サッカーの詩学と政治学

サッカーの詩学と政治学
サッカーの詩学と政治学
小笠原博毅
有元健
人文書院
2005年10月1日
4件の記録
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    @moreshi
    2026年2月17日
    「対戦相手との境界線を人工的に作り上げ、強化し、排除と包摂を繰り返しながら、しかしその境界は侵犯される事を待っている。 だってピッチの上には必ず敵のチーム選手がいるし、反対のゴール裏には敵チームのサポーターがいる。空間を共有することを許すことから、このゲームは始まるからだ。参加が前提。 そして鮮やかに時間と空間を切り裂いてゴールが決まるとき、たとえ敵であっても賞賛のため息を惜しまない。いつでもではないが、惜しまない。」p253 国の代表同士のスポーツ競技の時に熱くなりすぎた時には思い出したい文章
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    @moreshi
    2026年2月11日
    「保守党議員ノーマン・デビットの悪名高い「クリケット・テスト」の例を思い出してみよう。 パキスタン系イギリス人はイングランドではなくパキスタンを応援するのだから、その「母国」に帰ってもらっても一向に構わない。むしろ帰ってくれという、醜悪な同化政策の言説だ。」p148 似たようなこと言ってる政治家が今現在の日本にも存在しているってのは辛い現実ですわ
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    @moreshi
    2026年1月30日
    「それはリバプールやエバートンのファンを侮辱するために多くのチームのファンが頻繁に用いた「I’d rather be a Paki than a Scouse」というものだ。 これは文字通りに訳せば「リバプール野郎になるぐらいならパキスタン人のほうがましだ」という意味である。 「パキ」とはパキスタン人を表す蔑称である(あるいはサッカーの文脈では広く南アジア系移民を表す蔑称と考える事ができるだろう。) 明らかなことだが、このチャントが相手を侮辱するものとして成立するためには、「パキ」があらかじめ軽蔑の対象として、敵対する両方のファンに合意されていなければならない。 つまりこのチャントは、白人が支配するサッカー文化、そして社会一般における南アジア系移民に対する軽蔑視という人種の序列が前提となっているのである。」p9~10
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    @moreshi
    2026年1月8日
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