呪いと日本人

8件の記録
いちのべ@ichinobe32026年4月3日読み終わったスケープゴートを作り出すことで、「ケガレを祓い捨てるシステムの話が興味深かった。 > 追儺の儀礼などで鬼を演じさせられた人びとも、こうしたスケープゴート・システムの一翼を担わされた。彼らは、支配者の負=「ケガレ」の部分を引き受け、社会から追放される役割を演じさせられた。支配者は「ケガレ」を鎮め、清めるための「生贄」として賤視された人びとを機能させていたのだ。(p187) > 権力を維持し、社会集団の「ケガレ」を祓うシステムは、確実にいまでも存在しているのだ。 (中略)また、かつて私たちの社会集団が関東大震災という天変地異に見舞われたとき、なにが「ケガレ」祓いの対象とされたのか。(p191)

いちのべ@ichinobe32026年3月8日読んでる『2章 なぜ、人は「呪い」を恐れるのか』読了。 死者による呪いより、生者による呪いが先にあった……という歴史の流れを自分が意外に思ったのは、未だに「死者の祟り」が薄ら信じられているからなのかな、と興味深い。 > 死者の呪い=祟りは、呪われる側に対する批判あるいは反省を強いる呪いだといえる。これに対して、生者の呪いは、いうまでもなく呪われる側を失脚させたり、災いを及ぼしたりするという目的をもつ。(p92) そしてこの一節が沁みた。 > 私たちは、こうした呪いにおびえる、いにしえ人の姿を、一笑に付すわけにはいかない。誰かが呪っているかもしれないという恐怖に取り憑かれて、さらなる呪いへとエスカレートしていく心性は、仮想敵国の軍備強化におびえて、軍備の増強や兵器の開発競争に狂奔している現代人のそれと、なんらわけるところがない。(p65)

いちのべ@ichinobe32026年2月22日読み始めた『1章 蘇る「呪い」の世界』読了。 > この「生霊憑き」は、生霊の所有者の知らないうちに発動する。 > しかも、この動物神は、祀り手の命令で活動するだけではなく、生霊と同様に、祀り手がある人物を憎んだり妬んだりしただけでも発動するという。 このあたりの「ルール」が、村社会には有益だったのかなと興味深かった。当人にその意図はなくとも、生霊あるいは動物神が発動してしまうのは、当人のみの過失や責任にはならなそうというか。





