あのころの僕は
24件の記録
酸菜魚@suancaiyu2026年4月16日読み終わった@ 自宅初めて読んだ小池水音。 朝井リョウのラジオで、自らをパフェ代表として発言する小池水音さんの話を聞いて、これは不思議な人に違いない、と思いたどりついた。笑 やさしく、淡々と描写されながら、胸がときおりギュッとなる。 母親を失った5〜6歳のときの自分を思い返す語りでありながら、「母親を失った子ども」とぎこちなく接する大人たちを描いている。 大人は人との別れを、噛み砕いて飲み込むことができる。子どもはまだ自分の気持ちを、考えを自分でうまく理解することができない。 どんなに言葉巧みな大人でも、子どもに自分と同じように目の前の別れを解釈させることはできない。 それは、自分だけにしかわからないことであり、自分だけがわかればいいもので、自分で自分と対話しながら徐々に理解していくしかないのだ。 *** 〈関係ない思い出〉 自分が幼稚園の年長だったころのことで覚えているのは、写真が嫌いだったことと、折り込みチラシを細く丸めて硬い棒を作るのが得意だったことくらいかな。 あと、給食で出てきたミックスベジタブルが食べられなくて、他のおかずの下に隠して食べたように見せ、先生にOKをもらおうとしていた姑息な自分。笑 写真が嫌いだったのは、数秒でもじっとしているのがもったいなかったからだと思う。 楽しいことがいっぱいあるのに、大人に付き合ってじっとしていられるか!と、撮り終わったらすぐに走り出していたような。




はぐらうり@hagurauri-books2026年4月10日読み終わったすごく繊細で、とても良かった。 小池水音さんはいまとても好きな作家で、いつか芥川賞を獲ると思っている。 5歳のあの頃の僕が、さらに小さいあの頃を必死に思い出そうとし、その5歳当時の記憶を、高校生になった僕が思い出す。その時々の記憶や感覚が、どれも愛おしいものに思える。まだ小さい、まだ今を記憶として残すことすらしないだろう息子がいるおじさんとしては、たまらん。 とても好きな文体。からだのなかにすぅっと入ってくるような。 今作は色が印象的。なんとなく、終わりの青、始まりの赤、なのかなと思った。



- ギンダベラ@gindabera2026年2月28日読み終わった思い出す、あのころの僕を。言葉が出てこないもどかしさ。言葉が見つかった時はいつももう遅かった。 言葉を大事に思えば思うほど出てこなかったな。あれは違う、これも違う。 ただ当時の感情、出来事を言葉で再構築しようとすると、深く傷付くこともある。
紙村@kamimura_2025年8月25日読み終わった母を病で失って、いくつかの親戚の家家で暮らす五歳の「僕」が、イギリスからやってきた転入生のさりかちゃんと出会って友情を知り……。やっぱり描写が本当にいいですね……。父と、かつて母といった別荘地に行くところの美しさに記憶が引き出されていく感じ、RPGゲームの主人公と自分が一体になる感じ、子どもが引き裂かれていくときのままならない悲しみ。すべてが適切な、これ以上ない適切な言葉で書かれている


もん@_mom_n2025年3月23日読み終わった心に残る一節読書日記@ 図書館小池水音さん、やっぱりすごく好きだなあとしみじみ。 p.92 記憶は実のところ脆く、踏みこむたびに景色の一部は曖昧に薄らいだり、反対に無用に鮮明になったりする。みたくもないものに目を瞑り、みたいものだけをみてしまう。それが大切な記憶を少しずつ損ないつづけることだと、頭のどこかではわかっている。 p.122 布団の暗闇のなかで僕はなるべくちいさくなろうとした。からだをかたく縮こめることで、ハミガキのチューブみたいにしてじぶんの一番深い部分にあるものまでそとに吐き出してしまいたかった。空っぽになりたかった。約束も、思い出も、あのすばらしいサンドイッチでさえも全部手放してしまいたいとおもった。だから涙も鼻水もよだれも、もっと出ろ、もっと出ろと唱えた。汚らしく垂れ流したまま、布団に染みこませていった。























