エロスの涙

6件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年2月19日人間の本質が、性欲(セクシュアリテ)ーー人間の起源、始まりであるーーの中にあるとしても、それは人間に狂乱のほかには解決法のない問題を提起する。 この狂乱は、(小さな死)の中において与えられる。最終的な死の前-味として以外に、その《小さな死》を充分に生きることが、私にできるであろうか。 痙攣的な喜悦の激しさが、深く私の心臓の中にある。この激しさは、同時に、私はそれを語ることに戦慄するのだが、死の心臓でもあるのだ。その心臓が、私の中で開くのである! (p.13) 日常と非日常と、どちらも大事だと言うよくある話。 でも「大事」って小事あってこその大事。 バタイユが揺れているのは、性欲というテーマがどうこうというよりも、そのあたりの大事小事の見極めとその間における振舞い方ではないかと思う。 両極を知ってしまった後の、振幅の大きさへの戸惑い。 動物的な性欲と、「子供の誕生がその帰結」。 そのあわい。
ジクロロ@jirowcrew2026年2月17日ちょっと開いた「とはいえ、エロティシズムは、ただたんに、このような私の目を眩ませる目的なのではないと主張することもできよう。子供の誕生がその帰結であり得るというかぎりにおいて、エロティシズムは、そのような目的ではない。けれども、子供が必要とすることになる世話のみが、人間的な意味で効用性の価値を持つのだ。だれ一人として、エロティックな活動ーー子供の誕生がその帰結となり得るーーと、この効用的な仕事ーーそれなくしては、子供は、ついには苦しみ、死んでしまうであろうーーとを混同しはしない......。」 「子供の誕生がその帰結」と二度も繰り返さざるを得ないあたりがいかにもバタイユらしい。 バタイユのなかでは、あくまでエロティシズムが主であり、子供の誕生は従なのであるということ。 何か私情を挟んでいるのではないかという思わせぶりなレトリックでもある。 バタイユのうちにこのところをメッセージとして伝えたかった誰かがいたのかもしれない。





