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みつき
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@mitsuki_o
ほぼ通勤電車内で読んでます。 趣味で小説を書いたり、曲を作ったり、ベースを弾いたりしています。
  • 2025年11月16日
    夢幻地獄四十八景 (講談社文庫)
    ショートショート集。ショートショートというと星新一の名前がまず思い浮かぶし本書に収録されているある作品でも星の名前が出てくるのだが(『飛びおり自殺』pp32-35)、都筑の書くショートショートは星のものと比べるとだいぶウェットだ。星はあくまでSF作家なのに対し、都筑はミステリ作家であるということもあるのかな。人の怨念や情愛というものが文庫本3-4ページに満たない作品群の中に溢れ出ている。いろはかるた順に作品が並べられているのも楽しいし、真鍋博のイラストも格好いい、洒落た一冊。
  • 2025年11月15日
    夢幻地獄四十八景 (講談社文庫)
    古本市に行ってきた。
    夢幻地獄四十八景 (講談社文庫)
  • 2025年11月15日
    家が呼ぶ
    家が呼ぶ
    朝宮さんがちくま文庫で編んだアンソロジーの第一弾。類書が多くある物件ホラーものであり、既読の作品も数作含まれていたが、未読かつとても読み応えのある作品にも出会えたので満足。病弱な女子大生が身体を強くするために始めた散歩をするうち素敵な家族と知り合い、という出来事がモノローグで語られるうちに少しずつ死の影が濃くなっていく小池真理子『夜顔』。ルームシェアしている同居人の一人が部屋から何日も出てこなくなり様子が変だと思っていたら、という三津田信三『ルームシェアの怪』。この二つが本書からの収穫。
  • 2025年11月15日
    左川ちか 青空に指跡をつけて
    詩論。あえて評伝的な記述や左川の人生に関連させた論考は最小限にとどめられ、作品そのものを分析する態度で徹底されている。 アダプテーションやインターテクスチュアリティといった用語を使いつつ、左川は他者や自身のテクストを再構築し作りかえていったと指摘した箇所が面白い(pp69-70)。同じく改稿癖のあった稲垣足穂との対比では足穂は月、左川は太陽の詩人とされる(pp127-128)。本書の最後ではゴシックと左川を結びつけ、そこに左川の現代性と未来をみようとしているのだが(pp213-220)、この試みは逆に左川の可能性を狭めているように感じた。
  • 2025年11月14日
    汽車旅の酒
    汽車旅の酒
    父親が吉田健一のファンだった。だから、この人の作品は意図的にこれまで読むのを避けていた。それなのに、なんで今回手に取ったのかというと、あるアンソロジーに収録されていた吉田健一による、幽霊の出てくる短編がなかなか良かったからだ。 で、近々遠いところへの出張も控えているのでこの文庫本を選んだのだけれど、「併し兎に角、旅行している時に本や雑誌を読むの程、愚の骨頂はない(後略)」(p27)という吉田健一とは、そもそも私は旅についての認識が違うのであった。そして、彼があちらこちらを旅しては、酒を飲み、肴に舌鼓を打つのをひたすら読まされても、面白くもなんともないのであった。 だが、後半に収められた短編小説『東北本線』(pp151-180)は、たまたま隣り合わせた乗客とウイスキーを飲みながら雑談するだけの物語だが、なかなか良かった。随筆じゃなくて小説を、もう少し読みたいな。
  • 2025年11月10日
    足穂拾遺物語
    足穂拾遺物語
    二〇〇〇年代は筑摩書房から足穂の全集が、ちくま文庫から稲垣足穂コレクションが、ユリイカ増刊で『総特集=稲垣足穂』が出るなど、なんだかやけに足穂が盛り上がった。そのしんがりに出た「ヴェリー・ベスト&レア・トラックス」(表紙にそう記載されている)。表紙から読むと本文が、裏表紙から読むと解題+校異が本の半ばまでそれぞれ展開されている。両者の境い目、本の中央には初出媒体書影集がカラーで収録されている。 「ヴェリー・ベスト」とは正直思わないが、足穂は同じ作品を何度も何度も書き直して発表し、同じ題材を扱って別の作品に仕上げることも多く、本書に収められているのも、「レア・トラックス」というよりは、別ヴァージョンとかミックス違いのような作品群である。初出媒体書影集が一番楽しめた。
  • 2025年11月8日
    深夜倶楽部 (FUTABA NOVELS 163)
    現代版百物語のような集まりに作者自身が参加し、他の参加者達から聞いた話を書き留めたという設定の連作集。収録作のうち『狐火の湯』(pp99-128)と『夜あけの吸血鬼』(pp193-228)はアンソロジーに編みこまれていたのを読んだことがあり、どちらもものすごい傑作だったので、これは全編通して読まねば、と思って手に取った。全七編全て傑作。昭和三十年代後半頃、北陸を訪れた映画俳優が訪れた友人の家で生き霊に遭遇する『死びと花』(pp7-40)、雑誌の幽霊屋敷特集のために山手線の内側に立地するある家を訪れた一行を襲う超常現象の雨あられの描写とその意外な原因が秀逸な『幽霊屋敷』(pp159-191)が素晴らしい。
  • 2025年11月5日
    Dracula (Popular Penguin)
    トランシルヴァニアのドラキュラ城に主人公の弁護士、ジョナサン・ハーカーが訪れるところから話は始まる。いかにもおどろおどろしい、ああうん、ドラキュラ伯爵ってこういう感じだよね、という話運びで期待を裏切らない。しかしその後、舞台はロンドンに移り、えっ、この人が? という人物や子供たちがドラキュラ伯爵の餌食になり、でも肝心のドラキュラ伯爵自身は全くその姿をくらましてしまう。ロンドンの暗闇に暗躍する存在となるのだ。姿をくらましたままロンドンを脱出して城に戻ろうとするドラキュラとの最後の戦いで、ある人物がその冴えをみせる。意外だったのは、執筆された当時の最新テクノロジーが盛り込まれていること。そして海運が物語のなかで大きな役割を果たしていること。新しい時代のなかに伝説的で忌まわしい存在がよみがえったからこそ評判となったのかも。
  • 2025年11月4日
    三人関係
    三人関係
    初期の短編二つが収録されている。『かかとを失くして』は、異国から嫁ぎにきた主人公が、姿を見せようとしない夫や、町ですれ違う人々とやりとりをしながら、起きている時と、眠って夢をみている時との境があいまいになっていく話。表題作は、作家の妻と画家の夫と学生の女の関係性を、作家のファンであり学生の女の勤め先の社員である主人公の視点から観察するうちに主人公自身もその関係性に巻き込まれていく話。自我というものの不安定さが描かれている。
  • 2025年11月1日
    三人書房
    三人書房
    江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』および、あの作品の背景をもとに書かれた連作集。高村光太郎、宮沢賢治、宮武外骨、横山大観といった人たちが作中に登場し、乱歩とともに大正から昭和二十年代までの東京の謎に挑む。モデルにされている人物達の著作をもう一度手に取ってみたいという気持ちになる。著者の人柄が滲みでている『文庫版あとがき』(pp267-269)も良い。
  • 2025年10月28日
    ドラキュラ ドラキュラ
    「吸血鬼小説のミニアチュール・アンソロジーを編んでみようと考えていた」(p240)と編者解説にある通り、薄い文庫のアンソロジー。元本は一九七三年薔薇十字社版の単行本。通勤途中の電車内でこの数日楽しんだ。既読の作品は飛ばし読み。ホフマンはやっぱりすごいなーと、『吸血鬼の女』(pp103-123)を読んで感じいった。一番怖くて、かつ読みがいがある。種村さんの訳の力もあるんだろうな。あと、「吸血鬼を主人公にした物語の書き手たちは、吸血鬼がもはやいないと誰もが承知しているような時代になって、はじめて現われてきたのであった」(p241)というのも大きいと思う。怖くなくなったからこそ、好き勝手に書けるんだろうなー。
  • 2025年10月27日
    外国語を届ける書店
    外国語を届ける書店
    欧明社の閉店は、当時青天の霹靂のおもいだった。でもちゃんと、受け継いでやっていくお店と人がいらっしゃったのね。それを知れただけで幸せ。
  • 2025年10月25日
    吸血鬼文学名作選
    須永朝彦に捧げられたアンソロジー。須永の手書き原稿『彼の最期』に始まり、彼の手による『小説ヴァン・ヘルシング』に終わる。収録された各作品がリンクしているのが楽しく、既読の作品も新鮮な気持ちで読めた。早く亡くした妻を思い続ける男の破滅を描く柴田錬三郎『吸血鬼』(pp125-152)、台湾を舞台にしているのがいかにも日影丈吉らしい『吸血鬼』(pp153-181)、いつまでも若いままの母娘の背後に戦争の傷跡がちらつく都筑道夫『夜あけの吸血鬼』(pp183-224)、愛らしすぎてむしろ吸血鬼側に感情移入してしまうテオフィール・ゴーチエ(芥川龍之介訳)『クラリモンド』(pp301-346)が印象に残る。
  • 2025年10月21日
    ゼロから分かる! ジャズ入門
    自分の知識が前世紀で止まってしまってるので、現在のジャズの見取り図をみたくて手に取った。第7章『いつだって現在進行形! 21世紀のジャズとジャズマン10』(pp147-159)が参考になりました。
  • 2025年10月19日
    某月某日 シネマのある日常
    某月某日 シネマのある日常
    京大を退官する一九九四年前後の映画鑑賞記録と日常を、当時の記録と記憶をもとに二〇二〇年代に再構成した内容。仕事が終わって家に帰ったあと、寝しなに読むのにちょうどよかった。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件について触れられており、改めて、一九九五年とはなんという年だったのだろうと感じた。取り上げられている映画や本をメモしつつ、著者の感じ方に頷いたり、そうかなあ? と思ったりしながら読み終えた。
  • 2025年10月17日
    十七八より
    十七八より
    物語の語り手が少女時代を懐古し、そこで語られるのは語り手が「十七八」の頃の日常の、細かな、極端に細かな出来事。過去の出来事を、細部を極端に懐古していく、秘密めいた語り口が、高橋源一郎氏や多和田葉子氏には評価されたようだ(巻末に、本作が群像新人文学賞を受賞したときの選評が載っている)。実験的であることはわかるけど、登場する人物たちがやたら理屈っぽく、小説というよりは文芸評論という感じ。
  • 2025年10月17日
    ブルーボーイ事件
    実際の出来事をもとに制作された映画のノベライズ。本当は映画を観てから読んだ方がいいのだろうけれど、映画が公開されるのは来月(二〇二五年十月現在)なので、こちらを先に読んだ。トランスジェンダー当事者としては、映画の中での扱われ方が非常に腹立たしく尊厳を傷つけられた『ミッドナイトスワン』 (二〇二〇年)と、シスジェンダーの俳優ではなくトランスジェンダー女性の俳優を主演に据えて生活や心象を丁寧に描き出した『片袖の魚』(二〇二一年)を、まず思い出す。本作の価値はもちろん映画を観てみなければわからないのだけれど、このノベライズでは「幸せ」が大きなテーマになっていて、私は職場から自宅に戻る途中の通勤電車内で、吊り革につかまりながら読んでいて、思わず落涙した。
  • 2025年10月14日
    日本人3.0 - 新しい時代のルールと必須知識 -
    著者と、あるところですれ違ったのをきっかけに手に取った。日本論や日本人論には日頃警戒している。でも、この本における日本人の定義は「母国語が日本語であること」(p26)なので、右とか左とかの話ではないことにホッとしつつ読み進めた。安心を求めてやたら国に頼るのではなく、リスクをおそれず、国にこだわらず、個人として自分のしたいことをしていこう、ということを著者は言っている。すでに普段からそう考えて生きているので、私にとっては今更な内容だったが、意見には賛成だし、この本を読んで役に立つ人もいるだろう。
  • 2025年10月11日
    毛糸のズボン
    毛糸のズボン
    講談社の「なかよし」や「少女フレンド」に一九七一年から一九七三年にかけて掲載された短編漫画を復刻した文庫本。著者が阪神淡路大震災で被災され、原稿が消失してしまったため、掲載誌から起こしたと奥付にある。 トラウマという言葉を安易に使う風潮は、医療従事者として苦々しく思っている。そして、一九七〇年代前半には、わたしはまだ生まれていなかった。でも、当時少女だった人々にとっては、著者の作品は、もしかしたらトラウマになっているのかな。それならそれで、言葉の使い方として正しいんだろうな。著者が「これは私の黒歴史です」(p323)と自作解説している『シャイアンの大ワシ』(pp227-257)がわたしは一番好き。著者が西部劇映画をほんとうに好きだったことが伝わってくる。
  • 2025年10月10日
    相撲を見る眼
    相撲を見る眼
    九月場所を観ながら読んだ。尾崎士郎が相撲観戦に通ったのは昭和二年頃からということなので、関東大震災復興後の初代国技館と、蔵前国技館ということになる。生で観戦するほかには新聞などで試合の展開を知るしかない頃の尾崎士郎にとって、相撲というのは少年時代には自分でとるものであり、大人になっても文士同士でとりつづけつつ国技館に通いつめて観戦し続けるものでもあった。そんな著者の相撲観の変遷は「跋」(pp217-219)にさらりと書かれている。本書におさめられた文章は、土俵から国技館の外、東京の街のなかにまで広がり浜町や柳橋あたりまでを描く。相撲というものが都市において持っていた存在感を感じることができる。
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