
Sanae
@sanaemizushima
2026年8月24日
43歳頂点論
角幡唯介
読み終わった
もやもやしながら読了。
まず、はじめにのところでエスキモーという言葉が出てくる。差別用語とされているのはけっこう広く知られるところだと思うが、この用語を使うのは何か意味があるのだろうか、と思いながら読むものの、言及はなかった。イヌイットと書いても問題ないんじゃないかと思ったけど、どうなんだろうか。
著者のように命を賭けてというのには全く及ばないが、私も人生の半分は海外に食の旅に出ることをライフワークとしている。今のところ。しかし今後は不明。数は大事じゃないけど、死ぬまでに100カ国を目指しているが、今81。そのネタで自営で職を立てているが、飲食は今どこもよくないし、この円安では難しい。
同じところに行っても発見はいつもあるので、数が増えないならそれはしょうがないと思っている。
来月44歳になるということもあって、読んでみた。はじめのエスキモーで躓いてしまったが第1章は共感した。
「この道を行けば、自分自身だと確信できる何かに出会うだろう。良いとか悪いとかではない。論理や理屈では説明できない。人は、ただ偶然出会った道を肯定し、その道を行くしかないのである。」(p62)
ドイツでパン屋に修行に行ったものの、ドイツ人デカすぎる。日本で平均的身長でも私は小さくて全く使えない。夜勤だし途中休憩ないし、友だちもできない。疲れて休みの日は起きたら夜、、だけど楽しかった。若かったし。その道を決めたからには進むしかないのだ。わかる。
だけど第2章から私にはわからないことがたくさん出てきた。
「他人に話を聞いて、どんなに心を揺り動かされたところで、そこから生まれる言葉は、最後まで解釈の枠を出ない。なぜならば、私は当事者ではないからだ。」(p167)
アレクシェーヴィチや石牟礼道子が好きな私にはわからなかった。
「経験が根拠になければ、自分自身への決定的な説得力を用いず、それが真実だと確信できず、どこか居心地が悪いのだ。」(p167)
食べてきたものをそっくりそのまま作るときと、あ、これに近いやつだなと思って作るときと、私はそんなに意識は変わらない。だって、私が、日本で、作るから。現地への敬意を忘れないように作って、食べて美味しいと思うのが真実だと思うから、これも私はわからなかった。
読者として、読者が今生きる悩ましい社会や人生につなげて考えることができる何かが私には見つけることができなかった。
きっとエスキモーに囚われていたせいです、ごめんなさい。













jaguchi
@jaguchi87
はじめまして。差し出がましいコメントかと思ったのですが、すみません。エスキモーは必ずしも差別用語とはならないはずです。国や地域によって扱いが異なるようです。
もちろんイヌイットの方がより適した言葉である、というのは私もそう思います。

Sanae
@sanaemizushima
jaguchiさん、こんにちは、はじめまして!教えてくださり、ありがとうございます。
ブラックやクィアのように、当事者が使うようになって一周まわって広く使われるようになったことばもありますね。私は使わないけど、日本語だとガイジンもそうかもしれません。
エスキモーに関してもカナダは禁止されているし、当事者の書かれた本や資料があるかどうか、探してみたいと思います。きっかけをいただきました、ありがとうございます!


jaguchi
@jaguchi87
はじめましてなのに余計なコメントをしてしまったかと思ったのですが、返信をありがとうございます! Sanae さんの投稿をいつも楽しく拝見しております。
そうそう、カナダでは差別用語だとされているようですね。少し前に読んだカナダのイヌイットの言語保持に関する本も「イヌイット」で一貫していました。
私ももっと本などでちゃんと調べてみようと思います。ありがとうございます。
