差異と反復 上
16件の記録
チョコ次郎の夏@CircusInMyHead2026年9月27日ふと思い出した昨日記した『〈フェミニン〉の哲学』の著者であられる、ゼミの後藤浩子先生が二年間の海外研修に行かれることになった。 その翌年から、ドゥルーズの翻訳者であられる、財津理先生による『差異と反復』の講義を本腰を入れて聴くようになった。 その前年に、ドゥルーズの『シネマ1』の翻訳者でもあられる財津先生に、「シネマのモンタージュ(編集)について講義してくれ」、と頼むと、「君は蓮實重彦を読むのか」と訊かれた。「読みます」と答えると「蓮實は『シネマ2』での宇野邦一の誤訳を指摘しているが、それはお門違いだ」と仰られた。 折しも、私は受講に本腰を入れ始めた年から、後藤先生からのアドヴァイス通り、誘惑の多い街から、大学のある田舎へと引っ越した。財津先生の講義を聞くことも後藤先生からの忠告であった。映画ばかり観て、いい気になっていた若造が、ようやく勉強を始めたのである。




ともろう@tomororz-03062026年5月30日まだ読んでる今日の『差異と反復』。 「わたしたちは、「私と同じようにやれ」と言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちにとって唯一の教師は、わたしたちに対して「私と共にやりなさい」と言う者であり、この教師は、わたしたちに、再生するべき所作を提示するかわりに、異質なもののなかで展開するべきいくつかのしるしを発することのできる者なのである。」(74〜75頁)




ともろう@tomororz-03062026年5月30日読み始めた気まぐれに超弩級に面倒な本を読み始める。 「哲学の書物は、一方では、一種独特な推理小説でなければならず、他方では、サイエンス・フィクション〔知の虚構〕のたぐいでなければならない。」(15頁) 「わたしたちは、どの個体化も非人称的であり、どの特異性も前個体的であるひとつの世界を信じる。《ひと》、それは何と素晴らしいものであろうか。そこにこそ、あのエレホンから必然的に派生するサイエンス・フィクションというアスペクトがある。この書物が現前させるべきはずであったこと、それは、以上からして、神のものあるいは世界のものでもなければ、わたしたちのもの、すなわち人間のものでもないような、或る一貫性へのアプローチである。その意味で、この書物は、ひとつの黙示録的な書物になるべきはずのものであった(時間のセリーにおける第三の時代)」(17頁)









