14歳から考えたい 暴力

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- 益田@msd2025年8月31日読んでる西洋が若干中心的ではあるが、様々な大陸地域での歴史的経緯と学者の見識を通して考えさせる構造になっていてすごくありがたい。 ・「殺人の周縁化」、犯罪とはおもに法の枠外にいる社会的地位の低い人びとによっておこなわれる攻撃的な紛争管理の一形態であるという主張(ドナルド・ブラック) →実際、そうした人びとは法律を抑圧的で、自身の日常生活からは遠いものと考えることが多いから、紛争の解決に殺人を含む攻撃的手段を用いる傾向が強い。 →殺人の減少は、必ずしも国家の強大化そのものが理由ではなく、国家と市民の関係によるもの。 ・16世紀以降主権国家として暴力の独占が進んでいた。暴力を行使する司法機関を管理し、暴力の脅威や違反者に対する実際の身体的な処罰によって国民に法律を遵守させる側面と、(西ヨーロッパで)儀式や典礼、象徴を通じて国家の「自然的脅威」を示す広いメッセージを伝える行為でもあった。 ・宗教は必ずしも暴力の原因ではないがしばしば暴力に対して道徳的な正当化を提供する。
- 益田@msd2025年8月31日読み終わった暴力について歴史的・文化的背景で変化している旨と、様々な学者や主義主張・統計を紹介し、本当にそれが正しいのか、正確なのかを我々に考えさせる本だった。国家が暴力の独占をしている所は昔読んだヴェーバーの本を思い出した(実際述べられている)ので、読み返したいと思った。また、国家の暴力については元々気になっていたから読めて良かった。 暴力反対と言っても私たちが生活の中で得たイデオロギーによって暴力に参加する可能性があることを忘れてはいけない。(特に気軽に参加できるネットには!) 「歴史のなかでわたしたちが何世紀にもわたって目撃してきたことからすれば、すべての人間は、文化的、社会的、宗教的、政治的な背景がととのって条件が合致すれば、暴力行為や、場合によっては残虐行為をおこなう可能性を秘めているのです。」(p230)
- 益田@msd2025年8月30日読んでる「正当である」と「正当ではない」の区別は、暴力の性質よりも、法や国家権力の性質に関係があります。 なぜなら、そこには<正当なこと>と<正当ではないこと>を決めるのはだれなのか、という問題が隠されているからです。そして、専制政治の打倒、植民地主義者の追放、搾取構造・制度の解体といった「正しい目的」を達成するために役立つ手段としての暴力を含めて、「正当性」という概念が拡大されると、この問題はさらに複雑になります。 こうした抵抗運動の場合には、暴力はおそらく道徳的な要請であり、その過程で人びとを救うものともなりうるのです。