
白木蓮
@a
2025年8月24日

読み終わった
普通に涙ちょちょぎれました
・『品格』
・ボランティアの役割は「存在すること」である
・当時のマスコミ批評
・長兄・安俊弘と「福島原発事故」
私たちの経験しているのは、大規模な都市機能の崩壊に巻き込まれた<心の傷つき>なのである。
その意味で(心のケア)の問題は、たんに精神医療や精神保健の専門機関にのみ任された役割ではない。(・・・)心のケアは被災者全体に必要なのであり、そのためには被災者と接する業務を行っているあらゆる機関が、心のケアについて自覚的であるべきだろう。
大げさだが、心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか。それは社会の『品格』にかかわる問題だと私は思った。復興の中では補償や財産やローンなど、難しい問題が続出するだろう。ただでさえ、もめやすい事柄である。そこに必ず不公平感が発生してくるだろう。納得のいかない結果に終わった人たちは、自分が尊重されていないと感じるに違いない。
<心のケア>がたんなるかけ声で終わらないために、具体的な方法論が今後ますます必要とされるのである。(安売昌、本書六九頁)
我々工学者は「良きこと」とは何かという工学の伝統的な問いかけを考えるだけでなく、「正しきこと」は何かという問いもまた、同じように視野に入れておかねばならないということではないでしょうか。そして、何がよきことで何が正しきことかは決して自明のことではなく、刻一刻と状況を変える流動的な国際情勢や社会情勢の境界条件・制約条件のもとで、いくつもの衝突する価値観や選択肢の中から選択しなくてはいけないのです。また、影響が世代、地域を越えて不可逆に起きる21世紀的 Complex な技術社会において、エンジニアが独断で選択するということも不公正なことというべきでしょう。しかし、エンジニアは多くの利害関係者と対話をしながら解決策をともに探索しなければなりませんが、いったんその方向性が明らかになったときはそれを具現化するのもエンジニア、という要の位置にいます。その社会への影響力の大きさに思いをいたし、基礎科学に立ち返りながら、エンジニアとしての専門分野に対する理解を深め能力を高める努力をつねに続ける謙虚な姿勢が、「公益」を実現するための工学の根底になければならないことを、今回の事故で改めて肝に銘じたいと思います。
(安俊弘「公益と工学」、GONERI シンポジウム2011「東京電力福島第一ー原子力発電所事故を踏まえ原子力教育研究を再考する」特別講演より)





