病むことについて

4件の記録
茅野@mizuumis2026年10月15日読んでる再読例の件で読み返させてくれてありがとう 私たちは自分自身の魂について分かっていないのだし、まして他人の魂についてなど分からないのだ。人間は長々とつづく道を手に手をとって歩き通すのではない。一人一人の道には原生林が、鳥の足跡さえも見られない雪の広野が横たわっているのだ。ここを私たちは一人で歩み、だからこそその道がより好きなのだ。つねに同情され、つねに同伴され、つねに理解されたら耐えがたいだろう。しかし、健康なときには、親切なふりをしなければならないし、努力——伝達し、文明化し、分かち合い、砂漠を耕し、原住民を教育し、昼間はともに働き、夜にはともに遊ぶ努力——はくり返されねばならないのだ。病気になると、こうしたふりは止む
いっちー@icchii3172026年10月10日借りてきた一章だけ読んだなんで借りたんだろうと記憶がなかったけど、多分この本の猪さんのポストがきっかけ。 https://x.com/honnoinosisi555/status/2092982459541729395?s=46&t=pJldM2CASAMBJLeo4bR5sg 「自由を享受するには、平凡なことを申し上げてよいなら、自制しなければなりません。自分の力をいたずらに、わけも分からずに、浪費してはならないのです──バラの茂みの一つに水をかけるために家の半分を水びたしにするように。」(ヴァージニア・ウルフ『病むことについて』みすず書房、P26) でもこの引用箇所がクライマックスかもしれない。というか、これについての詳しい説明がこのあとなかった。 あと「病むことについて」この文章なのかと思ったけどここは「いかに読書すべきか?」という章。 でも後半面白かった ・作家がしていることの諸要素を理解するもっとも早い方法は書くこと ・「人間としての作家が私たちの中に引き起こす共感や反感に、私たちはどの程度、抵抗あるいは譲歩すべきなのでしょうか?ー言葉はあまりに敏感で、作者の性格をあまりに受け入れやすいものですから。(中略)そこで私たちは、自分でそれに答えねばなりません、こんなにも個人的な事柄において、他人の好みのままになるほど致命的なことはないのですから。」p33 ・伝記や手紙は自分自身の想像力を活気づけ訓練するために読むことができるが、基本的にはほとんどが瑣末で価値がない ・「事実は虚構の劣悪な形態」p35 ・本を完全に楽しもうとするとき、最初は作者と一体になるように読み、あと半分は判断を下す。これも、権威の評価に委ねることは難しい。私たちは感じることを通して学ぶ。完全に抑えることはできない。 →でもその「鑑識力」を現代で育むには少し刺激が多すぎるかもしれないな。 ・鑑識力のもと、私たちの認識に秩序をもたらしてくれる規則がつくられる。しかし規則は、「真空に存在する規則を作ることほど容易で、うんざりすることはない。」p43 批評家のように曖昧な考えを照らし出し、明確なかたちを与えてくれる人たち以上の栄光をまとうことはできない。そもそも批評家に助けられるのは、自分で読むうちに我がものにした質問や示唆があるときだけである。最初っから彼らの批評を読んでいても彼らの権威のもとで寝そべっているだけである。 ただ、それでも私たちは読者としての責任がある。私たちの基準と判断は「大気中にしのび入り、作家たちが仕事をしながら吸い込む空気の一部になる」p43-44
