歪な愛の倫理
6件の記録
くりこ@kurikomone2025年11月15日読み終わった暴力関係から離れたがらない被害者をどう支援するか書かれている本。 子供がいる、経済的不安、相手が変わってくれるかもしれない、世間体、これ以上は繰り返されないと思ったなど、様々な理由で妻が暴力をふるう夫から離れられないケースを見てみると、来年4月に施行される共同親権は、夫婦の圧倒的な力関係を無視した法律だと改めて感じた(そもそもこんな状態で、共同親権の「同意」を得ても本当にそれは同意したと言えるのか?) 離れることが出来ない家族に対して、修復的正義(サークルオブピース)の実践(77ページ)が興味深い。第三者が、強制的に関係を切るのではなく、裁判所管轄の元、DVで逮捕された人とその家族、そして支援者(サポーター、地域ボランティア)が一緒に関係性修復と相互理解を模索していくアメリカの取り組み。 ただ、日本ではDVで逮捕するという事がそもそもできないので、第三者がDVであるという認定をすることが極めて困難で、この制度を日本で行うことは難しいと思う。また、本にも書かれているが、修復的正義はDVが社会的な問題であるにもかかわらず個人の問題に矮小化されてしまう。 著者が、アディクションの自己治療仮説(生き延びるためのアディクション)は、なくなってしまった人を不可視化してしまっているのではないかと論じているところでは、確かにそうだなとおもった。自己治療仮説はアディクションのスティグマの除去を狙ったり、生き延びようとしている人たちを鼓舞する意味合いで使われているのだろうけど、実際に自傷でなくなっている人もたくさんいるのだから、自分の心の痛みに対して、「自傷をする」以外の「痛み止め」(人と心のつながりを持つ、それ以外にも本を読むとか土いじりするとか、自分と世界をつなぐ何か)が持てるように支えていかないといけないと感じた。




くりこ@kurikomone2025年11月3日読んでる第四種 暴力的な存在と社会的排除 まで。 攻撃性を伴う自閉症の子供を持つトルーディが暴力を振るわれつつも逃げられずに亡くなるトゥルーディ事件をよむ。 「自閉症の人が生き続ける可能性を否定し、ケアのための社会的包括の枠組みを否定する壊れたシステム」を批判する手紙を残しトゥルーディは亡くなる。 薬で治す医療モデルも、社会全体で自閉症のことなる生き方を理解する社会モデルも大切なのだけど、『ユマニチュードの革命』を読んでから「問題行動を起こす人」に対しては相手を変えようとするのではなくこちらが振る舞いを変えることで穏やかになるのではと思っている(社会モデルの一つとして捉えられるのかも)。 どうしても話せない人に対してはケアする側がパターナリスティックな対応になりがちで、相手のして欲しいことと、こちらがしたいことがずれてしまう。声を上げられない人との対話の実践がユマニチュードであり、ケアで大切なことなんだと思う。 (それはもちろん家族だけではできることではなく、社会全体が協力することは前提。)



