折々のうた 三六五日
6件の記録
ちゃらお@MXn0t2026年4月17日買った読んでるかつて大岡氏が連載していた毎日一つ詩歌を取り上げるコラムから365日分を選出して紹介。 1日の終わりにその日の歌を読んでるけど、時期や気候にしっくりはまって、はっとさせられるものばかり。 作者の背景や歌の情景を解説した鑑賞文を読むことでより深く吟味できる。 ちなみに4/17の歌は、 ゆく春や蓬が中の人の骨(榎本星布) 鑑賞文によると、奥羽大飢饉で多くの人が餓死した時代背景が関係しているのではないかとのことで、うららかな春の日々に埋もれがちな人の死を思い出させるはっとする歌だと思う。
monami@kiroku_library2025年4月4日買った@ 神奈川近代文学館中国茶を飲みに元町中華街駅へ行った。するとたまたま神奈川近代文学館でやっている大岡信さんの企画展のポスターが目に留まった。 わたしは詩に疎く、大岡信さんのことを存じ上げてすらいなかったのだが、神奈川近代文学館にはずっと興味があったので、ふと向いた気のままに行ってみることにした。 文学館が好きだ。本と向き合う読書とは違い、鑑賞するように文章を読むことができる特別な体験を味わえる。 そして、そんな風に出会った言葉たちは、特別な重みを持って記憶に残る。そんな気がするのだ。 文学館にはいると、まず大岡信さんが、自身の詩を朗読する映像をみることができる。 そこで大岡さんが語ったこと。詩とは素晴らしいものであるがそれを自分の作品に対して感ずることはない。詩の素晴らしさを教えてくれるのはいつも他者が生み出した作品である。概ねそのようなことを言っていた。(一度聞いただけの言葉なのであくまでニュアンス) その言葉がまずずしんと突き刺さった。 来るときに読んでいたトルストイの『人はなんで生きるか』で、天使はこのように言っていた「わたしは、すべてのひとは自分のことを考える心だけでなく、愛によって生きているのだということを知りました。」 何かを生み出すこと、それはどうしたって自分との戦いであり、ひょっとするとそれは自己に向き合う無意味さや虚しさに繋がる。 彼はどんな風に詩と向き合ったのだろう。わたしはもっと知りたくなった。







