長距離走者の孤独
13件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年8月19日読んでるだけどおれはやらずにはいられないんだ。これこそおれにとっては唯一の冒険だし、唯一の興奮だからだ。いちばんすばらしい一瞬なのだ、なぜならそうやって飛んでいるあいだは、おれの頭には思想も言葉も情景も何一つはいってこないからだ。からっぽなんだ、生まれる前みたいにまるでからっぽなんだ、だけど気を失うことはない、きっとどこか心のずっと奥のほうには、おれを死なせたくない、おれを傷つけたくないものがあるからだろう。深く考えるなんてことはくそばかげたことなんだ、考えたってどうなるものでもないからだ。 (p.27) 走ることを忘れ、「長距離」であることに頭を悩ませている自分がいる。 距離とは、アインシュタインの発見よりも以前から感覚的なものであるにもかかわらず、頭で「長い」と決めつけている。 頭を空っぽにするために走る。 どんな映画やドラマででも見られる光景。 それができない。 走者になる、とは頭で考えられたこと。 走る、とは、「とは」という凝固剤すらも置き去りにするような、みずみずしさに溢れている。 「生まれる前みたいに」、これまで、こんな表現に出会っていたようで出会っていなかった。「生まれてから」のことで頭を振り回されていたせいかもしれない。 主人公の語り口が、走らせてくれる。 伴走ではなく背中である。

Aruiwa@atodeyomu2025年5月18日再読中「それに奴らはきまって、《わたし》とか《おれ》とか言うかわりに、《われわれが》《われわれは》とくる――たった一人の相手に対して、こっちには味方がたくさんいるんだぞという気がして、元気と正義感がわいてくるしくみだろう」 p.41-42










