CARPE DIEM 今この瞬間を生きて

6件の記録
- さーちゃん@cong_mei2025年9月12日読んでるp97 「母も、体はもとより、喜びも悲しみや苦しみといった、人としてのあらゆる感受性を全て使いこなし、音楽という世界に本人にできる限りの全てを捧げて生きてきました。」 この文章で驚いたのは、「人としてのあらゆる感受性を全て使いこなし」という捉え方。 私は、悲しみや苦しみはできればあまり感じないで、ポジティブに過ごしたいと思っていた。でもそういう経験をしていないのも浅い人になる気がするから、悲しみや苦しみを感じた時は、一生懸命冷静になろうとしたり、ポジティブな意味に変換しようとしてきた。 でもそれって、その感情をないものにしようとするのと同じことだ。本当はそんな感情も認めてあげて、自分を労ってあげたい。 だから、この捉え方は一種、発想の転換になるな、と感じた。悲しみや苦しみに浸り切ることも大事だけど、一旦その段階から抜けたら、「あぁ私、人としての感受性を使ったなあ」って思えればいい。あらゆる感受性を使いこなすことができたら、人生が充実すると考えられれば、悲しみや苦しみも怖くない。 ちなみにこの後のくだりは、こんなお母さんのようにエネルギッシュに生きた人と同じ時代を共有できたおかげで、色々ひどい目に遭っても、生きることを頑張ってこられたのだし、お母さんの死に大きな喪失感を覚えたり、打ち沈むことがないのだと思う、と続いている。 「そうすれば、死に対しても恐怖心や拒絶感ばかりを感じるのではなく、もっと堂々と歳を取っていけるんじゃないでしょうか。」という一文に共感。そんな風に捉えられるようになりたい。
- さーちゃん@cong_mei2025年9月8日読んでるp38 「不安こそ想像力や個性のみなもと」と考え、心の地図を広げてみる。 「不安」は、あまり持ちたくないものだと思ってきた。今でもそう。不安になると落ち着かないし、消耗してしまうから、なるべく穏やかな気持ちでいたい。 だけど、確かに不安だとよく考える。あぁなったらどうしようとか、こう言われたらどうしようとか。それが想像力に繋がっていると言われればその通りだな。 しかも「個性のみなもと」にもなると言う。不安を持つことで?と一瞬思ったけれど、自分が作られていくのって、よくよく考えた時だ。納得いくまで考えて、自分の言葉で話すことができるようになった時、「自分」というものが立ち上がる気がする。 不安に囚われてくよくよと考えがちな自分を優しく励ましてくれるような言葉と出会えた。「心の地図」がどんな風に広がっていくのか考えてみるのは楽しい。
- さーちゃん@cong_mei2025年9月7日読み始めたp29 「地球という惑星に対してシンプルに感動できるようになれば、たとえ死という条件がついているとしても、生きている喜びはどんな事柄からでも無限に見つかるはずです。」 ヤマザキマリのお母さんは、あらゆるものに「素晴らしいじゃないの」「きれいねえ、すごいわねえ」と感動する人だったという。 美しい夕焼けを見ただけで「泣けてくるじゃない。地球ってなんてすごいんでしょう。こんな惑星に生まれてきてよかったわ」と。 確かに、終わりかけのサルスベリの花が地面に落ちたさまが美しい。まだまだ暑いけれど、サッと涼しい風が通り過ぎていくと感動する。季節が巡っている。 私たちが受け取っているものに、敏感でありたい。
- さーちゃん@cong_mei2025年9月7日読んでるタイトルの「カルペ・ディエム」とは、ラテン語で、「今この瞬間を生きて」という有名な格言だと言う。生きていられる期間は限定的なので、今日を大切にして、思いっきり楽しみなさいという意味だそうだ。 地球の住民という意識を持ち、あまり人間を特別視しない。生は常に死と隣り合わせという気持ちを持ち、命に余計な思い入れを課すこともなく、おおらかに生きている生き物たちを思い出す。 ヤマザキマリさんは子どもの頃寂しがりやで、外に出て野原や森で生体反応を感じることで安心を得ていたという。自然と関わり合ったことのある人は、意のまままにならないことがあることを知っている。 「傷ついたことも、悲しんだことも精神の肥やし。ここで育まれる様々なものが、大きな幹を持つ樹木に育つかどうかは、経験の豊かさ次第」という考え方が心強く背中を押してくれる。