深く暗い森のなかにあらわれては消える湖があった それはわたしの湖だった

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DN/HP@DN_HP2025年12月30日昨日は素晴らしい短編集が読めたから嬉しい一日だった。 その短編集には表題作のタイトルにある湖の他にも、川、海、プールに、割れて流れ出る卵の中身——というのはこじつけかもだけど——と水を媒介に水辺を舞台にして、幻想や奇想が儚く危うく立ち上がり、霧のようにしっとりとまとわりついて染み込んでくるような物語が編まれていた。 分かりそうだけれど分からないままにもしておきたい、不気味だけれど美しい、少し怖いけれど読まずにはいられない、それに小説の本質的な部分にあるべき哀しみもたしかに通底して流れていて。そんな幾つもの魅力や、同時に覚える相反する感動を、整理しないままに大切に抱きしめたい。そんな風に思えた。ああ、これは読みたかった小説だ、と嬉しくなった。 この短編集は水の近くでも読んでみたい、と思いついたから、川の近くまで歩いてその流れを感じられる場所でもう一度開いてみる。水の音と少し離れたところから聞こえてくる子供達の声をアンビエント・ミュージックだと思い込む。陽射しもちょうど良く暖かい。とても良い気持ちだった。 そんななかで読み始めた一編目の一ページ目を読んだところで、この文体、フロウは好きだな、と改めて思った。日本語に翻訳された海外の小説(欧米のイメージ)のそれにも近い感じ。翻訳された小説の文章というのは、ある意味で無国籍で。原文から離れているのは勿論、翻訳という行為の困難さから滲み出る雰囲気ははじめから日本語で書かれた文章にはないものだ。そこには独特の美しさ、魅力がある。つまり現実のどの土地にも属さないような魅力をもった文体やフロウ。何処とは名指されない土地で現実には起こり得ないような幻想を描くのには、きっとこんな文体、フロウが適している。 そんなことを考えながら最後に収録された一編「川のゆくえ」まで読み進める。その冒頭で、現実の日本に存在する地名と、その地へ向かうための新幹線という現実的なテクノロジーが登場する。ハッとした。ああ、そうだった。しかし、そして、それに合わせてそれまでの数篇とは文体も変化していた。改行が少なめになり、長めの一文でフロウは勢いよくスピットし始める(「わたしもわたしの体もみんなの体もかわいいかわいいだよ。」の件とフロウ、まじ最高)。現実やそこでの疾走する思索はこんな文体とフロウで読みたい。大好きな小説家の名前が思い浮かぶ。 新幹線を降り、ありえない姿の人物と邂逅したところから、文体はあまり変わらずにフロウにはまた変化が現れる。哀しみを歌うバラードのようにしっとりしたフロウに誘われて徐々に再び幻想が立ち現れる。現実を侵食しはじめる。ふたつの世界の間で絶妙なバランスを保ちながら「どこにもない」川に辿り着き、小説の終わりへと向かっていく。 ここで、さらにもう一人の小説家のことが思い浮かぶ。音楽のレビューみたいに⚪︎⚪︎⚪︎ meets ×xxみたいなことを言いそうに少しなったってしまったけれど、いやこれは他の作家の名前を出す必要なんてなくて、収録順(超重要)も含めて、この作家の独自のバランス、スタイルなのだ、と思い直して納得したい。した。 ここまで書いてきた文体やフロウというのは、作家の意図とは別のところでわたしが勝手に感じたことなのだけれど、それでも、というかだからこそ強烈な感動が有って。なるほど、今たしかにもう一人好きな作家が出来たのだ、と思えばやはり今日も嬉しい一日なのだった。







タレ@miki_nike2025年8月14日読み終わった@ spiqだいすきな友だちの初短編集。 まずはとにかく美文。かほちゃんの小説にはよく川や湖が出てくるのだけれど、まさに清冽な水に身を浸すような文体。心がしんとしずかになる。 幻想的な世界観に、どうやって思いつくんだろうという設定、日常と非日常をわたす不穏さ。村上春樹や川上弘美の奇譚が好きな方にぜひ読んでみてほしい。わたしは、表題作と『卵』が好きです。





