
きん
@paraboots
2026年10月3日

かつて読んだ
しばらくして考え直した
自分の"好き"を言語化し、それを自分とは違う人と共有し合うことで人生を豊かにする、それって素晴らしくない?自分の人生って、捨てたもんじゃなくない?本書を読む中で、そう三宅さんに背中を押される感じがした一冊
???
でもそうかな…そんなに他人と共有する必要ある?
読んでからだいぶ経ってるけど、今でもそう思ってる
本書の例文にある最果タヒさんも言っていたけど、自分の好きと向き合うと、なんとなく辛くなることだってある
好きと対峙すればするほど、その"好き"で繋がりを得た他人と交わり意識すればするほど、何故かその他人と自分を比べて落ち込んだりしないだろうか?
仮に三宅さんがいうように、"好き"が推しと自分だけの世界のものであるなら、閉じられた世界で自分の中だけで語られるものでも良いのではないのか?
むしろ"好き"を明確化する必要もなく、そのままそれを受け止めれば良いのではないか?そうずっと思っていた。
自分の"好き"なんてとるに足らないもの、そう思うことすらあった。
だけど、誰かのブログを読み、誰かのSNSでのつぶやきを見たり、誰かの投稿を見たりして、あ!楽しそう、見てみたい聞いてみたいやってみたい、そう思うことってそういう出会いがあることって、実は生きててそんなにあちらこちらにあるものではないし、そうした出会いが自分の心を豊かにし、今の自分を作り上げてきたんじゃないかと本書を読んでちょっと気がついた。
そうやって考えてみると、三宅さんが言うように、やはり自分の人生捨てたもんじゃないのかも。
真剣に向き合うからこそ、悩み苦しんだりするんだろう
自分の好きを表すことって、やっぱり自己を肯定することなんだろうなぁって改めて
そういう行為を含めて、プロセス自体も大事なことだなぁって感じました
本書を読んでよかった
感謝し、また自分の"好き"を少しずつ言語化してゆければいいなと思う
追記
ぼくは捻くれ者だからかも知れないが、読後2年近く経っていま思うことは、自己をあえて肯定する必要性も怪しいなぁと
あえて積極的に自己肯定することは必要なくて、自分を"認め受け入れること"が、必要?肝要?なんじゃないかと今は考えています



