愛しのグレンダ

8件の記録
DN/HP@DN_HP2026年7月30日本と日記のある過去@ 図書館フリオ・コルタサル、野村文昭訳の「グラフィティ」という短編を再読した。この短編が収録されている短編集『愛しのグレンダ』は持っていなくて(欲しい、絶版、少し高い)、近隣の図書館にも少し遠いところの一館にしか置いてないから、近くに用事があるときには時間を作って読みに行くことにしている。そういう再読の仕方もある。そんな少し面倒な過程を経ても、何度でも読みたい短編小説もある。 「夜間外出禁止令や壁にポスターを貼ったり落書したりするのを威圧的に禁止」された圧政下の街。「あなた」は特にそれに抗議するためでもなく、退屈だったから、と遊びで「落書き」(彼は「芸術批評的すぎる「グラフィティ」という言葉を嫌っていた」)をはじめる。しばらく独りで描いていたあとに、自分の「落書き」の横に誰かの描いたまた別の「落書き」を見つける。そのことで危険は二倍になったと感じもするけれど、同時にそこに願いや問いかけ、呼び声、「メッセージ」も見出すことにもなる。その「メッセージ」に応えるように描き出せば、そこにはコミニケーションとロマンティシズムが表れる。残酷で過酷な世界の中でその二人の遊びは(意図せずとも)圧政への抵抗にもなる、なってしまう。しかしその数時間で消されてしまう「落書き」(バフされる夢「無言の蓄積」)に、愛と希望を見出し、描き出すものにもなっていく。 「あなたがチョークを取り出すと、一軒の家の門のところにいた猫があなたをけげんそうに見つめた。あなたは、同じ場所、あの日彼女が画を描いて残していったところに立ち、叫び声を緑に、メッセージを受け取った合図と愛を真紅の炎に託して扉板を埋めつくし、全体を楕円で囲んだ。それはあなたの口であり、彼女の口であり、希望でもあった。」 そもそも、遊びというのは自由だ、そして自由で表現することは圧政に対する抵抗だ。これは残酷で過酷な社会で、遊びを希望にして抵抗する物語。そして、「グラフィティ」に纏わるとてもロマンティックな物語でもある。そんな風に読んでは、感動して希望も見出していたりもする。 そんな小説を読んで思い出す景色があった。わたしも「グラフィティ」から「メッセージ」を受け取って、そこに希望を見出したことがある。数年前、社会というよりも人生に圧倒されていた頃。ある街の大型書店の脇の小径を入って国道へと出ようとしていた道で。目的地に向かうというよりも、憂鬱な気持ちを紛らわせるように、ただ歩きたいと歩を進めていたとき。赤いカラーコーンに渡された黄色と黒のトラポールの奥のシャッターに描かれた白と黒のスローアップ、その「デカいアート」に出会った。 突然予想していなかった場所で目にしたその景色にハッとした。「かっこいいな」と思って、感動と喜びが込み上げてきた。感動と喜びを感じている自分に、希望がまだあると思った。というのは後々考えたことだけれど、その瞬間にも意味も訳もわからないまま、何故か励まされてそんな「メッセージ」を受け取った気になって前向きな気持ちになっていた。人通りのないその通りに立ち止まって数枚の写真を撮って、その横に応答を描き残す代わりに「ありがとう」と心中でつぶやいた。その「ありがとう」はいつか、出来れば近いうちに、こんな話と一緒に今その顔が浮かんでいる友人にも伝えてみたい。そんな思いもまた希望だって思ってみたい。 そのスローアップは勿論わたしに向けられて描かれたものではないし、そこに「メッセージ」だって込められているわけはないのだけれど、確かにそこから受け取ったと思いたいものがあって。それは誤解というか、妄想というか、思い込みというか、そういうものに基づいてわたしの中だけで響いたものなのだけれど、「アート」から「メッセージ」を受け取るというのはそういうことかもしれない。 「メッセージ」は「アート」に込められているわけでも、そこから発せられているわけでもなくて、それに出会ったときに、「わたし」が勝手に受け取る、あるいは「わたし」のなかだけで発せられるものなのだと思う。この小説の中で「あなた」が「彼女」の描いた落書きから受け取ったものも、わたしがこの小説から受け取っているものも、多分そういうことだ。それはとてもロマンティックで個人的で共有することも言葉にしてみることも難しいけれど、希望というものはそういうところにこそあるものなのかもしれない。そんなことを思いながら、大好きな小説から受け取った「メッセージ」に励まされて、こんな文章を日中の熱気がそのまま残ったような部屋で書いてみている。やはりこの短編小説は手元に置いておきたいから、ちょっと本気で探してみるか、だってそこに希望があるんだから。



DN/HP@DN_HP2026年7月30日「あなたがチョークを取り出すと、一軒の家の門のところにいた猫があなたをけげんそうに見つめた。あなたは、同じ場所、あの日彼女が画を描いて残していったところに立ち、叫び声を緑に、メッセージを受け取った合図と愛を真紅の炎に託して扉板を埋めつくし、全体を楕円で囲んだ。それはあなたの口であり、彼女の口であり、希望でもあった。」 「グラフィティ」という大好きな短編を読み返して、また同じ一文に感動している。






DN/HP@DN_HP2025年8月20日心に残る一節「あなたは、同じ場所、あの日彼女が画を描いて残していったところに立ち、叫び声を緑に、メッセージを受け取った合図と愛を真紅の炎に託して扉板を埋めつくし、全体を楕円で囲んだ。それはあなたの口であり、彼女の口であり、希望でもあった。」(151ページ) 完全に痺れるセンテンス、なので、もう一度引いておきたい。

DN/HP@DN_HP2025年8月20日また読みたい読んだ@ 図書館ここに収録されている短篇「グラフィティ」を、いつもよりだいぶ遠い図書館まで歩いて行って読んだ。思いの外短かったけれど、期待以上に素晴らしかった。夜間外出も禁止された極限的な圧政下の街で「らくがき」をする「あなた」と「わたし」。出会わない二人の「らくがき」を通した言葉を伴わない対話。思いと希望と愛と、命がけの「遊び」が街を取り戻そうとする物語。厳しい現実の中でも、やはりとてもロマンティックなグラフィティの話。それに、誰かを想像し誰かに想像される、そうするしかないという世界の本質的な話。そんな風に読みたいと思った。最後の展開にも痺れた。閉館ギリギリまでに三回読んだ。汗だくになった甲斐があった。




DN/HP@DN_HP2025年8月17日『グラフィティ』という短篇が読みたい。 「あなたは、同じ場所、あの日彼女が画を描いて残していったところに立ち、叫び声を緑に、メッセージを受け取った合図と愛を真紅の炎に託して扉板を埋めつくし、全体を楕円で囲んだ。それはあなたの口であり、彼女の口であり、希望でもあった。(151ページ)」 これはこの小説言及されていた、管哲次郎『本は読めないものだから心配するな』からの孫引き。グラフィティはやはりロマンティックなものなのかもしれない、と思う。



