は少々、たじろぎつつも、誠実に回答しているように僕には見受けられた。 それまでの3回の長いインタビューの積み上げによる達成であり、或いは双方がそれぞれの方法でそれぞれの小説に向き合ってきたインタビュー以前の時間と、その間の試行錯誤の蓄積が香り立つ豊穣となって、ページから立ちのぼっていた。 村上春樹の書き方がスタンダードではないのかもしれないし、スタンダードたり得ないが故に世界的な小説家としての確固たる名声を築いたのかもしれないが、彼の書き方について、彼自身が語った箇所は実に神秘的であった。 村上春樹の新作が刊行予定の夏にあって、本書を読み始めた頃、僕はその報を知らなかった。 ただ、今週末に迫った刊行予定日に、本書を経験した僕は書店に行くだろう。 ティーンエイジャーに読み耽った村上春樹の著したフィクションに再会し、如何なる感想を抱くのか。 今からとても楽しみなイベントである。
  • 2026年6月28日
    増補 ネガティヴ・ケイパビリティで生きる
    文庫版になって追補された終盤の3つの章では、題名にもなっている「ネガティヴ・ケイパビリティ」の文言が頻出されていて、それによって、理解が定着した感はあり得る。 そう込み入った概念ではなく、一文のみで端的に記載されている箇所も多くあった。 言い淀み、立ち止まり、思考すること。 当世風ではないその概念の周辺について、様々な例を示しつつ、語り続けた結果が本書だった。 例えば、ベン図における補集合を多くの具体例で埋めていき、集合としての「ネガティヴ・ケイパビリティ」を顕現していく。 その迂遠とも取れるあらわし方こそ、不器用な「ネガティヴ・ケイパビリティ」を具現化しているのかもしれない、と思った。 個人的には、言い淀み、立ち止まるタイプの人間である。 それ故、「本書を読み、自己肯定感が上がった」としてしまえば、本書の意図にそぐわない程に短絡的な感想となってしまう。 言い淀み、立ち止まってはいるが、そこに深い思考が伴って来ない僕は、もっと読書を進めていこう、との決意を新たにした。 読みさしの際の印象から、かなりの好印象へと転じた。 今月中の読了を迎えられて、安堵している。
  • 2026年6月21日
    増補 ネガティヴ・ケイパビリティで生きる
    時代の趨勢なる風をいっぱいに帆へ受けて、快調に全速力している文芸評論家が何かの動画で紹介していたような朧気なる記憶があった。 書店で本書を見た際、文庫化されたのは、この文芸評論家の仕業であるところまでは推察が及んだ。 鼎談が為された当時、三者は皆、30代だった。 30代前半がふたり、30代後半がひとり。 30代前半だったふたりは、僕と生まれ年が同じだ。 ネガティヴ・ケイパビリティを題名に掲げているが、それについてばかりの具体的な会話、ということではない。 本書を読みさしにして、ふと離れている時間に「あの本は確かにネガティヴ・ケイパビリティについて書かれている」と思い至る、といった具合の俯瞰した気づきを必要とする。 個人的な前提を踏まえれば、併読している村上春樹と川上未映子の対談本に比すれば、何かと深度が浅い印象を受ける。 (そう、僕は今、対談本と鼎談本を併読している!) 以前に読了した対談本のことではあるが、適当に調子を合わせて、権威者にへりくだる嫌いばかりが目立つ作品よりは、幾分か読み応えはある。 至極、読みやすい。 読みやすいのは、必ずしも悪いことではない。 読了は来月になるのではないか。
  • 2026年6月13日
    みみずくは黄昏に飛びたつ
    みみずくは黄昏に飛びたつ
    村上春樹でさえ、読み通せないのが現代人と喧伝する書き手がメディアに、この頃、頻出している。 俄かには信じ難いと現在の高みから物言いこそすれど、思い返せば、中学時代には村上春樹は大人の物語だった。 その翻訳調の文章は、或いは今の僕にも通奏低音の如く連綿としているのではないか。 近頃、遠ざかっていた村上春樹の著作を、彼のラジオ番組を聴く習慣が定着してから、欲していたのかもしれない。 久しぶりに新潮文庫の棚に立ってみれば、購入から読み始めるまでに、さ程の時間は要さなかった。 村上春樹が昭和から平成の時代を象徴するとすれば、平成から令和の時代は川上未映子のものという言い方は大仰ではないだろう。 ある深度まで達した小説家同士の対話は、読み応えがある。 サラリーマンとしての僕が感ずる読み応えは、本業に没頭する時間から産出される訳ではない。 歩み得なかった人生への憧憬から来るのだと思う。 450ページは超えるけれど、時間を掛けずに読み終えたい。 ただ、業務が慌ただしく、平日の読書時間確保は絶望的だ。 来月には読了を迎えられるだろうか。
  • 2026年5月24日
    二十世紀を騒がせた本 増補 (平凡社ライブラリー 290)
    未来がどのように推移するか、によって、歴史の意味合いが変わってくる。 ある種の常套句のようにして、そのような言葉が語られてきた。 ここのところ、若き名うての経済学者の登場以降、マルクス主義的な思想は、少なくとも日本社会においては再興して来ている。 その趨勢も環境問題への関心が高まりを見せる時代の要請でもあるのだろう。 本書に記載のある事柄から帰納的に考察すれば、社会主義が敗退したあとの時代について、幾分か知ることができ、僕がこの本から受けた最高の恩恵は、90年代からゼロ年代までのそういった時代の空気を感じ取ったことだった。 僕もそのような時代を多少なりと知っているが、イデオロギー対立の敗者として、また、敗退するにあたり、独裁者が為した悪事の数々が白日のもとに晒されたことによって、大衆がアレルギー反応を示す時代が、ゼロ年代までは確実に横臥していた。 この本は、その時代の空気を如実に反映した一冊だった。 著者の筆の力がとても濃厚で、読み手を力強く読了まで牽引してくれる。 それ故、読みさしにしている他の本を差し置いて、読了となった次第だ。 末筆に蛇足ではあるけれど、生成AIが文章を渾々と吐き出す現代にあって、かような書き手は、もう生れ出づることはないかもしれない、という一抹の憂慮を感じたりした。
  • 2026年5月17日
    二十世紀を騒がせた本 増補 (平凡社ライブラリー 290)
    先だっての帰京に際し、吉祥寺のよみた屋という古本屋で入手した本だった。 題名にあるような二十世紀に著された本についての話を軸として、第二次世界大戦に加え、イデオロギー対立と言った二十世紀に起きた事柄を浮かび上がらせるような様相を呈した一冊と言える。 この本の初版が著されたのは二十世紀末であり、その百年の総括をするような時代的要請を受けた本なのかもしれない。 旧ソビエト連邦における国家経営の礎となるべき農業の、生物学的思想の悪辣な支柱となった、ルィセンコなる人物の著作と愚策について、禄な反省が社会的に為されていないことを、著者が嘆いている、という一例を見ても、二十世紀の総括が試みられるべき、という時代的要請を感じられはしないか。 著者である紀田氏についての個人的な印象は、本の本について、いくつかの著作があったような朧気なる記憶があるばかりである。 今回、初めて読み進めるにあたり、読者を引き込む、著者の筆の誘引する力に引っ張られ、読み進めるのがとても楽しい。 読み進めるのが楽しいのは、本の本だから、というのも大いに手伝っているだろう。 おそらくは今月中に読了を迎えられるのではないか。
  • 2026年5月10日
    近代日本思想の肖像 (講談社学術文庫 2099)
    近頃もコンスタントに著作を発している、言わずと知れた社会学者である著者が、80年代後半からゼロ年代初頭にかけて、数多の雑誌に書いた文章を集めた一冊だ。 冒頭に記載があるように、社会学的、というより、文芸批評的なる文章を意図的に集めてきているようだ。 著者自身にも自覚があるとは思うけれど、文章が進み、論が展開するにつれ、深海へと潜水するかのように、いつの間にか話が脱線していく。 緩やかに潜り、読者に共有せんとする深海の景色は、その難解さ故によく分からない場合も多い。 「また、話が逸れてしまった」と言わんばかりの次段落冒頭の文言には、或いは潜水夫の息継ぎが感じられる。 この著者を読みたいと思うとき、著者自身ですら制御下に置けない、この「荒ぶる知性」とでも形容したくなる知性の躍動を拝みたいとの欲望を、僕自身の中に感じる。 おそらく書かずにはいられない、誤解を恐れずに言えば、病的な書き手の一人と個人的にカウントしている。 無論、彼のように書いてみたい気持ちは、僕にも内在している。 読了は来月にまたがるかもしれない。
  • 2026年5月4日
    世界文明史の試み(上) - 神話と舞踊 (中公文庫 や 9-6)
    実家の本棚に差さっていた本書は、以前、どこかの新刊書店で自分が上下巻あわせて購入したものだった。 帰省に際し、本書が気になって、読み始めた経緯がある。 まず、本書には注釈がなく、引用が余りに少ない。 加えて、論考を進めるにあたり、紙幅のせいにしたり、結論を急いだりして、結果、「たぶん」や「おそらく」と言った前置きを据えて、詳細な論拠を読者に示すことから逃げ過ぎている。 学術的な価値のある書物や読み物としての書物を区別することなく、ラインナップする中公文庫というレーベルであるから、気づかれないこともあるだろうが、学術系の書物を区別する筑摩書房や講談社の持つ文庫レーベルでは、或いは「ちくま文庫」や「講談社文庫」にラインナップされるべき書物であるだろう。 (良書の多い「ちくま文庫」や「講談社文庫」にラインナップされる作品を冒涜する意味合いは伏在させていない。) 現下、上巻の読みさしの状況であるため、そこまで言及できるか定かではないが、(もしかしたら、途中で改心があるかもしれない。)ある意味、ここまで論拠の不明瞭な文章で、ふわふわと上下巻を書き切る芸当は尊敬に値する。 これも読みさしにしている書物であるから、断定的には言えないけれど、吉川浩満著『理不尽な進化』(ちくま文庫)を読んだ際の感慨と類似している。 本書の著者は鬼籍に入っているから、沽券に配慮する必要もないのかもしれないが、吉川氏の著作同様、スケールの大きい論考で何かを言ったようにするには、かような書き方が必要となるのかもしれない。 ただ、個人的には読了するに値する書物か、というのは念頭に置きながらの読書になると思う。
  • 2026年4月30日
    歴史の哲学: 現代の思想的状況
    400ページからなる浩瀚な本書を、その難しさ故に「分からぬ分からぬ」とぼやきながら、読み進めていたら、最後にはかような景色が待っていた! ニヒリズムについての単著がある著者の理解が深いと思しき、ニーチェの章と、ヤスパースについて書かれた、その最終章が理解できた以外は、殆ど分からなかった。 ただ、ヤスパースの歴史観が描かれた最終章だけでも本書を読んだ甲斐があったと思う。 自由主義と民主主義を礼賛し、社会主義について、辛辣に記載されているのは、冷戦終結の煽りを多少なりと受けた、畢竟、時代性を反映した記述なのだろう。 ヤスパースの著作が未来に向けても記載があるのか、それに則り、本書も最後は歴史だけに留まらず、未来に向けて開けた記述になっていた。 今回も読了を迎えないのではないか、と思ったが、実家への帰省を好機に変えて、読み終えてしまった。 不十分な理解、という致命的過ぎる欠陥はあるものの、本書を読了できたことは、幾分か自信になる。 実家で本棚を眺めていたら、も少し柔らかめの本を読了するのでも差し支えなかろう、との思いを持ったため、次回以降の読了本は軟化していくのではないか。
  • 2026年4月18日
    社会に出る前に知っておきたい 「働くこと」大全
    2月から読み始めて、読了するのに4月まで掛かる読書の内実はどのようなものであるのか。 他の書籍に意識を持っていかれ、途切れ途切れの読書だった。 ただ、現代社会の知識について、現代の書き手が書いているから、途切れ途切れであっても理解が及ばないことはなかった。 この書籍に記載された知識が就労前の学生を主な対象としていることに愕然とする自分がいる。 学び始めるのに遅過ぎるということはないはずだけれど、もうすぐやってくる中年と煩わしいリーディンググラスの可能性を前に、この手の常識はさっさと取り込んでしまおう、という気になった。 この書籍は縦書きであり、読みやすかったが、教科書的なるこの手の類書は横書きが多く、それを言い訳に敬遠していた。 常識を取り込むためには、そういう言い訳はよろしくないのだと思う。 自分に十分な知識がないという幸福は自己が増長しないために必要な考え方だと思う。 いつになっても、無知の知を誇れるようでありたいが、知識の仕入れは早いに越したことはない。 仕事に必要な知識についての読了本が、今後、増えることがあれば、この本が契機であり、また、この本を手に取った契機は上司の言にこそある。
  • 2026年4月15日
    歴史の哲学: 現代の思想的状況
    数年前に神保町の古本屋で購入してから、読みさしのまま、何度も途中やりにしてしまっていた。 もう何度目のトライであろうか。 今回は100ページまで読んだけれど、その道程は理解できぬところばかりであった。 これまでの数多のリタイアの要因は、おそらく隙間時間に刻んで読んでいるから、ということも多分にあり得るから、今回はできるだけ纏まった読書時間を取れる日に読むようにはしている。 渡邊二郎なる哲学者の名前にビビりまくっている事実も大いに手伝っている。 ただし、90ページを越した辺りから、話が分かるようになってくる辺り、難解な書物に見られる傾きと相似形を成していて、安堵を覚える。 理解が進みはじめて、10ページしか経たないから、ここに書くべきことも特にない。 今月中に読了を迎えるなら上出来だ。
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