現代社会はどこに向かうか
8件の記録
jirowcrew@jirowcrew2025年10月27日かつて読んだ「球は不思議な幾何学である。無限であり、有限である。球面はどこまで行っても際限はないが、それでもひとつの「閉域」である。 グローバルシステムとは、無限を追求することをとおして立証してしまった有限性である。 …… 情報に情報を重ねることによって構築される虚構の「無限性」が、現実の「有限性」との接点を破綻点として一気に解体するという構図をここにも見ることができる。」 無限を追い求めたとて、人間の知性により知れるところは有限であり、その無限と思われたものの「有限性」に結局はたどり着いてしまう定めである、ということを感じとった。 一つの宇宙を知ることも、一つの石を知ることも、そこに大差はないのだろう。存在そのものの偉大さを知っている者に関しては。 自分にはまだそのことがわからない。 ただ、ある対象に関する無限にある情報よりも、対象そのものの存在の方が多くを語るということは理解できる。
高尾清貴@kiyotakao2025年5月26日読み終わった手段主義的とは、現在の生を、それ自体として楽しむのではなく、未来にある「目的」のための手段として考える、ということである。 たとえば受験生は受験戦争に勝つために現在の生きる時間を、未来の目的のための「手段」と考えて、生活のすみずみまでも合理化し、自分で自分の自由を抑圧することがある。 戦争が終結すれば、この「合理化圧力」は解除され、自由に/現在)の生を楽しむこともできる。これは近代から脱近代に至る歴史の局面の、分かりやすい理論モデルである。
高尾清貴@kiyotakao2025年5月23日読み始めた友人の誰かにオススメされて一年前に買っていた本を、また別の友人からオススメされた。 今回は、ケアと編集の話をしているときだった。 「現在を未来のための手段にするな」というフレーズがこの本にも出てくるとのことだった。






