ラカンによるレヴィナス 他者と死者 (文春文庫 う 19-12)

ラカンによるレヴィナス 他者と死者 (文春文庫 う 19-12)
ラカンによるレヴィナス 他者と死者 (文春文庫 う 19-12)
内田樹
文藝春秋
2011年9月2日
3件の記録
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年4月9日
    「記号が、何ものをも意味しないでただそこにある」ということに機械は耐えることができない。機械はそれを何か既知のものに同定するか、あるいはまったく無視するか、どちらかを選ぶ。凡庸な知性はある意味で機械に似ている。というのも、凡庸な知性もまた「何も意味しない記号」に遭遇すると、既知のものと同定するか、あるいは無視するか、どちらかを選ぼうとするからである。 「記号が何ものをも意味しないでただそこにある」とき、その決定不能のものを前に、判断中止をしている「私」を維持すること、それこそすぐれて人間的な能力であり、それこそが人間の人間性を基礎づける、ラカンはそう考える。 …… 私たちは「記号が何ものをも意味しない」ことに耐えることによって、「もう一つ次数の高い思考の準位」へ進むことができる。 (p.126) 判断するとは、機械になるということ。 「ありのまま」の一面を、自己の欲望に 見合うように切り取る。 「何も意味しない記号」の豊かさは、 そうやってあっさりと失われている。 「時間がない」という思いは、そのまま 時間の否定を意味する。 極論を言えば、「時間がない」という思いが、 すでに生命のない物どもを手に入れさせようとしているということ。 手に触れるすべてが黄金と化してしまうミダス王のごとく。 「時は金なり」というダブルミーニング。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年3月26日
    だから、私はこの「まえがき」において、本書の全体像を予告することができない。もし、「まえがき」を書きつつある私が、本書の「あとがき」を書くときと、学術的な準位において同一人物であるとしたら、おそらくこの本には書かれる意味がない。 (p.13) 読みはじめる前の自分と 読み終わったあとの自分。 いつも、別人であることを願う。 本を手にとるときは、少なからず そういった希望を抱いている。 その過程において、何も感じられないのであれば、そこに時間は流れていない。ただ文字だけが、 空間として広がっているだけの状態。 何かを感じるならば、感じているその自分は もとの自分の皮膚が外殻となりつつあり、 かさかさとむず痒く思うならば、その抜け殻は 愛すべき過去となっている。 願わくば、その抜け殻のポーズが、 振り返りたくないほどのダサさであることを。 "I'm a fuckin' walkin' paradox —No I'm not" (『Yonkers』 Tyler, The Creator)
  • Yusei
    Yusei
    @Yusei
    2026年1月20日
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved