楢山節考
9件の記録
高山碧瑶@uya_202509062025年11月12日読み終わった『楢山節考』を読むために借りて読んだ。 正宗白鳥が「私は、この作者は、この一作だけで足れりとしていいとさえ思っている。」と発表年に評していたそうだ。 この小説は姥捨という風習を受け入れる主人公と仕組みの一部として回っている山村の社会をどこまでも冷静に描写している。ところがこの一見近現代のヒューマニズムとは対極にあるようなストーリーになぜか私は人間らしさを感じた。 舞台となる山村は食料に乏しく、米は白萩様と呼ばれ祭りのときや重病人が出たときにしか口にできない。冬になれば食料の心配をしなくてはならない厳しい生活のなかで村人たちは労働し、子を産み、なかには盗みを働くものもそれに制裁を加えるものもいて、祭りを執り行い、姥捨をする。この営みの力強い描写に作者の人間讃歌が隠されている。

DN/HP@DN_HP2025年5月28日収録作の『東京のプリンスたち』を久しぶりに読んだけど、それぞれにイキリと衝動があってそれぞれが燻っている、決して爽やかではない青春時代のドロみに、それでいて乾いた文体とか当時の若者言葉を今読む違和感とか色々混じり合って一種異様なグルーヴがあった。改めてやばいと思った。

DN/HP@DN_HP2025年5月28日最高の書き出しここに収録されている『東京のプリンスたち』の冒頭は、わたしの読書史上で最高にかっこいい書き出しのひとつである。 「たばこの煙りが靄のように籠っているから鳴っているジャズの音も外へ逃げないような気がして、(やっぱり、この店はいいナ)と思いながら洋介はいつもの隅の場所に腰かけていた。」 ここでジャズが流れているのはジャズ喫茶ではないし、時代も違うのだけれど、同じように青春を描いているような気がして、中上健次の『路上のジャズ』を読みながら、この小説とその書き出しを思っていたのだ。これも心のアンソロジーに編み込みたい傑作である。部屋で見つからなかったから、買い直して、すぐに路上で読んだ。






