価値を否定された人々
11件の記録
くりこ@kurikomone2025年10月13日読み終わった主にナチ党の精神疾患患者への安楽死計画について書かれた本。ガス室のみならず、餓死病棟、薬の過剰投与をして殺害し、興味深い患者の臓器を取り除き、灰になるまで焼き尽くした。醜悪の極み。生きてる時から被害者を人間扱いしてないからこんなことできるんだろう。 精神疾患患者へのスティグマや、ドイツ医学の権威を守るため被害者の名前が公表されるまで70年以上も費やされた。戦後も被害者がいかに周縁化されていたかわかる。 戦争は男の物であり、強固な家父長制を築くために邪魔なものを非人間化し淘汰する。「日本人ファースト」だってそう。 国家の状態が不安定になると、人は「強さ」を求め家父長制にすがる。しかし外側を武装することは本当は強さではない。強さにはしなやかさが必要であり、自分の内側に他者が宿ること。これは家父長制的強さと対局にあり、他者の隣人であるということである。




くりこ@kurikomone2025年10月10日読んでる二章 「安楽死」という名の大量虐殺、を読み進める。 児玉真美さん『死の自己決定権のゆくえ』を読んでいたので、現在の安楽死合法化されている国で起こってることは(安楽死対象者が滑り坂でどんどん増えていくこと、優生思想とセットになり「役に立たない」ものを対象にすること)、ナチスの安楽死計画とそんなに変わらないということがよくわかる。 「灰色のバス」に載せられた患者は、「シャワー室」で安楽死させられ、興味深い患者は解剖され臓器を取り除き灰になるまで焼かれたという。人間に対してこんなにひどい扱いをよくできるなと恐ろしくなるのだが、普段から特定の属性を非人間化し、彼らを排除していたが故にできたことではないだろうか。 誰かの隣人であるということは、他者が自分の中で生きるということである(なので、多様性とは私たちの外部が多様になるのではなく、私たちの内面が多様になることでやっと叶う)と考えているのだけど、現在の排外主義の流行によって、他者の隣人であることを拒みいつか、形を変えたものだとしてもこのような未来が来るのではないかと末恐ろしくなる。



くりこ@kurikomone2025年10月8日前半優生学の歴史がかなり詳しく書かれていて面白い p.26 「ナチスドイツでは、優生学を用いることで福祉予算の軽減になり、一部の優生学者は強制断種を支持する立場をとっていた」 との記載で、アイスランドはほぼ100%出生前診断をするためダウン症の子供が生まれなくなったと言う話を思い出す。 アイスランドは福祉国家なのだが、結局ケアされる人口を下げることで質を維持しているのではないか?(ここはちゃんと調べたい)





くりこ@kurikomone2025年10月5日読んでる優生思想と、優生学をごっちゃにしていた。 p.26 優生思想 人間の生命の価値づけに基づいて生存の適否を判断する思想 優生学 人種改良により、価値高き人からなるユートピアを作るための学問。生殖コントールと関わる問題








