日本人は民主主義を捨てたがっているのか?

2件の記録
- 句読点@books_qutoten2025年9月23日読み終わった12年前に出された本だが、今の日本にもズバズバ当てはまることが書かれていると思った。 出てくる政治家や政党の名前を入れ替えればそのまま今の状況にも当てはまる。 しかし違う部分もある。 「政治家は政治サービスの提供者で、主権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、政治家も主権者もイメージしている。そういう「消費者民主主義」とでも呼ぶべき病が、日本の民主主義を蝕みつつあるのではないか。 だとすると、「投票に行かない」「政治に関心を持たない」という消極的な「協力」によって、熱狂なきファシズムが静かに進行していく道理もつかめます。」 p.55 と書かれているが、今の参政党は、これを逆手にとって「私たち一人一人が手作りする、庶民のための庶民によるDIY政党」というのを掲げて大躍進したからだ。その姿勢自体は評価すべきところがあると思うが、当然、政策面や、議員たちの過去の不祥事や失言などを見れば到底受け入れられるような政党ではないのはすぐにわかるはずだ。 消費者マインドではいけない、という意識は少しずつ浸透してきてはいるのだろうが、それを利用されているのではないか。扇動にまんまと乗せられていないか。 意識が高いはずなのに、なぜ参政党のようなめちゃくちゃな政党に「目覚め」てしまうのか。 まさかこんなめちゃくちゃな政党が躍進するはずがない、と思いきや、蓋を開けてみればその党が圧勝する、という現象は、2012年の自民党安倍政権の大躍進の時と、今年の参院選での参政党大躍進の時ととても似ている。 しかし今回は投票率もここ最近の中では高い方だった。 これが何を意味するのか。 この本の中では「熱狂なきファシズム」という言葉が使われていたが、今はもはや、純粋な「熱狂的なファシズム」に近づいているのではないかとすら思う。 しかし状況が変わっているとはいえ、この本で説かれる抵抗のための方法、「千里の道も一歩から」は有効で、それしかないとも思う。 いま改憲勢力が力を増しつつある。本当に手遅れになる前に、できることをしていきたいと思う。 もちろん改憲が絶対にダメだとは思わないが、少なくとも自民党改憲草案や参政党のようなめちゃくちゃな憲法案、 要するに、全体主義に突き進むような、個人の人権を抑圧し権力により強い権限を持たせることを目的とするような改憲には絶対に反対だ。
- haruko@harukoala2025年9月13日読み終わったどの時代も力の強い言葉が人を惹きつける。それは橋下徹だと「対案を出せ」「民意」「大阪都構想」「公務員は上司の命令に従え」、神谷宗幣は「日本人ファースト」「外国人犯罪」「スパイ防止法」「日本らしさ」など。そしてそれを真似するかのように多くの人たちがその権力者と同じような言葉で人を排除していく。もうこんな言葉を聞くのはうんざりで会話にもならないししたくない。と思うと同時にいや待てよ、相手側も同じようなことを思っているのでは。私たちはよく「ヒトラー」「人権を守れ」「戦前への回帰」などという言葉を使って会話?をしがちだが、向こうからしてみればはいはいまたそのことねーというようなふうに思っているかもしれない。 ということは、自分とは異なる考えを持つ人と話すとき、使い古された決まりきった聞き覚えのある単語を並べて話すのではなく、自分の中から湧き上がる瑞々しい言葉で会話することによってようやく相手に届き対話らしいものが生まれるのではないのか。そんな希望がたくされた第一章から始まりもうその先あとは頭が上下にしか動かない。 「憲法とは、たとえ文面がそのままでも、そこに保障されている権利を主権者が行使しないのであれば、実質的に力を失っていくものなのです。」 いくら小さなことでも目をつむったり気づかなかったりするとそれが積もりに積もって何かの足枷になったり、誰かを傷付けていく原因になっていたりするかもしれない。だから私は言論、表現の自由があるうちにその小さな一つ一つを見落とさずに放棄せずに、声を上げていきたい。