忘却の野に春を想う
10件の記録
socotsu@shelf_soya2025年9月8日心に残る一節"振り返れば、とにかく民族とか国家とか宗教とかイデオロギーとかアイデンティティとか自分を縛るすべてを振りほどきたかった私にとっては、「チッソは私であった」と覚醒の声をあげて、荒野の預言者の如きたたずまいで目の前に現れた緒方さんは、十分に贅戒の対象でした。 群れたがるのは近代の羊たちの習性でしょう。そんな習性が実は自分にもあることを知っているから、新たな群れを生みだしそうな存在を必要以上に遠ざけてきた。たったひとり荒野に立って、自分自身の声をもって、群れ社会の囲いに穴を開ける単独者と、群れの真ん中に立って、大きな声を放って、囲いの壁を厚くしていく者との違いもよくわからなかった。つまり、私という器には「野生」とつながる回路(もしくは、穴)はなかったというわけです。" p.110 "そして、さらに、こんなことも思うのです。たったひとりの緒方正人、たったひとりの石牟礼道子は、やっぱりのみこまれそうで怖い、でも無数の緒方正人、無数の石牟礼道子ならいいなと。無数の狐、無数の鹿、無数の狼、無数の生者、無数の死者、無数の命、無数のケモノどもが、それぞれに数字には変換できない名を持って、むやみに群れず、つるまず、奉らず、ひそかな声を行き交わし、行く先々でそれぞれに土地の鳥獣草木虫魚や小さきカミたちとひそかに歌い踊って、あちこちでひそかなはじまりを予祝して、無数の反閇の静かな地響きで、この近代という名の澱んだ水の底を踏み抜くのだと。" p.111
socotsu@shelf_soya2025年9月8日読み終わった近代社会への、植民地主義への批判の書。そう一言で言い切るのを躊躇うような、さまざまな事例を非常にハイコンテクストというかわかっている人たち同士が投げかける、飛躍がある手紙のやり取りなので、石牟礼道子さんや『苦海浄土』に関する部分は、直近で読んだこともあり、ああ、とある程度納得しながら読み進められると同時に、注がつくようなさまざまな他の話題については自分の不勉強により、引き続き追いつけていない部分もあるが、読めてよかった。「みずからの身体感覚とことばとの間の亀裂」について考える。 梨木香歩さんの『春になったら苺を摘みに』の最後の方をなぜか思い出している。











