タフラブ 絆を手放す生き方

11件の記録
- 木村久佳@kuCCakimura2025年6月22日読み終わった蟹ブックスで開催された、クレオパトラブックス・クレオさんの対面選書に参加してきました。いわた書店などの選書と違って選書してくださる方が目の前にいるのはなかなか緊張するものですね。「ココロの処方箋」として紹介してもらったのがこちらのタフラブです。 どうしても悩んでいることがあり、いつも他人に話してみると否定されるのでどうしたもんか…でもせっかくの機会だし…と思い切ってクレオさんにお話ししたところ、こちらの本を選んでくださいました。ばっちり見事に方向性を示してくれました。 回答を出してくれるわけではなく、結果どの選択肢を選ぶかは自分次第ですが、それでも、背中を押してもらえたことでこれからの自分の行動も勇気づけられた気がします。クレオさんももちろん、本って偉大ですね…。 このほかにも選書していただいた本もあり、さっそく読んでみたいと思います。
- r@teihakutou2025年5月12日読み終わった長年感じてきた不思議が解きほぐされていくので、面白くて先を急いでいたらあっという間に読み終わった。想像の及ばなかった家族の風景もあり、みんなの家族の状況を知らないからわからなかったけど、だいたいうまくいかないのが家族というものなのかもと思えた。 「私」と別の「私」が境界を越えてしまうのだから、こじれるに決まってる。どんなに親しくなっても、自我を持った個人、人権を保障された個人としての領域を守る境界線は必要。 「理解」なんて所詮無理ということも定期的に思い出したい。 ── 家族問題を解決するために必要なことは「理解の断念」なのである。別の言い方をすれば、「コミュニケーションの断念」とも言える。[…]「断念」と「断絶」は違う。断念こそが、ほかならぬ「タフラブ」の第一歩なのだ。 タフラブは、相手にわかってもらおう、相手にわからせようとすることのない愛といえる。また、わかってあげようとはしない愛でもある。 こじれた関係にあっては、わかり合おうと思えば思うほどこじれていく。逆に、コミュニケーションを断念するところから新たなコミュニケーションが生まれることもある。あたかも砂漠の中で見つけたオアシスのように、海岸のこちらと対岸をつなぐように、さわやかなコミュニケーションが生まれるのである。 タフラブは、「理解し合いたい」「コミュニケーションをとりたい」という、時には身勝手な欲望や思い込みを手放す愛でもある。 ── タフラブを実践するには、寂しさとともに生きねばならない。著者は、「目的別の人間関係を複層的に用意しておき、用途に応じて使い分ける方法」をすすめている。これ、わたしはすでにできていて、たぶんわたしにはタフラブの素質がある気がする。自分の人付き合いに“これでいいのか…”と悶々としながら広く浅くの人間関係をやってきたので、「深いつきあいが本当に必要か、心から楽しめるものなのか、先入観を捨てて考えてみよう」と言ってくれて、嬉しくなった。 自分のことがやっとわかってきて、個としての輪郭もはっきりして、一人で生きられるようになった今、ここから新たに誰かと親密な関係を築いてみたい気持ちはある。一人でいるのが好きだし寂しさもあまりないので、別になんでもいいんだけど、どうなろうとタフラブを携えてうまくやっていける気がする。