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もん
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@_mom_n
  • 2025年10月10日
    悪意の手記
    悪意の手記
    自分の好きな小説を列挙して「私の好きそうな小説を教えて!」とChatGPTに質問し、おすすめされた作品のうちの一つ。 罪を背負いながら人間の屑として生きていくことを決意する主人公なんて好きに決まってるな…と思い、迷わず購入。 やっぱり私は一人称視点で感情や思考を深掘りするような小説が好きだと再認識した。ゼミの討論で感情をぶちまける場面が特に好き。 p.16 私はまず、人間というものを、死にたくないと思い続けながら必ず死ぬ存在、と定義し、結局のところ一つの動物に過ぎず、喜んだり悲しんだりはするが、他の生命体を殺して肉を食らい、排泄を繰り返す、ポンプのような容器に過ぎない、と考えた。 p.101 「よくわからないけど、君の法律だったら守ってもいいような気がするな」
  • 2025年10月6日
    火花
    火花
    『劇場』があまりにも良く、今更ながら『火花』も読んだ。やっぱり又吉さんの文章がとても好きだと痛感した。普段“泣ける本”と銘打った本でも泣かないことが多いが、この作品の終盤は感極まって泣いてしまった。
  • 2025年9月30日
    降りる人
    降りる人
    普段純文学を好んで読んでいるのもあり、今まで小説野性時代新人賞に触れたことはなかったが、好きな作家が「めちゃくちゃ純文学だった」と言っていたので気になって購入。 裏の帯にある「この小説に救われる人が、必ずいる」という担当編集さんの言葉通り、人生に絶望しながら逃避するように読み始めたのに読み終える頃には救われていて、もうちょっと生きてみるか〜と思えた。本当に読めてよかった。 p.50 日記を書こうかと思ったが、何を書いていいか分からなかった。いや、何を書かないでいるべきか分からなかった。書かないでいれば、存在しないことにできるのだろうか。布団に横になった。発泡酒のアルコール成分が嫌な具合に体をめぐり、眠りの訪れを妨げ続けた。 p.73 彼らの言う「教育」がよく分からなかった。僕がこのありさまなのは、教育が悪かったからではなく、生まれたときから備わっていた何かが、見つかることも教育されることもなく放置され続けてきたからだと思っている。 p.213 「僕はどんな風に生きたらいいか分からないよ」 浜野はあくびをしながら、 「しれっと生きればいいだろ」 と言った。
  • 2025年9月26日
    スウスウとチャッポン
    スウスウとチャッポン
    『飛ぶ教室』に掲載された時から大好きだった作品が絵本になって本当に嬉しい。 かつてエッセイで“お風呂がだいきらい”と書いていたれいんさんがバスタブと掃除機の気持ちを書いている微笑ましさよ…。 「よいせの、せ!」という掛け声がとても可愛らしくて好き。
  • 2025年9月26日
    傷と雨傘
    傷と雨傘
    ラジオ『NIGHT DIVER』が最終回を迎えてしまったことが本当に本当に寂しく、この本を読みながらぼろぼろ泣いた。 『偶然がいくつか重なると、奇跡や運命みたくなる』と『絶望したとき、誰が頭に浮かびますか?』が特に好き。 p.84 「息抜きの仕方を忘れたら、無駄遣いをするのがいいですよ。お金か、時間か、体力か。無駄だなあ、とわかっていながら、それを消費してみる。もしくは、作ってみるんです。完成したところで意味を成さないものや、第三者には到底理解されないものでもいい。効率的な社会だからこそ、無駄なものに価値があると、私は思います」 p.115 「人は、死さえも慣れる。俺たちは今日もたまたま生きられただけで、そこに一番の価値があるはずなのに、そのことすら忘れる」
  • 2025年9月22日
    共に明るい
    共に明るい
    今週3冊目の井戸川射子さん。『素晴らしく幸福で豊かな』と『風雨』が特に好き。
  • 2025年9月20日
    この世の喜びよ
    この世の喜びよ
    最近はひたすら井戸川射子さんの本を読んでいる。 p.45 娘たちの誕生日には、あなたはいつも産院にいる自分を思い浮かべ、力んでいる腰に手を平たくぐっと当ててやるのを想像する。本当にそこに行ければ、もらい泣きでもしながら親身になって、幾晩でも撫で続けるだろうが、今この私に降りかかっている痛みでなくて良かったと、思ってしまうだろう。撫でられている自分は敏感に、それを察知するだろう。 p.61 ゆっくりとしか時間は流れず、あなたの体がぼんやりと倒れそうになる、わざとだ、別にしっかり立っていなくてもいいと、思ったからふらついたのだ。 p.95 長いのを話している途中で少女が走り去ってしまいでもしたら、あなたは傷つくだろう。怒る時胸ぐらを掴む教師がいたのは、そうして固定でもしていなければ、最後まで聞いてもらえる自信がなかったのだろう。
  • 2025年9月17日
    ここはとても速い川
    私が好きになる人は男女問わず井戸川射子さんを好きな人が多く、私もその趣味嗜好を理解したいという一心でまずは本作を再読。 2年ほど前は十分に理解できないままさらっと読んでしまったけれど、改めてじっくり読むと表題作にとてもぐっときた。淡々としていて脆くてさみしくてちょっぴり眩しい。とても好きな空気感。 p.38 鼻の頭を中指で、弾ませるように叩いて目をつむると、俺の中ではシャッターを押したことになるねん。すごい景色とか、忘れたくない時にする。 p.42 最初に逃げたんはあんたのお父さんやわなあ、ってばあちゃんが言うとった、俺には、それは救いやってん。もう他の、周りの人とか呪う必要ないやんと思った。元を辿れば、生まれたところからお父さんのせいやわな。 p.49 息は深く吸い込んだ分だけ自分のもんで安心した。 p.121 もっと言ってやれば良かったと、ドリンクコーナーで勢い良く注がれるコーラを見ながら思う、これほどの濁流だったのに。いつもそうだ、怒りを言葉で的確にぶつけられない、だってそういう時はそもそも尋常な心持ちではない、主張できない。いつも抱える単語の広さを思う。
  • 2025年9月15日
    劇場
    劇場
    絶対好きだろうなと思いつつ長らく積んでいたこちら。本当に本当に本当に本当にめっっっっっちゃくちゃ好きだった……………。 好きな言葉や場面がありすぎていちいち付箋を貼ってしまうので普段より読むのに時間がかかった。最初から最後まで最高に好き。 深夜の歌舞伎町の喫茶店で読んだが、今度は下北沢で読み返したい。
  • 2025年9月11日
    旅する練習
    旅する練習
    旅行のおともとして電車に揺られながら読んだ。鮮やかで眩しくて寂しい。
  • 2025年9月7日
    あなたの名
    あなたの名
    私は小池水音さんのことを「静謐」という言葉が最も似合う作家だと思っている。透明で清らかで水のような文章に、何度読んでも心を洗われるような心地になる。 小池さんの作品は『息』も『あのころの僕は』も読んだが、内容はもちろんのこと文体や作品全体の空気感がたまらなく好きで、本作もやっぱり好きだった。性描写も絵画のような美しさだった。 * 名前は親から子どもへの最初のプレゼントだと言われたりするが、私はプレゼントというより呪いだと思っている。こういう風に育ってほしいという呪い。 私の名前は何の願いもなく画数も気にせず他の名前と迷うこともなくインスピレーションで即決したらしい。"自分の名前の由来を聞いてみよう"という宿題が出された小学生の頃に、親からそう告げられた。まだピュアだった当時の自分はその事実を悲しく思ったけれど、今ではむしろそれが気に入っている。 とても美しい作品を読みながらそんなひねくれたことを考えてしまう自分が虚しい。 p.13 恭しく骨を壺に収めてゆき、ちいさな箒をつかい欠片を集めていった。そのとき、銀色の台の端に細かな欠片が取り残されているのがみえた。あ、と声にならない息が漏れたときには、係員は骨壷の蓋を閉じていた。母は永遠にすこし欠けたまま、墓の下に残りつづけるのだとおもった。 p.26 生まれもった姿とはちがい、名前は常に誰かがあとから与えたものだった。そうして与えられた名前が生涯にわたり杭として立ち、そのひとの経験するすべての出来事が、そこに結びつけられてゆく。 p.36 瑞々しい甘みが舌に、頬に、喉の奥に、さらには首の裏側あたりまで沁みてゆき、そこここでちいさく破裂するみたいに感じた。安らかな重みが胃袋を満たした。 p.75 彼の肌のあまりの熱さに驚く。しかし、これほどの熱もまた、所詮は皮膚をとおしてあらわれているかりそめの温度なのだとあるとに気づく。本当の熱は皮膚の奥、最も深い場所に埋まっている。そうとわかると、こうして肌を触れ合わせているのでは間に合わないとわたしはおもう。夜の雪原で遠くに灯る篝火をみつけたみたいに、そのほかのことはもう意味を持たなくなる。
  • 2025年9月4日
    トラジェクトリー
    トラジェクトリー
    大好きな作家が"芥川賞はグレゴリーさんに獲ってほしかった"と言っていたのを聞いて読んだ。 外国で生まれ育った人が主人公の国内小説というのは新鮮で、淡々とした文章の中にある寄る辺なさにぐっとくる。書評を読んで理解を深めたい。 p.120 チャーリーは辺りの装飾を見回した。文化祭のデコレーションを思わせるちゃちな桜の木、観光ガイドの表紙のような浮世絵。日本らしいといえば日本らしい。だが実在する日本よりも、誰かが夢で見た日本を、目覚めた後で辛うじて残っていた記憶を辿りながら再現しようとしたみたいだった。
  • 2025年8月29日
    植物少女
    植物少女
    朝比奈秋さんの小説を読むのは『私の盲端』『あなたの燃える左手で』に続いて3作目だが、私は『植物少女』が一番好き。静かでひんやりしてすべすべしたくなるような読み心地。ここには書ききれないほど好きな場面や文章がたくさんある。今後純文学のおすすめ作品を聞かれたらこの本を勧めたい。 p.72 わたしの母は動かないし、しゃべらない。目も開けないし、笑わない。それがよかった。 しかし、目の前にいるのは、やはり普通に生きていたあの女性が脳にダメージを負って、何もできなくなった人。 それが今の母で間違いなさそうだった。 p.112 みんながわたしにゴミを投げつけてきた。空っぽのものを見れば、そこにゴミを投げ入れたくなる。それは当たり前のことだった。 でも、わたしは他人のゴミ箱になる気はない。 p.175 すでにそこに母がいないことはわかっていた。ただ、呼吸でもって母の存在を伝えてくれたこの体を、今はもう本当に空っぽになったこの体を、いくつかの言葉で満たしたかった。
  • 2025年8月27日
    アルジャーノンに花束を新版
    アルジャーノンに花束を新版
    不朽の名作と名高いからこそ天邪鬼な自分が避けてきた作品。知人に「読んだことある?」と聞かれて「無いです」と答えたのが悔しく、今更ながら購入。 海外文学も長編小説も苦手だが、この作品は抵抗を感じることなく3日で読み切った。妹との再会シーンにはモヤっとしたが、明るすぎない結末は好き。読むきっかけを与えてくれた知人に感謝を伝えようと決意。 p.111 頁をめくりはじめるとなんだか泣きたくなったけれども、なぜだかわからない。なにか悲しくなるようなことがあったかな? p.216 「近所でいちばん?」その考えが彼の胸で大きくふくらんで、いくら息を吸っても肺の中に十分な空気が入らないように思われた。 p.296 人々が私を笑いものにしていたことを知ったのはつい最近のことだ。それなのに、知らぬ間に私は私自身を笑っている連中の仲間に加わっていた。そのことが何よりも私を傷つけた。
  • 2025年8月25日
    ゆめがきました
    三好さんの絵には言葉にはできない魅力と安心感がある。あたたかいのにつめたくて、楽しいのにさみしい。 発想のユニークさや言葉のリズムの心地良さも相まって、何回読んでも飽きない。 地元で原画を見ることができて嬉しかったのを思い出す。
  • 2025年8月25日
    まきさんのソフトクリーム
    まきさんのソフトクリーム
    休日に早起きして絵本を読む。 『母の友』に掲載された時から好きだった『まきさんのソフトクリーム』が一冊の絵本になって多くの人に届いているのがいち読者として嬉しい。 同じ文章でも絵が変わるとだいぶ印象が変わるなあとしみじみしたり、登場人物の名前の可愛らしさにくすっと笑ったり。 タベルスキーさんって良すぎないか。れいさん、じゃじゃさん、わんこさんはみんな麺類からとっているんだろうか。私の推しはコンボくんとたまお。
  • 2025年8月22日
    鳥の夢の場合
    鳥の夢の場合
    書き出しの1行目で(あ、これ絶対好きなやつだ)と確信した。 最後まで読んで(やっぱり好きだったなあ)と痛感した。 時間、意識、感覚、そういう目には見えないものが言葉となって目の前に立ち上がってきた。 作品全体の温度や手触りもとても心地よかった。 p.3 目を閉じると何も見えなくなった。けど実際には目はまだ、まぶたの裏を見ている。見ることを止めるという機能が目にはない。まぶたの裏は、光がまったくないから見えることがない。だから見えない。けど見ている。 p.51 「正確に言うなら、思い出そうとすると忘れるねん。ぼんやりとした状態のままなら、ぼんやりとしたままつかまえていられる。けど具体的にあのときは、って思い出そうとすると、そこから忘れていく。焦点を合わせようとしたところがたちまち、塗りつぶされてしまう。それって何か、夢みたいじゃない?」 p.75 でもじゃあ夢をみる、という言い方は、こういう感じ方からするとすこしへんな気がする。夢は、みているのではないんじゃないか。そしてきいているのでもなく、さわっているのでもない。それは五感の零番目。五つに分かれる前の感覚。ただただ夢を「覚える」ということ。 p.113 現在をまんなかとして時間を谷折りにし、過去と未来がおなじ方向で重なっているみたいな感覚に変わっていた。過去の到来を想像し、未来を回想するような心地だった。
  • 2025年8月22日
    赤い砂を蹴る
    太宰のお孫さんが書いた小説と聞き、ずっと気になっていた作品。読んでいる間は太宰のことなんてすっかり忘れていた。 私は登場人物に感情移入して没入するように小説を読むことが多いが、この作品は紀行文を読んでいるような、ドキュメンタリー映像を見ているような、俯瞰的な読書体験だった。最後の一文がとても好きだった。 p.22 家に残された大輝の紺色のジャンパーや黒いランドセルが、大輝だけでなく、死ぬまでそれを手放せなかった母の姿を思いださせるように、目の前にあらわれる大輝の姿には、その気配を追い続けていた母の姿がついてまわる。 p.117 その夜は、惣菜でもつまんでさっさと寝ようと思い、駅ビルの惣菜屋に寄った。よく見もせずに惣菜セットらしきものを買って家に帰り、包みをあけたら、パーティー用のオードブルセットだった。誰もいない暗い部屋で、それは不釣り合いに華やかで、母に言ったら馬鹿にされるな、と思ったら、初めてのどの奥が熱くなった。 p.152 「ふたりの死は悲しい。なのに、その死を否定することもできない。それはたぶん、私自身が自分の人生を否定したくないと思ってるからだと思う。ふたりの存在を抜きにした私の人生は考えられないから。ふたりの存在を肯定するためには、死んでしまったことも全部ひっくるめて、肯定せざるをえない、そういうことなんだと思う。」
  • 2025年8月21日
    星が吸う水
    星が吸う水
    性行為にまつわる2篇。村田さんの作品は、生々しい性描写も下品に感じないのがすごいなあと再認識。 p.17 ずっと振り回されていたものを縮小してコントロールできるようになった鶴子は、久しぶりに昼用の薄く短い生理用品を下着に貼り付けながら、ざまあみろと言ってやりたい気持ちになった。 p.95 愛情によって心臓が締め付けられるなら、梓にとっては心臓が性器なのかもしれない。鶴子は、場所すら、足の間に特定しなくてもいいような気がしていた。 p.216 あたしたちは空間なんだ。皮膚に区切られているだけで、小さな暗闇のかけらなのだ。星の光で少し表面が光っているだけで、自分たちは皮膚で区切られた宇宙なのだ。
  • 2025年8月18日
    変半身(かわりみ)
    私は元々ヤバい登場人物や奇妙な物語が好きだが、『変半身』は奇妙を通り越して本当におぞましかった。ラストはページをめくった瞬間「ヒィッ!」と悲鳴を上げそうになった。読後に表紙の絵画をまじまじと見てますます怖くなった。 『満潮』は一言で言うと「夫婦が潮吹きの特訓をする話」だが、下品な文章にならず文学として成立していることがすごい。決して綺麗とは言えないシーンも眩しく思える。 p.79 何かを知るということは快楽なのだ、それが大嘘であっても。 p.109 「伊波が言うみたいに、なにも信じずに生きていくことができるって、本当に思う?信じないことを信じているだけだろ?なにも信仰しないで生きていくことなんてできないんだ、僕らには」 p.134 自分の感覚を言葉にして発したことで、自分だけの淡い夢として消えてしまいそうだった出来事が、世界に記録されている感じがする。
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