ホモ・サピエンスの宗教史

ホモ・サピエンスの宗教史
ホモ・サピエンスの宗教史
竹沢尚一郎
中央公論新社
2023年10月10日
8件の記録
  • 半分読んで放置していた本を再び結論だけ読んだ。 ヒトの先祖は、集団で暮らす事だけが生存を可能にする事を「理解」していたに違いなかった。 「共同性」の記憶は意識下に残り続け、後に言語と道具を持つようになってもそれを祝祭のかたちで繰り返し経験した。宗教の起源にあったのはこうした共同性の経験。 狩猟採集民空から農耕開始による祝祭、シャーマニズム、イニシエーション儀礼、その体系とカミや霊の観念を備える事で、人間の宗教は一応の完成をした。 初期国家の王は自身を儀礼の体系に一体化させ権威の源泉とした。 → ここまでのポイントは、『身体性や地域性、宇宙との一体性(人間も自然の一部)』だろうと思う。 そしてゴータマやイエスの誕生は、現世の彼方に聖なる秩序による素晴らしい世界があると説き、宗教のあり方を根本的に変えた。現世の秩序を超越していたことで国家や社会の枠をこえ、人類最初のグローバル空間が誕生した。 しかしそれらの宗教はじきに国家や帝国に取り込まれ、地域の旧来の宗教的要素との習合が生じ『身体性や地域性、宇宙との一体性』を取り戻した。 そうした状況を否定したのが『宗教改革』で、人間の矮小性を強調し、超越者への絶対的帰依を重要視した。それは、身体性を監視することになり、五感を刺激する儀礼は否定された。 かつて農業の開始とともに享受を先延ばしすることを学び、今や無限に先延ばしされている。生産のために生産する資本主義は、農業と共に開始された享受の最終形態だといえる。 傷付きやすい身体をもつ私達は個ではいきられない。共同性の断片にたまには向き合ってみよう。 →グレーバーのコミュニティを大事にせよというのとリンクした。 地域に根ざし、身体的な技法を尽くし、即座の享受と共同性を可能にし、生業や宇宙のリズムとも関係する祭りは、さいわい今なお私たちの社会で生きられている。 資本主義はここ数百年でこうなってしまってますが、その前何万年も共同性を持って生きてきた人類として、もう一度コミュニティを大事にすることを意識していかなきゃだよねーと思った。(グレーバーの「アナーキスト人類学」と私の中でリンクした)
  • 194ページまで読んだ 国家の誕生について 王とは儀礼の執行を通じて国土全体に生命と豊穣をもたらす存在であると同時に、死と破壊を与える暴力的存在でもあるのだ。
  • ちょっと時間が空いたが、また読んでる 農耕民や牧畜民の儀礼について、それはメタファー(隠喩)とメトニミー(換喩)に貫かれていると。 神への供物を捧げることで神に触れていた。
  • うん、やっぱり興味深いです。まだ言葉を持たないころ、狩猟採集民だったころ、狩の成功(食物の享受)を仲間と声を発して喜び合うのが人類が後に宗教を作り出すことにつながっていたんだ。 前にロビンダンバーの本で、共に唄や踊りをすることで、エンドルフィンという脳内物質が作用して高揚感が湧き上がるという話があった。宗教的行事や、祭りのそれに繋がるのかなと。
  • はな
    はな
    @hana-hitsuji05
    2025年5月25日
  • KIE
    KIE
    @Kie_Reads
    2025年5月25日
    早めに手に入れて読まなきゃだな📚
  • これはめっちゃ面白そうな予感。
  • Honegger
    Honegger
    @Yiddish
    1900年1月1日
    宗教のことを客観的に考えるのに、イイかなと思って購入。 まずはそれぞれの宗教の基礎知識を身につけてから読むべきかなと思い、積読中。
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