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きなこ
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@kinako2025
三度の飯と本が好き
  • 2026年4月10日
    うまれたての星
    うまれたての星
    1969年から1973年にかけて、東京神保町にある出版社に「週刊デイジー」と「別冊デイジー」という少女漫画の編集部があった。そこに勤務する編集員と経理担当者、そして作品を提供する漫画家たち。彼女らの5年間にスポットを当て、時代の動きと大きな事件も絡めつつ、編集部員たちの生き様を描く600頁以上の大作。 正社員の男性と非正規の女性、また女性社員だけれど、男性社員のように編集長直々に仕事を教えられない苦痛など、当時(今も?)会社で働いていた女性たちが感じていたであろうモヤモヤが言語化されていて秀逸。それでも仕事が好きで、悩みながらも邁進していく彼女たちの姿がすがすがしい。正社員だろうと非正規だろうと、編集委員ではなく経理担当だろうと、漫画家だろうと、小学生だろうと、女性たちは力強く生きていっている。その事実に力を与えられる。 デイジーはマーガレットだろうし、泉田依子先生は池田理代子先生なんだろうなと想像しながら読む。大当たりした歴史物の作品はもちろん『ベルばら』だと思われ、作中に出てきたシーンを私もまた脳裏に思い浮かべて、初めて読んだ時の感動を思い出した。
  • 2026年4月3日
    本は人生を生き抜く最強の武器である
    本は人生を生き抜く最強の武器である
    タイトルに惹かれて読む。 私自身も同様に考えているから。 第1部「本は人生を生き抜く武器である」では読書の効用をさまざまな事例で解説をする。著者の経験や読んだ本を縦横無尽に提示し、なぜ読書が人生にとって必要なのかを説く。 第2部「ニーチェに学ぶ人生と読書の3段階」では、著者は読書のステップを「ラクダーライオンー子ども」に分け、それぞれどのような段階かを説明する。この概念はニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の以下の一節から借用してきたという。 ー私は君たちに、精神の3つの変化について語ろう。どのようにして精神はラクダとなるか、どのようにしてラクダはライオンとなるか、そしてどのようにしてライオンは最後に子どもとなるかを。 ラクダは重い荷物を背負わされ、主人が指し示す方向へただ歩いていく。 ライオンは自由に自分の行きたい方向を決めるが、弱肉強食の世界で争わなくてはならず、絶えず自分のためだけに狩りをする。 子どもは何ものにも縛られず自由で、誰かに指図されることもなく勝ち負けにこだわることもない。ポジティブで自由に幸せを感じることができる。 このような解釈らしい。今の日本で子どもがこのような状態かはまあ分からないが。 著者は読書の最終段階の子ども状態になれば、自由になるだけでなく、他の者にも分け与えることができるという。 「結局、子ども段階に到達した人々は、他人のために生きれば日々楽しいという事実を悟った者たちなのだ。だからそう生きる。」 確かに理想ですねとは思うが。 世間のしがらみに囚われている私はまだまだだ修行が足りないようだ。 そうそう、著者のおすすめ本の中に『不便なコンビニ』があって、密かに嬉しかった。
  • 2026年3月31日
    不便なコンビニ2
    不便なコンビニ2
    前作に続き読了。 登場人物が若干変わるが、あのALWAYSコンビニはあのままで存在し、安心感と共に、今回はどのような物語が繰り広げられるのか期待感MAX。 独孤のような深夜バイトのクンベが、80年代香港映画の俳優名を話し始めるところが最高。チョウ・ユンファもレスリー・チャンも大ファンだったので。 どんなに辛いことがあっても人は乗り越えられる。誰かが手を差し伸べてくれ、勇気を出してその手を握り返した時から時は再び動き出す。そんな優しい時間が流れる、この小説が大好きだな。 p155 「大人になったら、自分について次の三つのことをよく知るべきだというんだ。まず、自分が得意なことは何か。次に、自分がやりたいことは何か。最後に、自分がやるべきことは何か」 p202 誰かと比べることはがん。心配することは毒。 母がいつもクンベに言い聞かせていた言葉だ。 「クンベ、比べるのはがん、心配するのは毒だよ。ただでさえ、生きていくのは大変さ。いまの自分だけ考えて生きていきなさい」 p271 ともかく人生は続いており、生きなければいけないのなら、真の人生を生きるべきだった。無意識に呼吸するのではなく、力強く吐き出す息の音を聞きながら生きていたかった。
  • 2026年3月29日
    人生は「気分」が10割
    人生は「気分」が10割
    作家、作詞家、コピーライターと活躍する著者のエッセイ。韓国で2022年にベストセラーになったとか。副題に「最高の一日が一生続く106の習慣」とあるように、どのようにして自分の機嫌をとりながら生きていくかが106に分けて書かれている。その他、詩、写真、掌握小説のようなものなどが収録されている。分かりやすいといえば分かりやすいのだが、そこで止まってしまう。もう少し深掘りするにはページ数が足りないのかもしれない。すぐに答えを手にしたい場合はいいのだろう。 エピローグは視点が面白かった。 100年以上前の朝鮮時代のソウルの街を写した写真が復元され、それを見た著者が思ったこと。 (急に鳥肌が立った。人間だって同じだからだ。よほど名の知れた偉人でもない限り、すぐに忘れ去られて誰が誰なのかわからなくなる。) これを読んで、何だか気持ちが安らかになったのは確か。もしかして自分は肩肘張って生きていたのかもしれないと思ったり。
  • 2026年3月25日
    四維街一号に暮らす五人
    四維街一号に暮らす五人
    昭和13年築の日本建築「四維街一号」には謎の多い三十代の大家と4人の女子大学院生が暮らしている。女性専用のシェアハウスだった。 各章には「第一幕、第二幕......」と演劇を見ているように章立てされていて、それぞれの学生の名前が書かれている。その章は名前のある学生が中心のストーリーになっていて、最後の章は「舞台裏」で大家の生い立ちが語られる。彼女がなぜこの建物を「叔母」から相続し、シェアハウスにしようと思ったか。 それぞれの章は読者が登場人物の人となりを知ることができ、大学院生の青春小説かと思いきや、「舞台裏」の章で一気に台湾の歴史と大家の家の重いエピソードが描かれていて胸にずっしりと響く。 台湾の歴史に日本は無関係ではいられない。そういうことも含めて、噛み締めながら読了。作者の楊双子氏の他の小説も読みたくなった。
  • 2026年3月23日
    不便なコンビニ
    不便なコンビニ
    ソウルにあるコンビニ店のオーナーヨンスクの大事なポーチを、ホームレスの独孤が返してくれるところから話が始まる。他のホームレスが盗ったポーチを奪い返してくれたのを見たヨンスクは、独孤を自分の経営するコンビニに連れてきて弁当を渡し、これから毎日弁当を食べに来るように言う。 毎日廃棄時間近くにやってきて弁当を食べる独孤に、ヨンスクはこのコンビニで働かないかと言う。 世知辛い世の中で、そこだけほんのりと温かい灯りが灯っているようなお話。記憶喪失のホームレス独孤の過去も含めて、誠実に生きるということを考えさせられる。 登場人物たちは、みんななにがしらかの悩みを持っている。自分ではどうすることもできない悩みだが、コンビニで深夜勤務をする独孤と出会い、少しずつ変わっていく。そのプロセスを見ていて、自分も変わることが出来るかもしれないと、読者も希望を持つことが出来るヒーリング小説。 『不便なコンビニ2』も読みたい!
  • 2026年3月17日
  • 2026年3月1日
    無理して頑張らなくても
    無理して頑張らなくても
    原題「애쓰지 않아도」 14編の短編集。 とても短い作品もあるが、その中にもきちんと作者の意図が書き込まれているのが見事。 訳者あとがきにもあるが、女性だけでなく子どもや動物などの社会的弱者に寄り添って書かれる作品は、どれも透き通った冷たい水のように、私の喉を流れてゆく。飲めば(読めば)心の奥底に眠っていた、自分でも気がついていなかった傷ついた心も癒される。 彼女の作品はそんな風に心の治療薬のように感じられる。 特に心に残ったのが、「デビー・チェン」「夕暮れの散歩」「ブランコに乗って交わした言葉」「良き時代」 特に「デビー・チェン」は、8、90年代の香港映画が好きな人にとってとても嬉しい内容だと思う。最近その頃の香港映画の俳優の名前が韓国映画や小説によく現れるのだが、なぜだろう?もちろん私にとって嬉しいことに違いはないのだが。 著者の言葉が今回も胸に沁みる。 「大学の新入生だった私は社会構造の残忍さに心を痛めながらも、時間が少しずつ解決してくれるはずだという希望を持っていた。でも時間は何も保障してはくれなかった。この二十年で世の中が少しでも良い方向に向かったとすれば、それは命をかけて闘った人びとのたゆみない努力のおかげだ。(中略)最低限の権利を主張する人に、お前はもう十分に持っている、それ以上要求するなと言う人がいる。相手の機嫌を損ねることなく、迷惑をかけず、自分の意見をアピールするなら可愛らしくやれと言う人がいる。誰かの違和感が嘲笑の的になることがある。より露骨に、より公的なやり方で、弱者を窮地に追い込む人がいる。人間性の基準値が徐々に下がりつつあると感じる。私はもう、時間が経てば多くの物事が自然に良くなるとは信じていない。ベストを尽くさなくては。」 次は長編を執筆中だとか。訳者同様にとても楽しみだ。
  • 2026年2月26日
    中高年シングル女性
    雑誌『世界』連載時からちょくちょく読んでいた記事が1冊の本になった。 内容が濃いが読みやすく、著者自身が「中高年シングル女性」なので、リアルな感覚で書いているなと感じた。さまざまな女性にインタビューしていて、その内容も読み応えがあった。 ただ一点を除いて。 他の部分は共感するが、その一点で信頼感が薄れるのは事実。それについてここでは触れないが。 他のインタビュー相手の言葉から、素晴らしい内容を導き出していたから特にそう思う。 80代になるまでずっとシングルで社会運動をしてきた女性が言った一言。 「ずっと活動しているのは、けっきょくは申し訳ないなと思って、次の世代に。六十年活動してきて、何これ?何やってきたんだ?と思う。もちろん法制度的に変わったところはあるけれど、本質的なところは何も変わってないものね」 昨日見た、浜野佐知監督とブレイディみかこさんのオンライン対談でも、浜野監督は同じようなことを言っていた。「こんな社会にしてしまったことが次世代の人たちに申し訳ない」と。 それは私も常々思っていたことで、だからこそまだまだあがき続けようとも思っている。 また前述の80代の女性は、自分が所属していた組織での女性の分断を経験している。女性への差別によって、当の女性たちがずたずたに分断される。それで高笑いをするのは一体誰か?私がこの本で唯一共感できなかったのは、この点に通じるのだが。 女性たちが連帯することがどれだけ大きい力になるかを見てみたいし、そんな社会を実現してみたい。 そう思わせてくれる読後感。
  • 2026年2月18日
    光と糸
    光と糸
    一気に読んでしまうのがもったいなくて、毎晩寝る前に少しずつ読んでいたのだけれど、とうとう読み終わってしまった。 斎藤真理子さんの「訳者あとがき」を読むと、よりいっそうハン・ガンの作品を理解することができる。 ハン・ガンの作品は、韓国の負の歴史を描いたものが多いので、読みすすめるには勇気と覚悟がいるのだけれど、それでも心を落ち着かせ安らかにしてくれる作用もあるので、心がざわめいた時に、ハン・ガンの文章を欲する時がある。 この本は小説ではなく、講演内容や詩、植物観察日記等のバラエティに富んだ作品を収録していて、さまざまななハン・ガンを感じることができて嬉しい。 ハン・ガンの作品をこれからもずっとかみしめ味わいながら読んでいきたい。
  • 2026年2月15日
    女のくせに
    女のくせに
    大阪工業大学知的財産学部水野ゼミの出版プロジェクトにより出版された珍しい本。大正時代に生きた女性の手によるもので、彼女の離婚、子どもとの別れ、女優に挑戦、新聞記者になってさまざまな記事を執筆する様子が書かれている。時代が時代だけに、社会の女性に対する考え方は、現代社会から見ると驚きを禁じ得ない部分もあるが、当時の社会の様子を知るという点では興味深い内容だった。しかし彼女は女性でも恵まれた立場にいる人で、庶民の女性はもっと大変な生活だったのだろうと思うなど。
  • 2026年2月11日
    また あえるよ
    また あえるよ
    大好きな絵本作家アンニョン・タルさんが絵を描いていたので読んだ。 やっぱり彼女が作るお話ではないと感じた。 母と子(息子)との繋がりの強さ、母の無償の愛についてのお話なのだけれど、うーん、あまり共感できなかった。 アンニョン・タルさんの絵はほんわかしていいのだけれど、彼女の作るちょっと不思議なお話だからこそ活きる絵なんだと思う。 またアンニョン・タルさんの新刊が読みたい。
  • 2026年2月11日
    脚のない鳥
    脚のない鳥
    慶州の図書館で司書として働くヨンソ。 ある日、造園学科の元教授の蔵書を引き取りに行く業務を請け負う。 南山の目的地に到着すると、蔵書はみすぼらしいコンテナの中にぎっしり詰まっていた。 家族と離れ、一人で2000冊以上の専門書に囲まれて過ごしていた元教授は老衰のため入院していた。 本を愛する気持ちは理解できるが、自宅内が本に侵食されていく過程は我慢できない。そんな私は本当の愛書家ではないのかもしれない。ここに登場するヨンソの夫や同僚のキム係長を見ているとそう感じる。 老教授のように、自分が倒れると家族に迷惑がかかると思ってしまう。 ヨンソが夫に言い放った「お墓には何にも持っていけないんだから」というのはその通りだとも思うし。 小説の中に出てくる香港の俳優レスリー・チャンや、彼が主演した映画『欲望の翼』、そしてヴィム・ベンダース監督の『ベルリン・天使の詩』など懐かしさ満載で、胸に沁みた。 そしてラストもいい。 色々と手放さねばならなかったヨンソだが、自身の内に積み重ねていた記憶は色褪せず、再び輝き出すのを待っていたと解釈したので、希望が感じられた。
  • 2026年1月29日
    本でした
    本でした
    ヨシタクシンスケさんの絵本が好きで、彼の本はなるべく手に取りたいと思っている。 『その本は』で小説家の又吉直樹さんとコラボ。その第二弾がこの『本でした』。 とある貧しい村に流れてきた2人の男は、空き家だった崩れかけた小さな本屋に住みついた。糊口をしのぐために、本の復元をすると言い、村人たちの依頼に次々と復元していった。しかし徐々に復元のスピードが落ち、本の復元依頼シートが溜まっていき......。 本好きには堪えられない内容だと思う。最初の方の復元内容は軽めで、こういう楽しむ系の本なのかと思いつつ読み進めていくと、整理番号27番の「主人公が本が好き」という本の復元依頼にたどり着く。 その内容が、一冊の小説に匹敵するほどの内容の濃さに不意打ちをくらう感覚だった。 本が好きな人もそうでない人も、ぜひ手に取ってもらいたい。 ああ、本があってほんとうに良かった。
  • 2026年1月28日
    うみべのストーブ 大白小蟹短編集
    平凡な日常にするりと入り込んできた非日常。 設定はありえないと思いつつ、読むほどにその設定が馴染んでいく。 しゃべる電気ストーブに、透明人間になった夫、現れた雪女。 掲載されている七篇はどれも淡々と展開するが設定は普通ではなく、そのバランスが心地良い。 どれも心に染みるのだけれど、特に好きなのは「雪子の夏」「雪を抱く」「海の底から」 登場する女性たちの気持ちが分かりすぎて辛いくらい。
  • 2026年1月28日
    それでも旅に出るカフェ
    『ときどき旅に出るカフェ』の続編。 コロナ禍の影響で、働き方はリモートワークになり、飲食店などの営業が難しくなっていた。 カフェ・ルーズは「しばらく休業します」の札をかけたままになっている。円の行方を案じる瑛子だが、円のルームメイトから意外なことを聞く。 コロナ禍真っ最中の時から、徐々に落ち着いてきた頃までの期間のカフェ・ルーズとそこにやってきた客たちと、彼女らにまつわるケーキのお話。 人間関係は難しい。それが家族や親友という近しい人たちだったらなおさら。 そしてこの社会はまだまだシングルの女性が生きづらい。 そんな世の中だけれど、居心地の良いカフェと美味しいケーキと、シスターフッドがあればなんとか前を向いて歩いていけるかもしれない、そう思わせてくれるお話。
  • 2026年1月24日
    ときどき旅に出るカフェ
    元同僚の円が開いた心地よいカフェ・ルーズ。 たまたま自宅マンション近くにあった縁で、足繁く通う瑛子。 そのカフェのコンセプトは旅に出られるカフェ。 メニューにはコーヒーや紅茶、カフェオレ、オレンジジュース等に混じってミント水、ざくろ水、クワス、ハーブレモネード、杏ネクター、カフェ・マリアテレジア等、瑛子が今まで出会ったことのないようなものが並んでいた。飲み物だけでなくお菓子もストロープワッフル、シナモンプッラ等、同様に見慣れない名前が並ぶ。 それは様々な国に行き、研究し、作り上げた円の努力の賜物だった。カフェで見知らぬものを飲んで食べて、未知の世界へと心を羽ばたかせることができる。 カフェ・ルーズで円と瑛子と常連、あるいは一見さんたちが繰り広げる物語。 甘党の私にとって魅力的なお菓子の登場に、ワクワクしつつ、ストーリー展開にドキドキしながら読了。 こんなカフェが近くにあったら私だって通いたい! 読後感はほっこり。続編も続いて読む予定。
  • 2026年1月22日
    わたしたちの停留所と、書き写す夜
    わたしたちの停留所と、書き写す夜
    読む本読む本、大当たりの今月。 この小説も素晴らしかった。 主人公は40代の詩を書く女性。 詩を書くことが自身のアイデンティティである彼女が、突然幼い子どもを連れて実家に戻ってきた妹との生活によって一変する。 その日から三歳と生後一ヶ月の赤ん坊の世話は主人公に担当になり、妹と両親は外へ仕事に出ることになった。 日々切れ目なく続くケア労働。感謝されず当たり前のように捉えられるそれにがんじがらめになり、主人公は疲弊する。 しかし自分以外の家族は賃金労働者である。だんだんと発言権がなくなり透明化してしまったと感じる主人公。そんな彼女をあの人は待ち続けると言う。 主人公の焦燥も空虚さも理解できるからこそ、彼女の行動に共感し拍手喝采をしたくなる。 文章を読むこと、書くことが好きな人にとって、心が満たされ忘れられない小説になるのではないだろうか。
  • 2026年1月21日
    ほんのかすかな光でも
    ほんのかすかな光でも
    (あ、チェ・ウニョンさんの新刊出てるわ) ネットでたまたま見かけたので、手に取った。 だから内容についてはまったく知らないまま読んだのだけれど、これが大正解。(キム・チョヨプさんの小説に続き!) 七編が収録された短編集で、どの作品も甲乙つけ難いほど胸を揺さぶった。 シスターフッドを予感させながら、すれ違っていく歯痒さや、相変わらずの家父長制によるDV被害、時代による被害を受けた主人公の心の孤独等、こうすれば解決するといえない状況ばかりで読んでいて苦しかった。 しかし著者が「作者の言葉」で語っているように、 「人生はいつだって現在進行形で、誰も代わりに解決できない問題を解きながら一歩ずつ進んでいくだけだ。 欠乏感を抱きしめ、それを必要以上に憎んだり、哀れんだりすることもなく、ただ一日一日を生きていく。悲しければ悲しいのだと、腹が立てば腹が立っているのだと、愛していれば愛しているのだと気づき、自分を見守り続ける。私は今、そういう作業をしているところなのだと思う。」ということだと思う。 「日本の読者の皆さんへ」はこう言って締めくくられている。 「今この文章を読んでいるあなたが寂しく悲しい思いをしているのなら、それは永遠ではないと伝えたいです。すべては通りすぎていくし、あなたはもう少し温かくて明るい場所に進むだろうと。本でつながった私たちの特別な縁に感謝します。」
  • 2026年1月19日
    地球の果ての温室で
    地球の果ての温室で
    最近キム・チョヨプさんのエッセイを読んで、この小説も読みたくなった。その結果は......。 大正解! 彼女の作品はどれも好きで、特にデビュー作の『わたしたちが光の速さで進めないのなら』が一番推しだったのだけれど、それを超えた。 いつも通りの科学的要素が満載の作品だけれど、その中を漂う人間くささというか、登場人物たちの関係性が切ない。 サイボーグと人間とのシスターフッドの関係や、地球の滅亡の前に尽力した名もなき人たちの努力とか、作者が思っていることが豪速球で伝わってきて胸が震えた。 レイチェルからアヨンに宛てたメールにそれが凝縮されている。 p356 「人類はこれまで、どれほど人間中心の歴史ばかりつづってきたのでしょうか。植物に対する認知バイアスは、動物としての人間に備わった久しい習性です。わたしたちは動物を過大評価し、植物を過小評価します。(中略)わたしたちはピラミッド型の生物観にしばられています。植物と微生物、昆虫はピラミッドの下部に過ぎず、人間以外の動物がその上、人間はピラミッドの頂点にいると考えます。完全に間逆にとらえているわけです。人間をはじめ、動物は植物がなければ生きていけませんが、植物は動物なくしていくらでも繁栄させられるのですから。地球という生態において、人間はつかの間の招待客にすぎません。それも、いつでも追い出されうる危うい立場にあります。(後略)」 近未来にダストという殺人霧が発生した時、人々がとった選択は、ドームに篭るということだったが、そこに入るためには、社会的弱者を切り捨てることが当然という社会だった。 ダスト発生原因を作った研究所は知らぬ顔をし、いよいよ人類滅亡か?の瀬戸際にようやく重い腰を上げる。 結果再建した世界では、それらの人々が英雄に祭り上げられているが本当にそうだろうか?いつの世も英雄の名前だけが歴史に残るが、本当は名もなき市井の人々の弛まない努力があったからではないか? これは小説の中だけでなく、現実社会でも当たり前にある事実。 何が真実か?事実から導かれる真実を見極める眼を養っていきたい。
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