「社会」を扱う新たなモード

13件の記録
- socotsu@shelf_soya2025年10月1日読んでる社会モデルは障害の「発生メカニズムの社会性」を発見することにあるという主張に貫かれている本。 当事者研究に関する論考を取り上げ、個人の特性としての障害、社会と接する際に発生する障害、と2段階で障害を切り分ける考え方について、個人と社会はそんなに素朴に切り分けられるのか?と切り込む第一章から鷲掴みにされている。
- socotsu@shelf_soya2025年9月30日心に残る一節"インペアメントの状態が変動しやすい障害者は、たとえ一日の間でさえ自分の身体がどうなるのか予測がつかず、それと連動して意思決定も困難となる。また、精神障害や発達障害の当事者など、困りごとを言葉にできず、自分のニーズを主張しようにもその手立てがないという人々も存在する。このように、「意思決定することこそが自立である」という考え方はそもそも意思決定の基盤となるものが不確かな人々や困りごとを表現する言葉自体を持たない人々、すなわち「自分の障害の特徴やニーズを記述(可視化)」(熊谷 2020:20)することのできない当事者を置き去りにしてしまっている。" p.34
- ゆう@suisuiu2025年1月26日やっと読み通せた。半分くらいまではメモしながらじゃないとよく意味がわからなかった。「障害」は社会がつくり出しているものだという視座を徹底的に深掘りされる。熊谷晋一郎の当事者研究運動を批判的に論じるところからはじまるので驚いた。この驚き自体に内省しないといけないと気付かされる。 「心のバリアフリー」の普及活動も各種NPOや大学等での支援活動も、「社会側が変わらないといけない」と謳いつつ、結局、障害のある「個人」に責任を持たせようとしてない?「個人」が変われば「社会」と交わることができるってなってない?とがしがしつっこまれる。ううううと胸が痛い。でも、とはいえどうしたらいいんだろうというのは残る。残るが、でもその戸惑いこそがこの本で与えたかった刺激なのかもしれない。いろんな障害やマジョリティとの壁に挑むいろんな実践者たちを立ち止まらせる効能みたいなものがある。
- ゆう@suisuiu2025年1月23日まだ読んでる@ 電車週二回出勤することになり、よし電車で読書の時間つくれると少し楽しみにしていたのに平日朝の京王線はそんなこと許してくれなくて、「またまた〜」と思っていたがほんと肋骨圧迫されるくらいやばい。本なんて開こうものなら。でもたま〜にほんとたま〜に開けて、昨日はちょっと読めた。最前か最後尾の号車に入ることがポイントかも。
- ゆう@suisuiu2024年12月30日読んでる@ 自宅共生社会などに関するメッセージやステートメントでよく見かける・書いてもしまう「すべての人」や「あらゆる人」が「ひとりひとりの力を発揮して」的な内容への違和感や気持ち悪さがよく解明されていく、が、ではどうしたらいいのだろうという疑問は残る。まだまだ半分。