西田幾多郎の思想

16件の記録
- yakasak@yakasak2026年4月16日読んでるP.162 ヘーゲルの論理学 “(略)ヘーゲルにおいては、普遍が自己を限定し、自己を特殊化して個物となるのである。例えば、「このリンゴは赤い」という判断において、アリストテレスでは、このリンゴが赤いという性質をもつと考えるが、ヘーゲルでは、赤いという普遍概念がこのリンゴに自己自身を限定すると考える” 字面だけを追ってくと理解した気がするのだが、ふとページから顔を上げて周りを見渡すと、自分が感じてる世界とどうつながるのかわからなくなる。
- yakasak@yakasak2026年4月15日読んでるP.160 アリストテレスの論理学、主語の論理の概説がわかりやすかった。 やはり、本題を持ち出すために必要な前提知識を概説的に説明している箇所というのは、枝が繁茂し過ぎず見通しがよい。 本題を書くときにも意図したい。
- yakasak@yakasak2026年4月9日読んでるP.158 ヘーゲルとの関係 純粋経験のおさらいとしての記述がわかりやすかった。 本題として触れている段階ではわからないが、後続のおさらいの段になってよくわかるということはよくある。 本題の時点では、自分の中に下地ができでなかったり、本題として扱うが故に細かいところまで説明されてたりするからだろう。 だから本はわからなくても気にせず読み進めばよいというのは一つの真理。 (もちろん、わからないなら時間を無駄にせず読むのをやめればよい、というのもまた別の真理としてはある)

- yakasak@yakasak2026年4月2日読んでるP.154 “一言でいえば、有るもの、働くものの根底に、これを包む絶対無の存在を想定し、そして前者を後者のいわば影像として考える立場である。この意味で、「場所」の論理は東洋的無の思想の哲学的論理化であったといえるだろう”
- yakasak@yakasak2026年4月1日読んでるP.150 絶対無の場所、意識の野、有の場所という重層関係 場とは、その語感からイメージされる空間的外延的静的なものではなく、作用的内在的活動的なもの



