大量死と探偵小説

大量死と探偵小説
大量死と探偵小説
笠井潔
星海社
2024年10月23日
9件の記録
  • エイジ
    エイジ
    @eiji1199
    2025年3月22日
  • おちこち
    @ochikochi
    2025年3月12日
  • saka
    saka
    @24cylinder
    2025年3月10日
  • おちこち
    @ochikochi
    2025年3月10日
  • おちこち
    @ochikochi
    2025年3月9日
  • さおり
    さおり
    @prn990908
    2025年3月7日
    ほぼ一気読みしてしまった.面白かったの一言につきる.探偵小説における「死」の意味の捉え方をこういうふうに捉えたことがなくて、ただただ衝撃だったし、物語の「外側」を知る(知っている)ということがその物語をより深く知る手段になるという当たり前のことを思い知らされた.
  • 最終章「大量死から大量生へ」が白眉。第一次世界大戦の、英雄も凡人も等しく無意味なモノとして屍の山へと積み上げられていく経験は、十九世紀までの近代主体的な人間像を〈致命的に破壊した〉。もはや調和へと進歩していく人間を支える理念は失効し、生まれたのが〈二〇世紀的に無個性で凡庸な〉〈名前さえ奪われた、抜け殻のように空虚な私〉である。これは、もはや人間というより〈「人形」〉である。 一九世紀を駆動した近代的理念、すなわち社会主義とナショナリズムは、二〇世紀に至りまがいものへと変質していく。前者はボリシェヴィズム(レーニン主義)であり、後者がナチズムだ。近代的理念という〈「大きな物語」〉のまがいものであるボリシェヴィズムとナチズムが、ハイデガーをはじめとした二〇世紀の主体を惹きつけたのは、対戦の大量死を通過した人間はもはや人間とはいえず〈「人形」〉のような〈空虚な主体性〉を〈過剰な観念で充填しようと〉したからにほかならない。〈解体された空虚な人間主体である群衆は、過剰な観念を必然的に吸引する。過剰な観念は空虚な群衆存在に疑似的な意味を充填し、それを理念的に形式化しようとする〉。このような二〇世紀の全体主義に対して勝利を収めるのは、通常いわれるようにリベラル・デモクラシーではない。リベラル・デモクラシーという十九世紀的観念に擬態したアメリカニズムである。ではアメリカニズムとは何か。それは、〈「大きな物語」〉のような観念を放棄し、大量生産大量消費という〈「小さな物語」の無秩序な集積〉に居直るという、人間の放棄を実態としては肯定しつつ、リベラル・デモクラシーの見せかけによってかろうじて統合している代物である。アメリカニズムは、ボリシェヴィズムやナチズムが〈過剰な観念で充填しようと〉した人間のフェイク性をあっさりと承認し、〈「人形」〉として自己肯定する点で、〈大量死の陰画としての大量生〉の謂である。〈産業廃棄物〉として、マスの生死が無意味化していくなか、その否認と承認の身振りとしてのボリシェヴィズム、ナチズム、アメリカニズムという三項が拮抗する勢力図がかつてあった。そのような状況下で、二〇世紀小説としての探偵小説は書かれた。徹底的に破壊された一九世紀的ヒューマニズムの瓦礫の上に築かれたモダニズム運動という意味で、探偵小説はアヴァンギャルド芸術運動の一翼を担う。しかし他のモダニズム運動が陥りがちな〈絶滅と大衆ニヒリズム〉の手前で踏みとどまり、無意味な死を、犯人の周到なトリックと探偵の精緻な推理という〈「二重の光輪」〉で虚構的に意味化しようとするのである。
  • 柿内正午
    柿内正午
    @kakisiesta
    2025年2月23日
    朝寝坊したのでソローキンは抜き。あまり本読む時間なく、奥さんが試着室から出てくるまでの隙間時間にすこしだけKindleを開いてこれを読んだ程度。
  • 柿内正午
    柿内正午
    @kakisiesta
    2025年2月18日
    あらゆる生き死にを思弁的な操作可能性へと徹底的に抽象化することで、ようやく切り拓くことのできる生きてもいいかという意思がありうる。SFやミステリの「男の子」っぽさを、ただ全面的に切り捨てるのではなく、そこに宿る素朴な切迫についてポジティブに語る理路はありうるだろう。というわけで、いつかはこれを読む。
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