〈病と戦後〉の歴史社会学

7件の記録
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年6月19日まだ読んでる昼休み第5章の宇田和子さんは『なぜ公害は続くのか』という論集でお名前をお見かけしたことがある。ので先に読む。 今回の論考では安中公害の指曲がり症が公害被害とみなされなかった要因を問うている。重要なことが書かれていると思う。 〈重篤例だけが公害病としてカテゴリー化され、その発生地と患者が認定されることは、一見被害を承認する前進のようで、裾野に広がる健康上の問題を軽視または否定する後退でもある。つまり、解決過程のなかに被害の放置がありうる。〉(151頁) 〈安中公害はイタイイタイ病の顕在化があってこそ社会問題になったが、イタイイタイ病を基準にして問題を捉えることで、病の経験が不可視化されたといえる。/[...]被害と認識されようとされまいと、安中に指曲がり症が存在してきたことは事実である。それを既存のカテゴリーに当てはめようとするのではなく、そのまま書くことはできないか。〉(171-172頁)
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年6月19日読み終わったお風呂読書自宅第1章、西川純司さんの結核と療養生活、そして「抗生物質の神話」にかんする論文。本編と関係ないけど、ご著書『窓の環境史』面白そうなタイトル。 第3章、後藤基行さんの「国立肥前療養所の開放医療」についての論文。色々な意味でアーカイブは大事だな、と。 〈日本の病や障害をめぐる歴史研究は、とりわけ二十世紀後半期日本の医療や福祉行政の根幹をなしてきた病院や施設が作成してきたアーカイブズへのアクセス不良という制約のもとで展開せざるをえなかったのであり、このことの意味はこれまでの研究史上で十分に意識されてこなかったのではないか。[...]逆説的ながら、医療や福祉というヘルスケアに関わるアーカイブズが体系的に保存されず、不良なアクセシビリティーの環境下にありつづけていることは、医療機関や国家政策が犯した罪を隠蔽した可能性とともに、そうではなかった可能性をも検証不可能にし、制度側に対する不信と偏見を必要以上に増幅させてきたかもしれないのである。〉(108頁) 第4章、香西豊子さんの種痘と森永ヒ素ミルク中毒事件の「後遺症」をめぐる論文。 〈今後、同様の切り離しによって私憤が公的領域から排除されないようにするには、被害者と一般の生活者の間を隔てる当事者という壁を変えていく必要があるだろう。〉(141頁) 終章(土屋敦さん)は全体のまとめ。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年6月19日読み始めた会社序章、「あとがき」に目を通して、その後ハンセン病にかんする第2章を読む。1950〜60年代の全患協運動の展開について。今つくっている『どこかの遠い友に——船城稔美詩集』(木村哲也 編)の船城さんが生きた時代でもあるのでおさらい。