自由が上演される

7件の記録
- ハム@unia2025年6月12日読み終わったジャック・ランシエールの思想に触れるのは初めてで印象に残った。 コンセンサスは聞くべき声を決めてしまうためにそれ以外の声を聞こえないようにしてしまう、 教育の非対称性と、知を体系化して教えるという構図がそもそもナンセンスだ、 あらゆる声に耳を傾けることで不和を顕現させることが必要、社会において不和はむしろ不可欠とする、など興味深いものが多い。 不和を絶えず発見し続けること、そしてそのうえで自由を可能にする教育を見出すことができるか、それを上演という概念でのみ教育が可能であると説明している。 ランシエール他、ハイデガー、ラバルト、ナンシーと言った思想家を引き、演技と教育を繋いでいくのは新鮮に映った。 〈教育における上演性の徹底、上演を上演することで、舞台上と観客との非対称性を保ちつつ、しかし観客の知性を舞台上の知性に従わせることなく自由に戯れさせなければならない。〉 つまり、上演が通常見落とされてしまうなにものかを現れさせ、なんらかの意味として迫らせる。 世界とは本来摩擦というズレを伴うもので、不和と向き合うことは必然。 ここに自由が立ち現れるという中動態的な視点が見えるのもおもしろい。 教育における自由を考えるとき、自由というパワーワードで語られるのはむしろ不自由だよなと教育に限らず自由の難しさを痛感するところを、ひとつの切り口として演劇論で考察するのはおもしろい視点で、新たな関心領域を多くもたらしてくれた。
- izy@izy2025年3月11日かつて読んだざっくり言えば「自由とはなにか」を論じた本だけど、アプローチがユニークで、演劇教育(「演劇のスキルを身につける教育」ではなく「演劇を手段として用いた教育」)の現場で遭遇した様々な自由/不自由についてどのように考えればよいのかという問いが出発点になっている。だから本書は演劇論・教育論でもある。 「自由に演じてください」という言葉には、原理的に不自由が含まれている。一見、自由を尊重しているようでいて、自由を強いるという矛盾、また自由を実現するために他の自由を犠牲にしなくてはならない状況や、従属的主体の形成といった自由の逆説をめぐる問題を理論的に考察し、具体的経験と往復しながら明晰に論が展開されていく。
- ふるえ@furu_furu2025年3月5日読み終わった今まで思っていた自由に対する理解とか、自由を作ろうと思っていた自分の考えがだんだんと打ち砕かれる感覚でうわ、そういう考えかたもあるよな、いやたしかに、ううん?という連続。楽しい。