芙蓉
@fu_rong_28
忘れっぽい。
- 2026年8月17日
熱帯森見登美彦読み終わったp.9「汝にかかわりなきことを語るなかれ しからずんば汝は好まざることを聞くならん」 物語の奥深くに入り込みすぎると読み終わったときにここは本当に自分の元いた世界なのかちょっと自信がなくなる。昔はそんな読書体験をよくしていたことを思い出した。 「熱帯」は久々に本の中に迷い込んでいく感覚を体験できた本で、やっぱり森見登美彦の本ではこういうことが起きるんだと思った。 私は今でも「宵山万華鏡」を初めて読んだ日のことが忘れられない。 p.85「この世界のあらゆることが『熱帯』に関係している」 p.91「私の『熱帯』だけが本物なの」 p.137「我々はそれぞれに『熱帯』と出会う』 p.138「我々はまだ読み終えていないということなのだ」 p.208「何もないということは何でもあるということなのだ。魔術はそこから始まる」 p.289「人にはそれぞれ座るべき椅子があるからさ」 p.351「見ようとしなくては見えるものも見えない」 p.484「この門をくぐることを決めたのは君自身なのだよ」 p.512「物語ることによって汝みずからを救え」 p.523「すべての門は君だけのために開かれている」 もう一つ思い出したことがある。 私は幼少期夜眠るのが怖かった。 私の眠れない夜、おそらく父も疲れていて絵本を持ち上げるのが億劫な夜、父はよく私を主人公にしたデタラメな冒険譚を語ってくれた。 その物語が大好きで、話が終わるともう一回とせがんだ。父はテキトーだからすでに思い出せないと言う。 今じゃその物語を私も思い出せない。 語り手のいないあの物語の中の私はどうしているだろう。 「熱帯」は「千一夜物語」だけじゃなくて所々に「不思議の国のアリス」も感じる。 そもそも異世界に迷い込んで元の世界へ戻ってくるというのは大昔からある物語の型。 まぁ元の世界が本当に「元」の世界かは別として。 p.534「ーおまえはどこへ戻ってきたのだ?」 - 2026年8月17日
読み終わったp.231「民俗学は孤独な学問だ。調査と研究の果てに見つけるべき答えは、自らの中にしか存在しない。」 p.233「見える絵が見えなくなるとき、見えない絵が見えてくる」 蓮丈那智を見ていると分野は違えど自分が学生の頃に教わっていた凛とした女性の教授に「その根拠は?」って詰められたのを思い出す。 人文学ではこの根拠を出すのが難しいからこそ重要だと思い知った。 社会人になってから民俗学ももう少し齧ってみたかったなと思い始めてフィクションで民俗学を扱うものをちょこちょこ読むようになった。 民俗学は歴史学の一部とされる見方がある。 ただ文献史学と違って為政者の残してきた資料ではない口頭伝承や伝説の類まで扱うことができるのが、文学研究と通じていて私は好きなんだと思う。 そういう懐の深さを感じる民俗学は確かに小説やミステリーにも馴染む題材なんだろうなと改めて思った。 - 2026年8月9日
女の園の星(3)和山やま読み終わった変な漫画というのは素晴らしい。 自分の通ってた中学校の校舎の匂いをなんとなく思い出す。この漫画は高校だけど。 p.122「おじいちゃんと猫は相互扶助が完成してんだよ あとはお前が頑張れよ」 読んだ本や漫画の気に入ったフレーズをメモしたくて書いてるけど、いつか漫画の内容を忘れた頃にこのメモ読み返しても何のこっちゃ分からなくなりそう。 - 2026年8月6日
往復書簡湊かなえ読み終わった久々に帰った実家の本棚から持ち出して再読。 初めて読んだのはもう随分昔のことで内容もかなり忘れてたけど、当時も一気読みしたことを思い出した。 この本は書簡形式で語られる短編集。 手紙は本来宛先の人間だけに読ませることを前提に書かれたもの。 それを赤の他人である自分が勝手に覗き読んでしまったようなドキドキ感。 最初の数ページは他愛もない他人の内輪ネタなんかが書いてあると思いきや… p.19「この手紙の送り主は本当に悦ちゃんなの?」 何だか急に雲行きが怪しくなってくる。 小説なのは分かっているのに他人の秘密を知ってしまった罪悪感。 なのに続きが気になって頁をめくる手を止められない。 離れた場所で別々の環境で暮らす書き手たちが昔のとある出来事を追憶しながら手紙を綴る。 読み進めていくとどうやら各々の間でその出来事への認識がズレているのが見えてくる。 当時は同じ環境で同じ時を過ごしていたはずなのに。 誰かが誤解しているのか、単に各々の見え方が違っただけなのか、それとも誰かの手紙に嘘があるのか。 p.103「頭のいい人が「こうだったんじゃないか」と仮説を立てて、「それもあり得る」となったら、仮説は事実になってしまうことをわたしは初めて知った。」 p.105「でも、仮説で事実を知ったり、思い出が変わることだってあるんだよね。」 私と友人たちとのあの頃の思い出も、もしそれぞれが語ったら全く違う話になってしまうことがあるのだろうか。 今度友人たちと久々に小旅行に行く予定がある。 ちょっぴりこわくてすごく楽しみだ。 - 2026年7月10日
営繕かるかや怪異譚 その弐小野不由美怪異を祓うのではなく、怪異と折り合いをつける。 ただ存在する怪異に対して、人間がきちんと暮らせるよう家を修繕する。 だから必ずしも怪異が去るわけでもない。 営繕を生業とする主人公が淡々と家と向き合う様子に毎度ほっとする気持ちと、分かりやすい解決策が存在するわけじゃないことに不安も感じる。 慌ただしい都市とは切り離されたような古い城下町の 古めかしい家で起こる、静かでいながら確かに存在感を醸す怪異たちに日本怪談のじめっとした空気を感じてとても良い。 主人公以外の登場人物たちも怪異に魅せられたり向き合ったりする人間味が面白い。 建物を、道具を、暮らしを、人との繋がりを大切にすることに思いを馳せるような読書だった。 ・魂やどりて p209「育もこれまでさんざん家を弄ってきたが、「手入れ」という感覚はなかったことに気づいた。」 一人気ままな暮らしでつい雑な日々を送りがちな自分にも刺さる一言だった。 - 2026年6月30日
プロジェクト・ヘイル・メアリー 下アンディ・ウィアー,小野田和子読み終わったライランドの壮絶な困難を粘り強く解決していく姿勢とユーモアのある人間性は「火星の人」のマークと共通している。 でもライランドは科学者だけど宇宙飛行士じゃない。 宇宙へ行くことを自分で選んだ人間じゃなかった。 自分が宇宙船に乗った経緯、自分が臆病者だったこと、死ぬことへの恐怖、その全てを思い出したときの彼にスーパーヒーローとは違う人間味を感じた。 ロッキーとの関係性もライランドは保護者的な立ち位置にいるわけじゃない。 ロッキーの能力に頼って弱音を吐けるような対等でかけがえのない友だちでいるのがとてもすてきだった。 p.288 「きみはすでに考えを持っている。質問ではない。ぼくはきみを知っている。きみはすでに考えを持っている。考えをいう」 絶望に打ちひしがれているときに自分を信じてこんな言葉をかけてくれる友人が側にいるのは希望だ。 ライランドにとっての結末もハッピーエンドだったと思う。しあわせ、しあわせ、しあわせ! ロッキーは本当にいい奴だ。 その一方で私はストラットの孤独が気にかかる。 p.351 「いまのわたしたちにあるのは〈ヘイル・メアリー〉だけ。どんなに小さかろうと、成功率を高める要素があるなら、わたしはどんな犠牲でも払う。」 彼女はその後どんな人生を歩んだんだろう。 映画には原作とはまた違う展開があったし、キャラクター性や感情の部分を俳優さんの演技で観れたのも良かった。科学的な描写に至っては自分の想像力に自信がないから先に映画を観たことは失敗じゃなかった。 - 2026年6月8日
女の園の星 2和山やま読み終わった登場人物みんな変な人。 自分も読んでてて変な声で笑ってしまう。 何年も連絡取ってなかった中学時代の友人が唐突に何の脈絡もなくクワガタボーイのLINEスタンプを送ってきたことがある。 あの子もこの漫画の中にいそうな子だったな。 p.130 「自習」 生徒みなこの二文字を「自由」と読み混沌とした空気をつくる 遠慮を知らない小さな世界は大人になって価値を知る ここにいる少女たちはまだそれを知らない - 2026年6月5日
本なら売るほど 1児島青読み終わった若い古本屋とお客さんと本にまつわる物語。 心温まる話から本好きにとってはギョッとするエピソードまで詰まった一冊。 本の流通寿命は意外に短い。 買うか迷っているうちにあっという間に版元品切れだの絶版だので新刊書店では見かけなくなる。 本屋にも図書館にも古本屋にも棚の面積には限りがあって無限に本を置けるわけじゃない。 自分が出会ってときめいた本は積極的に本棚へ迎えていきたい。 でももし私が何らかの理由で急に本を手放すことになったら私の本たちはどうなるんだろう。 p.33 「本読みの心理は複雑なのさ 心ない人に買われるくらいなら心ある人に捨てられたい」 これは初めて聞いた感覚で衝撃を受けたけど腑に落ちた。 そういえば子供の頃父親の仕事部屋に忍び込んで宮尾岳の漫画「並木通りアオバ自転車店」を読むのが好きだったのを思い出した。 自転車屋とお客さんと自転車にまつわる物語だった。 大人になってから接客業に苦い思いを持つようになったのに、それでも小売と客の話が好きなのかと自分に少し驚いた。 - 2026年5月31日
プロジェクト・ヘイル・メアリー 上アンディ・ウィアー,小野田和子読み終わった「火星の人」と同じくポップなキャラやテンポのいい語りが全体を流れるからこそ、ふと浮き彫りになる孤独に息がとまる。 でも今作はそれ以上に孤独な者同士がついに出会ったときの驚愕と希望の言葉が印象に残った。 p.226 「人類は孤独ではない。ぼくはたったいま、われらが隣人と遭遇したのだ。」 p.396 「なあ、きみはもうひとりじゃないぞ、バディ」とぼくはいう。「ぼくら二人ともな」 一方で地上にも孤独な人間がいる。 一つの信念のために他のすべてを切り捨てる彼女に魅了される。 p.452 彼女は肩をすくめた。「わたしたちはみんな犠牲を払わなくてはならない。救済を確保するためにわたしが世界に代わって鞭打たれる少年になる必要があるのなら、それがわたしが払うべき犠牲よ」 - 2026年4月27日
バーナード嬢曰く。 (8)施川ユウキ読み終わった改めて私はこのシリーズが好き。 昔このシリーズを読み始めた頃に、当時身近だった人からこの漫画の批判的な感想をかなりストレートな表現で言われたことがある。 その人のことを尊敬していたからか自分の感想に自信を持てなくなりそうだった。 そんな自分が嫌で急いで最新刊まで揃えて読んだ。 頑張って本を読みたい人、感想をカッコつけちゃう人、喋り出したら止まらない人、いろんな人が出てきてみんな楽しそう。 好きな本を合わなかったと言われたときの小さなショックの発言まである。あるあるなんだな。 私はこの漫画が好き。 ただ感性は人それぞれ。それだけのこと。 最新刊が出るたびに思う。 p.130 「小説がすごかったのではありません。 あなたの"読む力"がすごかったのです。 あなたが、それを救いとすると決めただけなのです。」 私の本棚は私にとって世界でいちばん最高な本棚。 私にとってつまらない本は一冊もない。 - 2026年4月23日
プロジェクト・ヘイル・メアリー 上アンディ・ウィアー,小野田和子読み始めた映画を観る前に原作を読む前に「火星の人」を読みたいという謎の遠回りから始まったSF月間。 「火星の人」を読んでる途中に自分が想定よりも遅読で上映期間が想定よりも短いことに気づく。 SF映画はIMAXかDolbyで観るべしという信念のもと先に映画を観た。 優れた名作は映画の後に読んだって面白さが損なわれるものじゃないでしょう。 - 2026年4月23日
火星の人〔新版〕 下アンディ・ウィアー,小野田和子読み終わったp.254 「ぼくは、きょう死ぬかもしれないという、きわめて現実的な可能性と向きあっている。気分がいいとはいいにくい。」 上巻に続き窮地を乗り越えては窮地に陥る。 相変わらずログのユーモアが軽やかで時折孤独。 脈絡のない不意打ち危機もなければご都合主義的な救われ方もなし。 地に足着いた科学的ハプニングが淡々と続いて、その度にマーク・ワトニーは全力で生き抜く。 登場人物はそれぞれの立場がありながらもただただマーク・ワトニーを救うために全力を尽くす。 p.303「きょうは人生最良の日だ。」 この言葉を読めてよかった。 - 2026年4月8日
- 2026年4月8日
火星の人〔新版〕 上アンディ・ウィアー,小野田和子読み終わった彼と会話しているかのような軽妙でポジティブな語り口は面白いんだけど、それがふとこのログを書いている彼の孤独を浮き彫りにしているように感じられて胸が締めつけられる。 p.168 オーケイ、落ち込むのはここまで。ぼくは現に話をしているーこのログを読んでくれている人と。一方通行気味だが、しょうがない。ぼくは死ぬかもしれないが、かまうもんか、ぼくがなにをいいたかったか、だれかが知ってくれれば本望。 - 2026年3月27日
- 2026年3月27日
完本酔郷譚倉橋由美子読み終わった・海市遊宴 p.111 「それには没入法と移転法とがある。」 慧君は自分でも訳のわからないことを言ったが、前の方法なら目の前にあるものの中に入っていくとそこが異境である。後の方法なら、こちらから動いて測りがたいほどの距離を飛び、異境に入る。 - 2026年3月11日
完本酔郷譚倉橋由美子読んでる
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