苦役列車(新潮文庫)

12件の記録
- ごうき@IAMGK2026年5月20日読み終わった「そして更には、抱えているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みや嫉みに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。」 私の知る限り、西村賢太は日本最後の私小説作家である。その私小説作家がどのような作品を書いているのだろうととりあえず代表作である『苦役列車』を読んでみたが、うーむ、という感じ。文章は面白かった。ただ、太宰の私小説を読んでいたときは吐くほど感嘆していたのに、この作品ではそうはならなかった。恐らく、太宰は私小説において自身の心情を空になるまで吐露していたのに対し(言うまでもなく、全ての作品がそうではない)、この作品はある種自分を客観視して自己劇化する節があるからだろう。先日読んだ『山月記』と同じである。主人公はなかなか共感しにくい境遇で育ち生きており、だからこそ自身の心情を吐露しても負け犬の遠吠えにしかならないのであろう。或いは、あまりにも短絡的すぎて、そうした深い哀しみのようなものないのかもしれない。どちらにせよ、そういった理由から自己劇化という手法はある種理に適っているとも言える(それが私小説にするメリットを最大限活かしきれているかどうかは甚だ疑問ではあるが)。しかし、そういう境遇の主人公に、私は何とも思えなかった。それどころか、不潔な描写は喉を通らなかったのである。結果として、作品全体を呑み込むことなく読み終えてしまった。また、社会的な視点から見ても、何か漁りがあるわけでもなく、嘲笑の的にされて終わるだけだろう。だからこそ、うーむ、という感じだったのである。これも一種の「主体を獲得し、それで生きようとしている泥臭さ」のリアリティを反映しているのかなあ…とも思う。 私は未来の読者(本作が発表され芥川賞を受賞したのは2011年)なのでその程度の感想しか抱けなかったが、ここで当時の芥川賞の選評を見てみようと思う。 本作に◎をつけた石原慎太郎氏は『この作者の「どうせ俺は――』といった開き直りは、手先の器用さを超えた人間のあるジュニュインなるものを感じさせてくれる」と述べている。ふむふむ、なるほど。今まで文壇に上がらなかった類の作者であり、それが新鮮でしかも人間味を感じる、と。確かにそうだ。一方で◻︎をつけた村上龍氏は「相応の高い技術で書かれていて、洗練されているが、「伝えたいこと」が曖昧であり、非常に悪く言えば、「陳腐」である」、「作家は無意識のうちに、また多くの場合は無自覚に、現実と対峙し、作品はその哲学や人生の戦略を反映するのだ。新人作家に対し、このような注文をつけるのは、『きことわ』と『苦役列車』が質の高い作品だとわたしが認めているからである。」と語っている。誠に同感、特に後半。私は初めて『人間失格』を「読んだ」高校一年生の頃から、後半のようなことをずっと思っていて、それこそが作品を規定する要素の一つだと確信し8年間ほど生きてきたので、本作に関してはあまり肯定的になれなかったのだろう。ところで氏はあくまでそれは巧みな技術があることを前提に語っているが、氏の言う「巧みな技術」とは、何だろうか。 本作を通じて、私小説難しっ!と思った。そもそも私小説って、作者が「これ自分の体験なんですよ」って明かさないと分からないよね。その境目が、曖昧だ。 以前私は「作家が全て設定を考え構成した小説は意図が常に作家のうちに留まるが、私小説においては意図は全て作家の外、とりわけ読者やその背後にある社会にある」と考えていたが、どうもその通りな気がする。直感だけど。 もう少し、最近の文学作品を読んでみよう。んで、勉強も並行しよう。もう少しで自分の中の問題意識がちゃんと形になる気がする。

倫理ペン@pen04142026年5月12日読み終わった北町貫多なる主人公に自身を投影しているであろう『苦役列車』は西村賢太の芥川賞受賞作だ 北町貫多は西村作品のメインキャストでごく簡単に言えば『残念なオトコ』 私的には赤塚不二夫作品の主人公をシリアスにして実像化した印象だ 貫多は思考力の底が浅いので『それを言っちゃぁ(やっちゃぁ)おしまいよ』的なことをちゃんとやってくれる 残念だがちょっと憎めないキャラだ 物悲しさも身にまとい抜け出せない最下層の人生を歩む が なにやらいつの間にか作家になっている(西村賢太がモデル?なのだから当然か) 友達にはなれそうにないしなりたくもないかなこういう人とは
サカグチ@hisuissugi2025年4月6日かつて読んだ何度も読みたいいい小説は文体とかストーリーとかを全く除いた部分で、「なんか記憶に残る」という評価ポイントを持つ。 おれにとってこの作品はそういう作品だった。 日雇い労働で得た金が、その日のうちに飲み食いして消えていく。









