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mikiko1732
@mikiko1732
  • 2026年5月5日
    口の立つやつが勝つってことでいいのか
    なんだか、おもしろい本だった。 タイトルに惹かれて読んではみたものの、なんと言ったらいいのか⋯中身はだいぶ違う。 でも、なんだか、おもしろい。 さくさく読んで、読んでいると気分が楽になる。 著者の他の本も読んでみたくなった。
  • 2026年4月30日
    今日も、ちゃ舞台の上でおどる
    この本を読んでいる間ずっと、須賀敦子の「きっちり足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ」という言葉が脳裏をめぐっていた。 どうしてだろう。 坂口涼太郎の文章は須賀敦子とは似ても似つかないし、共通している点といえば両者とも書いたものが「エッセイ」というジャンルに振り分けられる、ということぐらいしか思いつかない。 自分はといえば合った靴を履いているのかそうではないのかもわからないし、いつもぬかるみの中をのしのしと歩いているような気がする。どこまでも歩いていける、というより、どこまでも歩いていかなければならない、という強制じみた感覚に捕らわれている。 ぬかるみの中に立ちながら、よく泣きよく笑う坂口涼太郎の文章を読んでいると、ふっと足下が軽くなるような瞬間がある。そのとき見上げれば、著者の坂口涼太郎自身が「きっちり足に合った靴」を履いてちゃぶ台の上でくるくると踊って、そのままちゃぶ台ごと「どこまでも」キラキラと飛んでいってしまうという幻覚を見た。(「歩いて」ではないところ坂口涼太郎っぽいなと思う」) 「どこまでも歩いていけるはずだ」という軽やかさを坂口涼太郎の文章が体現していて、読んでいるとそのままふっと自分もどこまでも行けてしまう気がする。というより、行ってしまっていい気がする。坂口涼太郎のように、くるくると踊りながら行ってしまおう。靴じゃないけど、坂口涼太郎の文章をお供にどこまでも歩いて自分のすきなところに行けるよ。 途中、途中に挟まれる短歌も良く、 「いきているときにのこしたことばらを読みふけっては星の目をみる」 読書という行為をとても素敵に表現しているような気がしてとても気に入っている。短歌集を出してくれたらいいのにな、と思う。
  • 2026年4月10日
    田中角栄とその時代 駕籠に乗る人 担ぐ人 (PHP文庫)
    今も昔も人は変わらない。 気にかけてもらえれば嬉しいし、助けてもらえば感謝する。 そういった人の機微をどのように使うか。 それをうまく使ってのし上がっていったのが田中角栄という人物なのだと知らしめる1冊。大本の底本は1988年出版なので、げんなりする描写も多々ありますが、まあ当時はそういう時代だったのだ。不満もあるけど今はまだマシだなあ、などと思いました。
  • 2026年4月3日
    コンテナ海運が世界を動かす
    おもしろかった。 てっきり物流の話だと思って読み始めたんですが、違いました。 コンテナ船が運ぶ物の話だけでなく、経済から受ける影響、経済に与える影響、港湾の労使等々、様々なことを背負ってコンテナ船は海を走り、そのコンテナ船ひとつからでもこんなに見えることがあるのかと驚くとともに読み応えがありました。 去年(2025年)あたりから日本の港に寄る船が減っている、日本の港をどうにかしないと、というニュースを見ることがあり、素人考えとしては輸出入さえ成り立てば良いのでは?と思ったりしていたのですが、そう単純な話ではないことが本書を読むとわかります。 それ以外にも問題は様々あり、環境問題対策としてコンテナ船の速度を落として運航する話(もちろん到着は従来より遅くなるが、温室効果ガスの排出が抑えられる)等々、興味深い話も盛りだくさんでした。 世界は実に複雑で一筋縄にはいかず、それだからこそおもしろいなあと思わせてくれる1冊でした。
  • 2026年3月21日
    ベルリンは晴れているか
    「戦場のコックたち」を読んだとき、日本にもこういう物語を書く作家が出てきたんだと大変驚いた記憶がある。 今回は第二次大戦終了直後のドイツ、ベルリンを舞台にドイツ人の音楽家が殺されるところから物語は始まる。主人公は以前、その音楽家とその妻に世話になったことから音楽家殺しの嫌疑をかけられ、その嫌疑を晴らすためにも、その音楽家の甥を探すことになる。 甥を探してロードムービーのように綴られる物語。 道中語られる登場人物それぞれの過去。戦争と深く結びついたそれらは終戦とともに解決することも消化されることもなく、戦後の混乱の中、彼らはそれらを抱えて生きていこうともがいている。 何が罪で、何が罪でないのか。 自分は罪を犯したのか、犯していないのか。 はっきりと明快に答えられることは少なく、そこに描かれるのは生きていこうとする人々とこれから生きていくために最後の矜持を守り抜こうとする人々だ。 イスラエルの建国を謳う横断幕を見たユダヤ人の祖母を持つ登場人物のひとりが言う。 「だって、民族主義が俺に何をしてくれた? あんなクソを他人に味わわせたいと思わないね。俺たちだからこそやっちゃいけねえよ」 正直、ミステリとしては弱いなと思う。 ただ戦争を描いた小説としては秀逸だと思う。 現在につながる物語として、今読まれるべきだと思いました。
  • 2026年3月10日
    椿宿の辺りに
    椿宿の辺りに
    「どこの家にも、他の家と比較できない、独自の「不可解」、「ミステリー」が存在するのだと、しみじみ思うことでした。」 記紀の海幸彦、山幸彦の物語を底としてつづられていく、奇妙なというか、新たな神話の語り口とでもいいましょうか。まとめてしまえば上記に引用した主人公が語ったようになると思うのですが、それだけとは思えずおもしろかったです。 ちゃんと三柱の真ん中も出てくるところが意外でした。(本文中でも軽く触れられていますが、日本の神話の神々は三柱一組として登場するのに、まんなかの神がいつも語られることがないのです。そういう話を昔、古事記の解説本で読んだなと思い返しながら読んでいたので、まんなかに当たる人が出てきたときはちょっと驚きました。) 相変わらずの梨木香歩節とでもいいましょうか。久しぶりに不思議な物語にどっぷり浸った気分になれました。
  • 2026年2月28日
    ドクロ
    ドクロ
    これはホラーなのかミステリーなのか。はたまたファンタジーか。 チロルの民話をもとにしているという点から言えば、ファンタジーなのかもしれない。 ページをめくるたびに展開される絵と物語。当初は何もないように思えるエピソードも後々、伏線となって効いてくる。 物語自体はとても短く、まるで絵本のようだが、始まりから終わりまで物語の隙間が多く、その隙間を埋めるために空想がかきたてられる。読んでいる間、ワクワクドキドキした。 好きなシーンも多い。ふたりでお茶を飲むところ、ひとりでお茶を飲むところ。ふたりで踊るところ。骨を叩き割って燃やすところ。 読んで良かった。 語られない物語の隙間をお茶でも飲みながら誰かと語ってみたいと思いました。
  • 2026年2月21日
    あの人と、あのとき、食べた。
    著者とは(おそらく)年齢が近いせいか、ページをめくるたびに自分の幼い頃を思い出し懐かしさに胸をいっぱいにし(しかし、ほんとうに昭和の子育ては今からすると考えられないくらいバイオレンスで雑でした)、自分の親との関係を振り返り、胸の奥がひりひりするような、ぎゅうとつかまれるような何とも言えない気持ちを抱えながら読み終えました。 すべてを読み終えてから巻頭の料理の写真の数々を見ると、最初にページをめくったときとは違う感想がわたしを取り巻きます。写真の料理それぞれにエピソードがあり、それを知った読後では、料理のそれぞれがまた違った表情を見せてくれるのです。ひとつの家族の物語がここにあるんだな、と感慨深くなりました。
  • 2026年2月6日
    四維街一号に暮らす五人
    四維街一号に暮らす五人
    夜に読んではいけない物語だ。 前作(「台湾漫遊鉄道のふたり」)にもかなり食欲を刺激されたが、あれは主人公が食いしん坊という設定だからと思っていた。 違う。 これは著者が相当な食いしん坊なだけだ。 今作もシェアハウスに暮らす5人の女性の物語のはずなのに、次から次に出てくる魅力的な料理の数々。これは知っている。食べたことある。知らない。食べたことない。これは好きじゃないやつーーーー結果、おなかがすく。 いや、この本はそういう物語ではない。 日本統治時代に建てられた築100年近いシェアハウスで暮らす5人の女性の物語である。そう、ただの女性たちの日常の物語のはずだった。 最後の最後に凝縮した過去と現在が縄のように絡み合った物語が展開されるまでは。 それまではそんなことは微塵も感じさせずに、ぬるい流れるプールで流されるままに物語を楽しんでいれば良かった。しかし、突然それは幕を開ける。流れるプールは突然、洗濯機となり激しい渦のなかにわたしを飲み込んでいった。 本省人と外省人。 独立派と非独立派。 この2つの2項対立は台湾を理解するうえで欠かせない因子だと考えられてきた。 物語の中でも各登場人物はそれぞれ異なるエスニックグループの出身とされ、その違いが料理を通して語られる。しかし、そこには違いが明確なときもあれば、グラデーションのようなときもあることが語られる。 わたしは今までなぜ台湾国内に台湾の独立を支持しない人々がいるのかが理解できなかった。しかし、登場人物の一人、安修儀がある場面で言う。 「わたしは台湾人で中国人だよ」 そこまでに語られた彼女の祖父の生き様に、孫である彼女のこの言葉で、わたしはやっと初めてうっすらと、なぜ台湾人の中に台湾の独立を支持しない人々が存在するのか、それが理解できた気がした。 日本人のわたしが言うべきことではない気もするが、それは国民党の呪いのように思える。 外側から見ていると不可解なことが、内側では時にはグラデーションのような温度差を持って時には複雑に事象が絡み合っていることを本書は物語を通して鮮やかに描き出している。 硬くなく軽やかに台湾の過去と現在を語り、さりげなく台湾への理解を深めてくれる。とても、とても良書でした。 以下、備忘録として。 巻末の翻訳者あとがきによれば、著者の「開動了!老台中」(これは原著を見る限り、食べ歩きエッセイと推測される)も日本語版が準備中ということなので、楽しみに待ちたいと思います。
  • 2026年1月21日
    骨灰
    骨灰
    怖い。 最初から最後まで、徹頭徹尾、怖い。 主人公はどうなるの? いや、主人公まで飲み込まれちゃったら物語続かないよね!? でも主人公が飲み込まれて終わった物語があった気がする⋯と、怖さのあまり主人公の安否だけを頼りに一気に読み終えてしまった。 ほんとうに怖かった。
  • 2026年1月19日
    飲中八仙歌
    飲中八仙歌
    サブタイトルに「杜甫と李白」とあるので、てっきりこのふたりの物語かと思えば違った。 タイトルになっている「飲中八仙歌」に出てくる8人をなぞりながら杜甫を中心に物語は進み、最後に杜甫自身の物語になり代表作「春望」に至る。この「春望」は学生時代に習っているはずだが、当時は何とも思わず、田舎くさい詩だなくらいの感想だった。しかし、この物語を読んだ後の「春望」は違った。そこに至るまでの物語のせいか、杜甫が「春望」を詠んだとき、その光景が目の前に立ち上がるようだった。これはこんな詩だったのかと驚きと共に今までわからなかった自分が恥ずかしくなった。 遠い国の遠い時代の詩人たちが、フィクションであるとはいえ、目の前に立ち上がってくるような、これぞ時代小説を読む醍醐味を味わせてくれる本でした。 時代は下るが物語の形式が似ているせいか読書中、夢枕獏作の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」がちらついた。 酒呑み8人の物語なので、読んでいる間たびたび呑みたくなって困った。
  • 2026年1月13日
    海底の覇権争奪
    有事の際にはケーブルが切られる。 領海内だとあからさますぎるので、EEZ内で船が引っ掛けましたって体で切る。 これからはケーブル切るより陸揚局を狙ったほうが簡単じゃない? 以下、本書よりの抜粋。 “サイバーグレート・ゲーム 2つのハートランド  1.データセンター  2.頭の中にある認知スペース こに2つへのアクセスを担うのが情報通信技術。これが安全かクリーンかが問われている。”
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