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読書は瞑想に似ている。
文字を追い、情景を想い描いていると、周りの騒音が消え、内へ内へと、深く、自然に集中している。
とても貴重で、贅沢な時間だ。
- 2026年9月28日
こちらあみ子今村夏子読み終わった読む人にとって、随分と印象が異なるのかも知れない。 あみ子を自由の象徴のように受け止める人もいれば、他人と同じでない事への憧れのように感じる人もいるかも知れない。 僕はと言えば、終始不安だった。あみ子本人すら自覚していない自らの状況に、読めども読めども明るい兆しが見えず、胃の辺りにずっともやもやとした不安を抱えたままだった。 あくまで僕自身の価値観での話ではあるけれど、母も、父も、兄も、のり君も、そしてあみ子も、誰一人として幸せとは思えないまま、物語は終わってしまった。 ハッピーエンドが全てだとは考えていないけど、近頃メンタルの耐久値が特に低くなっている僕は、しばらくこのもやもやを引き摺ってしまうだろう。 - 2026年9月17日
今夜、すベてのバーで中島らも読み終わったこの作品を初めて読んだのは、恐らく20年近く前だと思う。 その時買った文庫本は自炊してPDFファイルとして今も手元に残しているけど、やっぱり紙の本として欲しくなり、また買ってしまった。 大好きな作品であったことは憶えているのに、鬱を患ってから過去の記憶が曖昧で、その内容はすっかり忘れてしまっている。 ところが、冒頭にある古代エジプトの小話を見た瞬間、当時この4行で心を鷲掴みにされたことを思い出した。 舞台は病院での入院生活がメインなのに、登場人物のキャラクター性や掛け合いなどがコミカルで、心が重くなるようなことはなく読める。 それなのに、終盤で急に涙を誘ったと思ったら、爽やかな締めくくりで、いい意味で後味を残さず、さっぱりとした気分にリセットした状態で本を閉じられた。 お酒が好きな人もそうでない人も、アル中の人もそうでない人も、ぜひ一度読んで欲しいと思う。 - 2026年9月9日
コンビニ人間村田沙耶香読み終わった芥川賞の発表時、そのタイトルから興味を持ちつつも、読むに至っていなかった作品。 数年前の事だと思っていたら2016年の作品で、 10年も経っていた事に愕然としてしまった。 コンビニというどこにでもある存在を舞台に、「普通」とは何かを訴えつつ、経済格差や外国人労働者に頼る現代の社会問題も見え隠れする。 どこか歪でありながらも正しく機能していた歯車が、ある時を境に噛み合わなくなる。そこからの展開は一種のサイコホラーの様にも思えた。とは言え、主人公の視点からはただ淡々と場面が流れていくだけで、悲壮感は感じられない。 評価に違わず、これぞまさしく小説の醍醐味といった満足感を得られる作品だった。 - 2026年9月3日
西の魔女が死んだ梨木香歩読み終わった時折SNSで話題に上がっているのを見て興味を持っていた作品で、古本屋で物色している時に目に留まり、早速手に取ってみた。 児童文学だけあって、とても読みやすく、あっという間に読み終えてしまった。 とは言え、「児童文学」というカテゴライズで敬遠してしまうのはあまりにも勿体無い、評価に違わぬ、とても良い作品だった。 舞台のほとんどは、「おばあちゃん」の家やその周辺という狭い範囲なのに、とても豊かな表現で風景が描かれている。色鮮やかで、瑞々しく、清々しい景色が目に浮かぶ。 都心で暮らし、溢れる情報やモノに辟易としている僕にとっては、この「おばあちゃん」の生活スタイルは理想的で、尊い。 「子供の頃に読んでおけば」という言葉が頭を過るけど、今感じているものはきっと子供の頃には気づけなかっただろうとも思う。今の僕にこそ必要な作品だった。 - 2026年8月29日
沈黙遠藤周作読み終わった一時期、遠藤周作氏の作品にはまり、読み漁っていた時期があった。その時にまだ読んでいなかった『沈黙』を古本屋で見つけ、手に取ってみた。 読み進めるごとに、待ち受ける結末を案じ、ストーリーにぐいぐいと引き込まれる。 僕は学生時代から世界史が好きで、その延長で宗教に興味を持ち、キリスト教に限らず宗教全般について、宗教とは何であるかを考えることが多かった。 そうした中で、僕にはアニミズムの考え方が近いと感じるようになった。 作品の後半で、沢野忠庵が「この国は沼地」と表現し、キリスト教で言うところの「神」と日本人が信仰した「神」は別物であると言う件は、日本の伝統的なアニミズムを考えると、すとんと腑に落ちた。 キリスト教の「神」を日本語で「神」と訳すこと自体、語弊があるかも知れない。 また、宗教について考える中で、教団や教義の存在はさして重要ではなく、信仰心さえあればいいのではないかと考えるようになった。 作品終盤の主人公のモノローグは、きっと同様の考えなのだろうと共感できた。 映画化された作品についても、ぜひ観てみたいと思う。 - 2026年8月16日
TUGUMI吉本ばなな読み終わったあの時、この『TUGUMI』に触れたことで、僕の読書習慣が始まった。 当時、現国の教材で文章の一部が取り上げられていて、何となく、本当に今思い返しても理由はよくわからないけど、何となく読んでみたくなって手に取ったのがきっかけだった。 ところが、今回再読する際、作品の内容を完全に忘れてしまっていた。 今は寛解しているけど、僕は過去に10年ほど鬱を患い、それ以前の記憶が所々抜け落ちた様に曖昧になっている。 映画や本、果てはゲームのストーリーなど、過去に触れた記憶はあるのに、その内容を全く思い出せないのだ。 でもそのせいで、もう一度、初見の様な新鮮な気持ちで読むことができた。 残りのページ数が少なくなるのを左手で感じ、読み終える事への寂しさが募る。でも、読み終えた際には、清々しく、満たされた気分になる。 きっと僕は、今後何か辛い事があった時に、度々この作品を手に取ることになるのだろう。 - 2026年8月9日
新編 銀河鉄道の夜宮沢賢治読み終わった恥ずかしながら、『銀河鉄道の夜』を読むのは、記憶にある限り、初めてだ。 『よだかの星』や『セロ弾きのゴーシュ』は幼い頃に何らかの機会で触れているはずだけど、それもやっぱり憶えてない。 古本屋で本を物色していた際に目にとまり、丁度良い機会だと、読む事にした。 結論から言うと、僕は、童話というか、ファンタジーな作品はあまり得意でないのかもしれない。 恐らく、作品の内側から見る様に没頭することができず、「本を読んでいる」という外からの意識が消せないのだと思う。 一方で、『ビジテリアン大祭』はそうした感覚はなく、楽しめた。 でも、そうした気づきも、大人になり客観的に自己分析できようになった今だから気づけたのかもしれない。 そして、10年、20年後に読み返したら、また違う気づきを得られるかもしれない。 また手に取る日が来るまで、本棚で待機してもらおう。 - 2026年7月16日
ハンチバック市川沙央読み終わった職場の休憩室で読み始めたものの、冒頭から数ページに渡るポルノグラフィーな描写に、人目が気になり、閉じてしまいたい衝動に駆られる。 でも、読み進めていくと、鍋の中でどろどろしたものがグツグツと静かに煮えているような、その一方で、鍋底では焦げてこびりついている様な、そんな熱量を感じ、一気に読み進めてしまった。 - 2026年7月12日
キッチン吉本ばなな読み終わったとても、居心地の良い作品だった。 劇的な感動とか、人生を考えさせられるとか、そんな仰々しさや押し付けがましい話は全くなく、この読書をしている時間や空間丸ごとがとても居心地良く感じた。 辛い事はある。 でも、それが延々と続くわけではない。また辛い事があるかも知れないけど、それだけじゃない。 そんな、柔らかい希望を感じさせてくれる。 一変してポジティブに生きられるような変化は生じないけれど、少し立ち止まり、冷静になって、この気持ちを思い出せる様にできたらいいな。 - 2026年7月2日
檸檬(れもん)梶井基次郎読み終わったこれまで意識していなかったありふれた光景の描写が、視点を変えることでこんなにも違った魅力を放つのかと気付かされる。 特に『交尾』の中の一文「この地球にはじめて声を持つ生物が産まれたのは石炭紀の両棲類だということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気がしないでもない。」には、目から鱗が落ちた。 また、『ある崖上の感情』の中で語られる、外から見る窓の中の描写が、パノラマに広がる風景からその一部を四角いフレームに切り出す写真の楽しみと同様に、四角い窓枠で切り取り並べているかの様で、心を打たれた。 一方で、『愛撫』の中で描かれる猫に対する扱いは、100年近く経った現代と何ら変わることがなく、猫の肉球を瞼に押し当てる描写には、思わずくすりと笑みが溢れてしまった。 - 2026年6月1日
こころ夏目漱石読み終わった中学生か高校生だったかの国語の教科書に夏目漱石の作品があり、当時の僕は古い文体に苦手意識を持ち、それ以来、その苦手意識だけを記憶したまま漱石の作品を敬遠していた。 最近になってその事に気づき、改めてこの『こころ』を手に取ってみたら、何のことはない、するすると読めるし、続きが気になり、夢中で読み終えてしまった。 子供の頃に苦手だった野菜が、大人になってから食べたら好物になった、そんな感じ。 終盤にかけての先生の考えに強い共感を覚え、時代は違えど今と通ずるものがあるのだと、人の心の普遍性に安心感の様な感慨を覚えた。 - 2026年5月3日
影裏沼田真佑読み終わった
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