孤独に生きよ 逃げるが勝ちの思考 増補改訂版・孤独論
13件の記録
みっつー@32CH_books2026年2月5日人はだれしも、孤独である。 という言葉を理解しつつも、それを強く意識したことがある人はどのくらいいるだろうか。 少なくとも、僕は自分のことを「エセ孤独人間」だと思っている節がある。 友人関係はそこまで多くないし、外で遊ぶよりも家で1人用ゲームで遊んでいるほうが楽しかったし、飲み会に行った帰りには気を遣いすぎていたのか頭痛に苛まれるようなことがよくあったので、人と長い時間関わるのは得意ではないのかもしれないという思いがあった。 けれど、それらは裏を返せば、他人と比較できるほどのデータを他人の話から得ているし、みんなで遊ぶゲームをプレイしたからこそ1人用ゲームに楽しさを見出しているし、まず飲み会に行ってるし、みたいな「ほな孤独とちゃうか〜」なミルクボーイ的展回が巻き起こってしまう。 だから僕は自分のことを「エセ孤独人間」だと思っている。 それが、一人になりたいけれどなれないのか、一人を欲しているけれどその勇気が出ないのか、そこら辺のことは今はまだ分からない。 正直、友達がいなくてもやっていけるような気がするけれど、人と話すことが好きな性分なので、結局人との関係を求めてしまう。 そして、一人一台、場合によっては一人で二台、三台と通信デバイスを持ち歩く現代人は、基本的に孤独なることはできない。 常に、メールが受信され、SNSでたくさんの人の反応に触れ、YouTubeで誰かの意見を取り入れ、誰かが勧めてくれた本を電子書籍で読み、そして今僕はこれを読んでくれる誰かに向けてキーボードに文字を打っている。 スマホやPCなどのデバイスは常に人との繋がりを意識させ、完全な孤独を作ることを、殊更難しくさせている。 僕自身、直接的ではないにしろ、人との関わりなしにはアイドルのオタ活などは出来ないだろうなぁと感じる。 好きなアイドルの近況や、今欲しい情報を手に入れるにはSNSがとても便利だ。 コンサートがある日には、グッズ待機列の混み具合、実際のグッズのデザインやアパレルのサイズ感、フォトスポットの雰囲気、知りたければ前日の公演のセットリスト、ライブのレポ、などを常に誰かが公開してくれていて、情報を得ることができる。 これらの情報を追うことは、楽しみでありながら、常にうっすらと「ネタバレ」をされているということになる。もちろん、自分で探りに行っているのに「ネタバレもクソもないだろう」ということではあるのだけれど、知りたくなってしまっている自分に対して「ネタバレですよ?大丈夫ですか?」といっている感覚に近いと思ってくだされ。 自らが、自らで、情報を遮断しようと思わなければ、完全に何も知らない状態でコンサートに行くという体験ができない、そっちの方が楽しいかもしれないのに。 そこに加えて、ある程度の情報を持ってからコンサートに行かないとある種の不安を抱えたり、知っていた方が楽しめるのでは…!?という観念に取り憑かれたりもする。 孤独の話と少しズレたかもしれないけれど、でもニュアンスを伝えることができただろうか? 孤独であるということは、完全な一人で、うちなる自分自身と向き合うことなのかもしれない、ということをここ最近本を読んでいて感じる。そもそも本を読むという行為すらも、著者の考え方と向き合っている時間のため、完全な孤独とは言えないだろう。もちろん、今こうやって書いている時間も。 本を閉じ、頭の中で反芻し、考える。 その時間を深めれば深めるほど、孤独を深めるという行為に繋がっていく。 そう、孤独とは、寂しいことではない。 自分が、自分のために考える時間が増えるということだ。 それに、ここまで書いて思ったけれど、多分友達とかいても孤独にはなれるわ、これ。 自分と、自分の中の声だけを頼りに、考えを深めていく行為が「孤独」になっている瞬間なのだとしたら、練習次第で、その瞬間を作り出すための環境の選び方というのが段々と出来るようになるのかもしれない。 結局のところ、それはやはり、本当の意味での「孤独」ではないのかもしれない。 ただ、「エセ孤独」の「エセ」を「ネオ」くらいに変えることは出来るのかもしれない。 「ネオ孤独」が現代人に求められる孤独だ。 大量の「誰かの意見」を目の当たりにしながらも、しっかりと自分の考えを深めていく、気をつけなくてはいけないのが、SNSなどには極端な意見も多くあるので、鵜呑みにせずに一度立ち止まって考えてみる、そんな時間を持つことが孤独と向き合うことの大切さなんだと僕は思う。 なんか、まとまりのない情緒不安定な文章になってしまった気がするけれど、この心の動きそのものこそが「ネオ孤独」なのかもしれないなァ。 田中慎弥さんの『孤独に生きよ』という本を読んだ。 15年間の引きこもりを通して、作家デビューした田中さんが孤独と向き合い、作家という職業と向き合い、そして15年間の引きこもりの中でずっと関わり続けた家族と向き合い続けた実体験がこの一冊に書かれている。 就職という選択肢は除外していました。そもそも自分には向いていないと、そこだけは妙な自信があった 田中慎弥『孤独に生きよ』p.157 わたしにはできないことがたくさんあった。むしろ、できないことだらけです。その中から、なんとかやれることだけを探してやり続けたことになる。ねちっこくしがみつき、その代わり嫌なこと、気の進まないことには手を出しませんでした。 田中慎弥『孤独に生きよ』p.159 などの部分が個人的には刺さった。 「あぁ、そうだよな…就職なァ…」という気持ちは常にあり、それならば、本気で今の現状と戦わねばならないという気持ちがより一層強くなる。 おれ、ヤバいんすよ。ほんとに。ゲーム実況や、読書や、文章を、これからも続けていきたいから、極めないと、ヤバいんすよ。 おまえ、それくらいはやれよ。と自分ににらみを利かせている。そんなに頭がいいわけではなく、大学も簡単に諦めて、かといって、就職どころかアルバイトすらやらなかった。だから、せめて机に齧りつくことくらい欠かすな、というわけです。 田中慎弥『孤独に生きよ』p.179 これは、田中慎弥さんが田中さん自身に向けた言葉ですが、あと僕はアルバイトも一応していますが、結局こういう言葉が一番効く、あぁ、やらなくちゃだよなって。 社会に出て働くことを、選ばなかった。 それはたくさんの人間が選択したことを、自分は選択しなかった、ということでもある。 ここから、突き詰めなければいけない孤独が始まったのだ、と思う。 iPhoneを持っている人はたくさんいるから、知らないことがあれば近場の人に聞けばいい。 けれど、ゲーム実況や、物書きで成功した人の話を聞くのは、自分のちっぽけさからするとまだまだ難しい。 その人たちに追いつくためには、たくさんの本を読んで今の自分の考えを構築していく必要が出てくる。 これからもたくさんの人を頼ったりしてしまうだろう、時には孤独に潜って理解を深めたりするのだろう。 そんな自分は「ネオ孤独」なんだって、胸張って生きていけるように、今日もゲーム実況を撮って、たくさん本を読んで、頭でまとめて文章を綴ります。カキカキ。














