母親になって後悔してる、といえたなら

15件の記録
- くりこ@kurikomone2025年8月12日読み終わったあまりに母親に対する重圧が重すぎて絶句しながら読む。子供を殺してしまいそうと行政に相談するも何も助けを得られなかったり、中絶を拒否されて産むことになった母親に対して児童福祉科のスタッフが「こうなったのはご自身の責任です」と言い放ったり…今年5月に四か月の子供を溺死させた事件があったけど、前日に母親は児相に相談していたらしい。 依存先の少ない家族は密度が高くなり暴力を生む。だから「お母さんかわいそう」だけの話では済まない。田中美津が言うように「産める社会を産みたい社会を」作っていくことが大事だと感じた
- くりこ@kurikomone2025年8月11日まだ読んでる第六章で、子供を殺してしまうくらいまで追い詰められても行政が解決策を提案してくれない話や、第7章での、パートナーとの同意がなく中絶ができなかった「逃げられない母親と逃げる父親」の話に心が痛くなる。 トランプサイドの人間のいうyour body my choiceの発言でゾッとしたけど、日本はずっと前からそうだったと実感する
- くりこ@kurikomone2025年8月9日まだ読んでる金原ひとみさんが書評を書いてて読み始める 最初の章から、母への子育ての重圧が強すぎのインタビューで、既視感ありすぎる。うちの家は母子家庭だったから子供のことは全て母の責任だった。これは結果的に母が子供を同一化し、支配することに繋がってしまう。
- 木村久佳@kuCCakimura2025年6月12日読み終わったクィア・フェミニズム「そういう意味で言ったんじゃない」「なんでそんな受け取り方をするのか」といったことは、場面場面での直感と思いきや、周りから求められている役割や、今までの行動や言動、肩書きから印象付けられた「らしさ」など、さまざまな要因から「そういうことを言う人」「こういうことを求めてくる人」という先入観を抱かれてしまうんだろうなと思います。 たとえば政治家の失言は、聞くたびに憤るしまたかよと思う一方で、どうせ政治家だしな、またやるだろうな、という気持ちにもなります。「発言で誤解を生んで申し訳ない」とはつまり、「そういう意味で発言したわけではない」という意味ですよね。その政治家の頭の中では「なんでそんな受け取り方をするのか」と思っているかもしれませんが、その人だけでなく今までの政治家たちのしょうもない失言や不祥事が続くと、信用は失墜していますし、そもそも問題になった自分の発言に向き合ってないことも、また次の不祥事政治家の印象に引き継がれていくんだろうなと思います。国民に尽くし、国民の生活を第一に考えなくてはいけない政治家に求められる役割からすれば、反動でそのように感じられても仕方ないです。 とはいえ他人事ではなく、たとえば家族との会話で私がアドバイスしようとすると「どうせ興味ないんでしょ」と先手を打たれることが多々あります。私がその手の話にほぼ興味がないことがバレていて、アドバイスするのをめんどくさがるタチだというのが家族の中の周知の事実だからでしょう。せっかくしっかり助言しようとしていたというのにこちらとしてはナンジャトコラァという気分ですが、今までの自分の態度を振り返ると納得なところもあります。 自分のことすら変えるのは難しいですが、変えた方がいいな、と思うことはちゃんと理解しておきたいです。