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よろこびイサンディ
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@yorocobi_isandy
  • 2026年2月25日
    エスの系譜 沈黙の西洋思想史
    心理学用語の「エス」との言葉を聞いて、諸賢に於かれてはフロイトが想起されるだろう。 人の心の原始的な欲望を表す部分を指して、そう呼んだ。 ただ、その術語は、フロイトにとって近しい人が発案した概念の剽窃だった旨の疑いが、この本の冒頭部に記載される。 剽窃の被害者だったグロデックなる人においても、「エス」をニーチェから引用していて、それ故、問題は大きくない、というのが、フロイトの弁明であったようだ。 「エス」と言語化されて、フロイトの手によって、『自我とエス』という形で1923年4月に刊行されるまでの思想的な流れ、或いは系譜を追った本だと言える。 その流れを追う過程で、源流としての哲学者デカルトや、思いがけず、詩人ランボーにまで話は及ぶ。 國分功一郎との共作で『いつもそばに本があった』をコロナ禍前に読了していた記録があるから、その頃から著者について、知ってはいたが、『連合の系譜』なる浩瀚な書を著されたことから、俄然、僕の個人的な興味の対象となった。 興が乗って、熱く書いていることが想像される部分は、読み進めていて、とてもおもしろい。 楽しい読書になる気がしている。 できることなら今月中に読み終えたい。
  • 2026年2月25日
    哲学者たちのワンダーランド [改版]
    副題にもある通り、デカルトからライプニッツまでの哲学者について、その哲学史が一冊にされている。 近代の黎明期と表現される17世紀。 その時代を代表する哲学者の哲学について、著された本である。 昨年末、下村寅太郎著『ライプニッツ』を読んでから、熊野純彦著『西洋哲学史』まで進み、それらの書籍に比べれば、幾分か読みやすい。 著者の来歴に東京大学以上の大学と関わった形跡が認められないことから、彼はアカデミズムの世界におけるメインストリームを歩まなかった人であることが推察される。 あくまで憶測の域を出ないけれど、かような人が名の通った出版社から本を出すためには、読みやすさを追求する必要があったのではないか、と思われる。 言わずもがな、難しいことを簡単に書くことほど、難易度の高い作業はない。 著者の努力の結晶の一つである著作に触れられる経験は、何物にも替え難く、近代黎明期の哲学史への僕の理解を助けてくれるだろう。 現下、第二部のスピノザの項目の終盤に差し掛かる辺りを読んでいる。 できることなら、今月中に読了を迎えたい。
  • 2026年2月14日
    社会に出る前に知っておきたい 「働くこと」大全
    岩波新書から労働法の入門書を出していて、それを読み差しにしているから、という理由が大きいのだが、僕にとって、労働法と言って、純粋想起を獲得しているのは、著者である水町氏だった。 それ故、今回、会社の上司に挑発されて、労働法を勉強するにあたり、手に取ったのも著者が著した本作だった。 岩波新書からの入門書がどのような経緯から読みさしにしているのか、その記憶すら忘却の彼方を彷徨っている顛末にあるのだから、既にその内容や書きぶりを思い出し、本作と比較することは難しい。 ただ、本作に関して、尋常を大きく超越した読みやすさには、20代の自分が盛んに嗜んだビジネス書の妙味を思い出すばかりである。 僕にとって、読書とは10代の頃の試験前に捗る行為のすべてであり、それ以上の意味合いを求めないように、ある意味、頑張って来たと言っていい。 つまり、本来的にやるべきことがあるにも関わらず、目を逸らし、時間をやり過ごすための所業こそ、読書だった。 勉強をしていないと、自分の知識がまるでつまらない代物であることにも気づかない、という上司からの言が身に積まされる状況が生じ、実学の読書にも分け入った次第である。 格好付けて書いているが、とどのつまり、勉強しないままでは後輩にも馬鹿にされる惨憺たる状況が現実のものとなったことも起因し、渋々、手に取っただけの話である。 社会に出る前の学生を対象にした本であり、そもそも、十年選手が手に取る本ではなく、ダサいばかりであるが、今月中には読了したい。
  • 2026年2月1日
    AIエージェント
    本書にはAIエージェントが平和的に社会で運用されるユートピアのみが描かれている。 けれど、悪質な国家元首が跳梁跋扈する今の世界情勢にあって、彼らや彼女らが使用するであろうAIエージェントをハッキングして変数を弄ることができたとしたら、世界は第三次世界大戦への道を転がり落ちていくことになりはしないか。 今のきな臭い世界情勢、悪質な国家元首の挙動などを観ていると、そこに自制的な歯止めが掛かるとは到底思えない。 そういったハッキングを国家ぐるみで遂行するならず者国家も、AIエージェントが実現する未来には、まだ存続しているのではないか。 スマホが登場し、20年近く経った。 この時代の突端にあるAI技術をはじめとした昨今の科学技術が、世界を住みよくしているとは、個人的には到底思えない。 茹でガエルとしての我々を茹でているのも我々であるという、冗談のような事態が眼前にある。 本書は蛙を茹でるための科学技術について、現状報告が記載された料理本なのではないか、と皮肉を連ねてみる。 本書と著者に罪はなく、記載されている対象が人口に膾炙する未来を想像し、ゾッとしてしまった。 自分がどう足掻こうと、時代は進むのであろうが、そんなことを考えた。
  • 2026年1月31日
    AIエージェント
    近頃、ニュース番組や会社内で「AIエージェント」なる語を耳にしたことがあり、詳しい知識を仕入れたいとの思いから読み始めた。 生成AIが流行り出したときも、日経文庫でその関連の知識を仕入れるために読了した記憶がある。 実用的な知識をまず仕入れるとき、大手の新刊書店であれば、どこの書店にも必ずある日経文庫の棚の前に立つことが多い。 自分にも優秀な秘書がいたら、という、誰しも一度は願ったことのある願いが、そう遠くない未来にAIエージェントなる技術が叶えてくれる。 生成AIは受動的であり、こちらから働き掛ける必要性があったが、AIエージェントは働き掛ける必要が殆ど無く、主体的に課題解決へと向かう。 そう遠くない未来、と言って、本書では5年から10年との予想を立てている。 本書に書いてある内容は、まだ夢物語のようで、今日までの生成AIの社会に対するインパクトを、熱をもって敷衍した空想のような気さえする。 僕の感覚では、日本で15年ほど前に起きた3Dテレビの時代が来ると言って、実際には到来しなかった、あの一連との相似形を想起する。 良くも悪くも日本でよく見るタイプの貧弱な敷衍的想像だと思う。 AIエージェントが実現したら使用してみたいが、技術的に難しく、実現までに乗り越えるべき障壁が大きいのではないか、と、素人考えで考えたりする。 今日中に読了できればいい。
  • 2026年1月15日
    西洋哲学史
    西洋哲学史
    西洋哲学史の変遷を把握していくことは、それほど、多くない題材について、時代を代表する哲学者によって書き継がれた詩文を理解することなのだと思った。 たしかに知らないことが多かったけれど、このことを理解できたのは、この読書が有意義であったことの証左になり得る。 これまで語られることのなかった事柄を語り出す、時代を代表する哲学者は幸福な人もあれば、不遇のうちに生涯を閉じる人もいた。 ニーチェは神が死んだことに気づいたが、カントは神の首を切り落とした、その執行人だった。 この著作も無論、素晴らしかったが、他の作家による西洋哲学史も読みたいと思った。 本書を読み終えたことは、おそらく哲学なる学問を読みはじめたことと同義だと思う。 僕に時代を震撼させるような天啓が訪れないことは分かり切っているけれど、その歴史的な連続を把握することくらいはできる。 その妙味を味わう端緒が本書で良かった。
  • 2026年1月7日
    西洋哲学史
    西洋哲学史
    下巻に進めば、聞き馴染みのある哲学者が列挙されている旨、上巻の読了の際に確かに書いた。 ただ、状況は下巻になってもさして変わらず、やはり僕の浅学の度合いをたしなめるかのように聞いたことのない哲学者に一章が割かれていたりする。 カントまで読み進めば、と思いはするものの、そのように簡単に事が運ぶのか、一抹の不安が付きまとう。 聞き馴染みのある哲学者について、全くと言っていいほど、知らなかった事実を突きつけられ、屈辱感なる読後感を味わう結果を想像し青ざめる。 ただ、読みさしのまま、読了を迎えない選択をしないことを諸賢に誓いたいと思う。 思いの外、浅学の度合いが重かっただけで、ある程度の症状が顕現することは想定されていた。 想定されていたのであれば、その度合いが重いことは、むしろ幸福なことかもしれない。 大仰に書いたが、早晩、読了を迎えたい。
  • 2025年12月31日
    西洋哲学史
    西洋哲学史
    後半部の中世哲学について、一聞の経験もない哲学者の名前が当然のように列挙されていて、僕の浅学の重症な度合いを思い知らされた。 或いは、聞いたことのない哲学者の名前に一章が割かれていたりするあたり、あぶら汗をかきながら読み進めて行った。 本の世界というか、学問の世界というか、その奥の深いことをこれだけ歴然と突き付けてくる読書は、知的に挑発されたような気にもなり、これからの読書の励みになる。 来年、下巻へと踏み入れることになるが、こちらの方が聞き馴染みのある哲学者が列挙されることに多少なりと安堵を覚える。 これまでの読書に於いて、学んだことも活かされ、楽しい読書になればいい。 上下巻で構成される本作を上巻までの読了で年末を迎えることは、甚だ残念だ。 読み始めた当初の予定では上下巻を読了し、他の本をもう一冊くらい読了へ追い込む予定だったが、ままならなかった。 書物と紐付いてアーカイブされる投稿に対し、かようなことを書くのは適切ではないかもしれないが、来年はもう少し読了の冊数を増やしたい。
  • 2025年12月28日
    西洋哲学史
    西洋哲学史
    日本の戦後哲学史の巨人である廣松渉氏に師事した熊野純彦氏が、本作の著者である。 著者への至極勝手な尊敬の念から、読むことなく仰ぎ見ていたけれど、西洋哲学史への知識の必要に駆られたのをいいことに読了に向かって読み進めている。 難渋な文章との評の多い師とは対照的であり、読み易いと思う。 或いは幅広い読者層を想定している新書という判型であることも、いくらか影響しているかもしれない。 難解な概念への説明に対しては、必ず言い換えや例示が着いてまわる。 良心的な文章と言っていいと思う。 上巻の半分くらいに差し掛かったけれど、未だアリストテレスの説明をしている。 「西洋哲学史はプラトンに対する膨大な脚注である」とは、20世紀初頭の哲学者であるホワイトヘッドの言だと聞いている。 それを踏まえれば、上下巻で構成される本作の上巻においては必要な分量なのかもしれない。 年の瀬も押し迫った時期での読書であり、今年中には読了を迎えたい。
  • 2025年12月20日
    そろそろ論語
    そろそろ論語
    ビジネス書の書き手として、名を馳せていた著者だったが、その地位に甘んじることを良しとしなかった。 新たな階段の一段目が本書だった。 活字中毒者を自認し、かなりの読書家である著者は本書の主たる題材である『論語』をティーンエイジャーの頃から読んでいた。 人文系の著作を出したいと望み、接点のあった編集者に頼み、企画が通って、本書が刊行された。 四半世紀ほど、繰り返し読み返していた『論語』ではあったが、東洋思想の王座とも言うべき『論語』を題材とすることに著者自身、多少なりとたじろいだ。 そんな経緯があったようだが、この5年くらい著者の著作をフォローしている評者としては、いつもの通り、圧巻の読み応えだったと評したい。 著者は章ごとの枠組みを熟慮し、全体としての構成をしっかりと組み立てて書いている。 終盤から読了までの話の盛り上がり方や読後感は、往時のビジネス書の際のそれを彷彿とさせるものだった。 ビジネス書で培ったノウハウが必ずや活きていた。 著者がそれを名誉と思うか思わぬか、分からないが、中村天風のような書き手になるのではないか、とそんなことを思った。
  • 2025年12月14日
    仮面と神話
    仮面と神話
    「この世界は如何にして成ったか」という古代から続く普遍的な疑問に対する回答が言い伝えをもとに並べてある。 解説にもあるように著者は話し好きだったようで、その人の講義録であるため、単に並べてあるだけでなく、調子よく話している感じが伝わってきてよろしい。 世界各地に伝わる言い伝えから、ある傾向を導く辺りが読み応えへと繋がっている。 単純に面白いと思う。 雑学的なネタを仕入れる目的でもかなり役立ってくれるはずだ。 それはおそらく、この講義録の聴衆も同じ目的だったからであり、また、それを著者自身も共有していたからであろう。 スルスルと読めることに味をしめ、早晩、著者の著作をもう一冊くらい読了するかもしれない。
  • 2025年12月14日
    ライプニッツ
    ライプニッツ
    ライプニッツなる天才哲学者は、余命幾ばくもないスピノザと瞬間的な交流があった。 そして、ドイツ観念論の祖であるカントもライプニッツの著作に感化されている。 スピノザの後にあって、カントの前にある万学に通じた哲学者こそ、ライプニッツだった。 彼の人生は決して不遇を極めていた訳ではないが、生前に出版された本は『弁神論』のみであった。 彼の思想の大部分は千人超を数える文通相手との手紙に残されている。 神の存在が色濃く残っていた時代の思想であり、また、実現こそしなかったが、カトリックとプロテスタントの融和を望む構想を練っていた。 数学者としての功績も多分にあり、それ故、数理哲学や科学史等の著作のある下村寅太郎が題材として選択したものと思われる。 『モナドロジー』についての記述は、手を変え、品を変えと言った具合に様々に説明が為されていて分かり易かった。 『普遍数学』の辺りは正直に言って、よく分からなかった。 西洋哲学史の大局的な流れが理解できていない中で本書を読むことは、自戒を込めて、あまり勧められることではなかった。 大きな流れを理解した上で取り組むべき書物だった。 いつか戻ってきたときに理解できていればいい。
  • 2025年11月27日
    仮面と神話
    仮面と神話
    錚々たる面子が名を連ねる朝日賞を受賞するくらいの人だから、僕はこの著者を知っていなくてはならないはずだが、浅学が祟り、知らなかった。 文芸評論家が本屋に行って、爆買いする動画のさ中、軽く触れられた本書が気になった。 本屋へ行き、ページを捲り、購入することにした。 いつかどこかにおける講義録のようだ。 故に至極、読みやすい。 民俗学と神話学を専門とする著者は、その分野について平易な言葉で説明することに長けている。 人類にとっての世界が如何様にして成り得たのか。 それについて、先人が考えたストーリーの分布を世界地図に落とし込んでいる辺りがこれまで読み進めた中でのハイライトだ。 現生人類と能力的にさして変わらなかったであろう数千年前の人々が、積み上げられた条件が違うだけで、こんなにも豊穣なるストーリーを世界の起源として拵えることができた。 けれど、著者は現代において、かようなストーリーは生まれこそすれど、人口に膾炙することはないという。 年内には読み終えたいと思う。
  • 2025年11月23日
    ライプニッツ
    ライプニッツ
    西田幾多郎に師事した1902年生まれの哲学者による著作である。 明治生まれの人の著作には、まず本の題名や項目の名前に逃げがないような印象がある。 内容を構成する文章にしても漢文調だったりして、格調高い感じがする。 下村寅太郎はみすず書房が著作集を刊行するくらいの人で、その著作集を見るに取り上げられた題目は今でも古びることがない。 本作は『ライプニッツ』である。 デカルトよりあとの天才哲学者であり、生涯に書いた文章の多さから、本作の出版当時は全集の編纂は完了していなかった。 現在の日本では、工作社から著作集こそ出ているが、やはり全集は刊行されていないのかもしれない。 下村という日本哲学史に歴然と佇む天才が仰ぎ見る、世界の哲学史に燦然たる輝きを残したライプニッツなる天才。 まだ200ページ余りを残している。 今月中の読了は難しいかもしれないが、読み進めて行く。
  • 2025年11月16日
    そろそろ論語
    そろそろ論語
    個人的な話で恐縮だが、ビジネス書の著者で新作が出版される都度、読了しているのは、本作の浅田氏だけになってきた。 本作は『論語』について論じている。 論語は頭から順に読んでも理解できる訳ではなく、それぞれの章句に対して、自分の経験を絡め、アウトプットして初めて理解できるようになる。 これまで読み進めるうち、そんなところを軸にして話が展開されることが分かった。 パラパラと先のページを眺めても、著者の十八番であるA4用紙1枚で行なうワークは出現しないようだ。 印篭の登場しない水戸黄門を観るようで、出現しないとなると寂しいような感じがする。 著者特有の明快な語り口は健在のようで救われる気持ちになった。 今月中の読了は難くない。 また、読み進めることにしよう。
  • 2025年11月5日
    ビールと古本のプラハ
    続編という性質上、期待こそしていなかったが、やはり『プラハの古本屋』の方が良作であった。 その前作に比して、ということであって、本作も決して駄作ではないことは早急に言い及ばねばなるまい。 続編である本作が長く白水社から刊行されていたことから、前作を知らぬまま、本作のみ読了している諸賢もおられると推察する。 さような読者であれば、『プラハの古本屋』も読み終えて欲しい、と強く勧める次第である。 後半部にハヴェル大統領の名前があり、はたと気づく。 このハヴェル大統領は『力なき者たちの力』の著者ではなかったか。 文明の利器に頼りつ、NHKのEテレに於いて、取り上げられた著作の著者だとの事実に突き当たった。 まだ、入手していなかった『力なきものたちの力』も早速、手に入れた。 ただ、読了の約束はしないことにする。 なぜなら、積読本が多くあるからだ。 少しばかりの間、『プラハの古本屋』から『ビールと古本のプラハ』へと順に読了できた幸福な余韻に浸りたい。
  • 2025年11月3日
    ビールと古本のプラハ
    先般、読了を迎えた同じ著者の著作である『プラハの古本屋』(中公文庫)に、ある種の感動を覚え、以前から積読にしていた本作を引き摺り出し、途中まで読んだ。 旧ソ連を端緒としたペレストロイカ、それがドミノ倒しのようにチェコへと波及したビロード革命。 社会主義国家が倒れた民主化革命の直後、ないし数年後まで記載がある。 『プラハの古本屋』の続編ではあるが、その大きな時代背景の変遷から一般に想起される続編とは一線を画す。 著者自身の『プラハの古本屋』の時代の方が良かったという懐古的な気分が吐露される場面が散見され、何かともてはやされる民主化の異なった側面を見た気がした。 本作は『プラハの古本屋』に比して、古本屋や居酒屋の実名が多く公表されている。 そのため、もし、『プラハの古本屋』を一読ののち、チェコへの旅の計画を練る諸賢がいたならば、本作も勧めない訳にはいかない。 ただ、現存しているか、については、再度、調査を要するかもしれない。 既に半分を読んだ。 今月中の読了は無理からぬことであろう。 このあとも読み進める。
  • 2025年10月13日
    プラハの古本屋
    知的であるのに嫌味がない。 過度に謙遜するようでもなく、古本や東欧、言語学に対する興味へと読者を確実に誘引する。 300ページ近い本書を通貫するように、そんな印象を受ける素晴らしいエッセイだった。 記載される内容はかけ離れているが、出来栄えとしては星野道夫著『旅をする木』と比肩する、と、読み終えたばかりの熱も多少なりと手伝っているのかもしれないが、本当に、そう思う。 著者が鬼籍に入られているから、今後の新作には殆ど期待できない。 ただ、「ピジン語」と言うのだったか、地理的に異質な文化圏が交錯する辺りの言語の専門家の著作は読み応えがあるのかもしれない。 その辺りを掘り返してみたい気持ちはある。 以前より購入していた白水Uブックスから刊行されている著作も読んでみたいと思った。
  • 2025年10月13日
    そこに工場があるかぎり
    滋味深い文章は世界への愛情から生まれるのだと思った。 世界への愛情とは、つまり、世界に存在する事物や事柄へ抱く愛情なのだとも思った。 そして、その滋味深い文章は、作家の人柄に裏打ちされ、そういった愛情は作家の根幹まで根付いているのかもしれないとの思いを強くした。 他の誰が同様のものを書いたとして、同じ感慨を抱いたか、という点に想いを致せば、工場見聞録としての本書も作家の逸品と称賛したい気持ちになった。 ある種の世界のことわりを平明、且つ美しい文章によって著された、本書のような書籍は、長く記憶に残ることが多い。 それを期待するところであるし、現時点、記憶に留めたいと強く思っている。 よき読書体験だった。
  • 2025年10月12日
    そこに工場があるかぎり
    日本を代表する小説家による工場見学を題材にした本書は、メディアで誰かが勧めていて、読んでみたい気持ちになった。 ただでさえ観る頻度の少ないテレビで、この5年ほど、工場を見学する番組を頻繁に見かける。 そういった傾向とどれ程、関係があるか知らないが、その番組のエッセイ版と表現すると、イメージを喚起し易いかもしれない。 小説家が眼前にした工場内での光景を、彼女が持つ一流の感性というフィルターを介在し、事も無げに言語化されていく。 そのこと自体、本書で話題に上がる江崎グリコのお菓子工場でポッキーが次から次へと生成される過程を見るようで感激する。 言語化に対する感激こそ、このところ目撃することの多いテレビ番組での工場見学との重要な相違であると思う。 これは想像でしかないが、本書で取り上げられる工場の選定にも著者が多くの部分、関わっているのではないか。 その選定の妙も本書を良書へと押し上げるのに寄与している。 単に通り過ぎてしまう本ではなく、ある程度、読み応えもある。 ページ数は少ないから、読了まで時間を要すことはないだろう。 今月中には読了を迎えたい。
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