大前粟生
@okomeyomuyomu
- 1900年1月1日読み終わったnoteでつけてる読書日記からの転載です 西平等 編著『紛争が戦争とならないために 国際法による制御の可能性』(日本評論社)を読んでいる。国の集まりへの漠然とした気持ちの悪さが自分のなかに最近あるなと思い(国とか偉いひとが集まってなにかを決めるならそれは当たり前に善だろう、と思いたい感じ)、しかしなにから調べようかも漠然としているので「国際法」で検索してこの本を手に取ってみた。昔一般向けの法学の入門書を読んだときに、ひとが目指すための理想として法がある、というようなことが書いてあってその考え方がかなり好きだった。 で、この本は国際法学者たちによる論文集で、ある出来事に対する措置が国際法的に合法かどうかを見るのが国際法学者なのだけれど、そうではなく出来事(紛争)の側から国際法を見ることが必要だ、つまり世間の立場から国際法ってなんの役に立つのだろうか考えてみたい、という感じのコンセプト。 著者が18人いるのだけど、多くのひとが国際法は不充分だが存在することにまずは意味があるというような捉え方をしているのが印象的だった。「戦争を防ぐために国際法は役に立っているのだろうか。私は、これまでの人生の多くを国際法の研究に捧げてきたにもかかわらず、この問いに十分に理論的に答えることができない。おそらく役に立ってきたと思う。しかし、どのように役に立っているのかをうまく説明できない」と編著者の西さんが書いていたが、だからこそ研究しなければならないのだろう。国際法がなければ時代の流れがもっとやったもの勝ちになっていたかもしれない。そうしたifを想像することってなにかが"ある"からこそできる。しかしその意義は、それがあるからこそうまく見えなかったりするのだろう。 戦争がいけないことになってからの歴史ってすごく浅いから、反戦の言葉って充分ではないのだと思う。なにかまだ人間が考えられていないことがあるはずだ。 驚いたのが、西側諸国が経済制裁を行ってもロシアは軍需や中国、インドとの貿易拡大によってけっこう埋め合わせができてしまっているということと、「そもそも国連システムは安全保障理事会の常任理事国五か国での戦争が第三次世界大戦へとつながることを防ぐべく、集団安全保障の発動手続きにおいて五か国に拒否権を与えているのであり、五大国が関係する武力紛争においては国連システムが発動しないようになっているという現実」(豊田哲也さんの章から)があるということだ。国連の成立理由が世界大戦を繰り返さないためだから組織としてはそれでいいのかもしれないけど、それって大きな犠牲を防ぐためには小さな犠牲は仕方がないっていう態度で、ひと昔前のゲームだったらこういうのがラスボスじゃん(どっちも防げよって思うのもゲーム的な発想なのかもしれないけど)。
- 1900年1月1日読み終わったnoteでつけてる読書日記からの転載です 渡辺孝『戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち』(NHK出版)を読んだ。 「NHKスペシャル 従軍作家たちの戦争」と「ETV特集 戦場で書く〜作家 火野葦平の戦争〜」のディレクターがその取材記をまとめた本。今日の日記はその本のまとめとして長い。 1907年生まれの火野葦平は陸軍兵として中国の杭州に出征中の1938年、『糞尿譚』で第六回芥川賞を受賞している(現地での授賞式には小林秀雄がプレゼンター役でやってきた)。分隊長だった火野はその後、報道班に引き抜かれ、「徐州作戦」をモデルに『麦と兵隊』を書き上げ、のちの『土と兵隊』、『花と兵隊』と合わせ兵隊シリーズはは300万部を越えるベストセラーになる。従軍兵が書いた小説がヒットした影響もあって、38年にはペン部隊が発足。菊池寛、林芙美子、岸田國士などスター作家が参加して戦場を視察している。この頃にも検閲はあったけど、のちの太平洋戦争中にははっきりと戦争協力のための読み物以外は発売できなくなったようだ。1942年には日本文学報国会が発足。この会の事業は「愛国百人一首」や「大東亜戦詩集・歌集」をつくること、そして大東亜文学者大会の開催。第一回には300人以上の文筆家が参加している。弾圧をおそれて参加したひとが多かっただろうが、この本で言及されているペン部隊の物見遊山的な感じ、作家として戦争を目撃できることへの昂ぶりのようなものを考えると、会のなかには国という大きなものに対して"役に立てている実感"に舞い上がっていたひとも相当いたんじゃないかなと思う。 火野は報道班として従軍を続けながら中国とのメディア戦(ビラを撒いたりスピーカーで訴えたり)に参加したり、太平洋戦争がはじまるとフィリピンで捕虜教育をしたり今で言うZINEみたいなのを作って「日本兵の善良さ」を訴えようとしたりし、インパール作戦にも報道部員として参加。ろくに食糧がなく兵士たちが餓死していく様を目撃している(彼らは食糧がないので甘みを感じられるダイナマイトをたべたりしていたらしい)。そうした状況に火野は憤るが、それは戦争そのものや国にではなく部隊の司令官と「英米」に向けられている。 火野葦平はかなりのメモ魔で、二十冊以上の手帳が残っている。この本はその手帳を頼りに火野が戦中に歩んだアジア各国の道のりを著者が実際にたどりながら火野にとっての戦中と戦後というふたつの戦争を見ていく。戦後も火野にとっては「戦争」状態だった。兵隊シリーズが大ヒットし国民的作家になったために、戦後は一転、非難の対象となり世間から戦犯扱いを受けるようになる。実際、菊池寛らとともに公職追放され(追放の理由は兵隊三部作以後の、太平洋戦争時の著作による)、それが解ける1950年まではいわゆる文壇での活躍はなさそう(解けてからは後ろ指をさされつつも世の中にまた受け入れられていったっぽい)。 軍国教育を受けて育ち、かなり国粋主義っぽい火野だけど、これを読む限りその根底には文学者っぽい人間愛があって、たとえ戦後に元兵士たちからさえ非難されても彼らへの同情と共感を捨てきれない感じは、たくさんの作家が戦争協力については沈黙するか一転して態度を変えたその時代にあっては一本筋が通っているように思える。でもこれは今が未来だから思えることかもしれない(前にも日記にこういうことを書いた気がする)。当時に生きていたら感情として"無理"だったかもしれない。戦中戦後のとにかくポジションが大事な感じはかなりSNS的だなと思う。炎上状態だった火野は自己を見つめ続け、戦後十年が経ち再びアジア各国を旅し、戦争の愚かさをはっきりと明言する。 けれども、自身をモデルに戦前、戦中、戦後を舞台とした1000枚を越える大長編『革命前後』を書き終えたあと1960年1月23日に自殺。遺書では芥川龍之介の遺言である「或る漠然とした不安」を引き合いに出している。 たぶん、としか言えないけど人気作家にならなければ、火野葦平が優れた作家ではなければこうはならなかったんだよなあ。 『革命前後』の抜粋を『戦場で書く』から孫引き↓ 「惨禍と人間の破壊には、いかなる理由も弁解もはねのける恐ろしい罪がある。どんな戦争でも人間は戦争などをしてはならないのだ。それは勝利や敗北にかかわりのない人間の祈りでなくてはならない。 妄動は無価値であったろうか。昌介は胸を張る。一瞬一瞬の正直な実感こそが、人間の行動の中で信じられる唯一のものではあるまいか。真実には盲目であり、虚空に向かって感動したとしても、それは尊ばるべきではあるまいか。滑稽と暗愚との中にこそ、人間がいるのではないか。戦争も、国家も、歴史も、なにがなにやらわからない。革命の名の下に大混乱がおこっているが、その中で信じられるのは人間の、自分の、自分一人の実感だけだ。」 いい文章で感動する(『革命前後』は新版が入手可能だけど表紙が好きじゃないんだよなあ) 『戦場で書く』の感想として、火野葦平と石川達三の対比がとてもおもしろかった。 石川達三は朝日新聞派遣の従軍作家として南京事件を題材に日本兵の残虐さを描いた『生きている兵隊』を『中央公論』に発表し(その大部分は伏せ字だったが)発禁処分になり、取り調べを受けている。これは火野が徐州作戦に参加する少し前のこと。石川は判事から「国民は我が軍の軍紀の厳粛なることを信じているのであって、かようなことを書いたら日本軍人に対する信頼を傷つける結果にならぬか」と問われ、石川は「それを傷つけようと思ったのです。だいたい国民が、出征兵を神のごとくに考えているのが間違いで、もっと本当の人間の姿を見、その上に真の信頼を打ち立てなければだめだと考えておりました」とこたえている。こうした批判を公の場で口にできたひとは本当に少数だっただろう(『生きている兵隊』事件では石川は逮捕されず、『中央公論』の編集長だった雨宮庸蔵が引責辞任している。このひと美術家の雨宮庸介さんと関係あったりする?)。とてもかっこいいけど、その後石川は『生きている兵隊』での「汚名」を返上しようと従軍作家として戦地に赴いたりしている。この時代のひとで、たとえ批判的ではあっても"国が好き"以外の態度のひとって本当に見たことがない。それだけ個人と国のムードが近ったということか。 火野葦平と石川達三は『中央公論』昭和14年12月号で対談しているらしいのでなんとかして読んでおきたい。 『戦場で書く』はよく調べられているいい作品だなというか、時系列を追いながら複数の証言をたたみかけていくスリリングさはドキュメンタリーをつくるひとの仕事だなあと思う。気になったのは語り口で、「〜に違いない」に持っていくのがかなり早いなと感じた(ナレーション的というか)。記者的な役割のひとがしている「大衆性」の出し入れみたいな手つきって、あれってどこまで自覚的でどこまで無意識なんだろう。勝手な想像だけど、「大衆性」という半透明な膜を常に自分にかけているうちにそれが喰い込んだりとかあるんだろうか。「大衆として聞く」ための自分になっていくというか。
- 1900年1月1日読み終わったnoteでつけてる日記からの転載です。 野田努『ブラック・マシン・ミュージック』(河出文庫)上巻を読んだ。ディスコの登場以降ダンスミュージック、ゲイカルチャー、黒人音楽、ハウス、デトロイト・テクノがどう発展してきたか、めちゃくちゃ詳細なリサーチをもとにかっこいい語り口で教えてくれる本。上下巻あって、上巻では主にシカゴとデトロイトの社会状況、黒人差別の歴史やその反映として(あるいなアシッド・ハウスなど民族的なルーツとは別のものとして)そのときどんな音楽が登場したかが鮮明に描かれている。インタビューや書籍からの引用がとても巧みで、壮大な聞き書きみたいに感じられるんだよな。直接聞いてる証言もあって、引用と談のレイヤーの違いが気にならないくらい語り口がスムーズで痺れる。 菊地成孔+大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー』(東大でのジャズ講義本)に野田努がゲスト講師として参加しているのだけれど、その本のなかでしきりに名著だと言われていたので読んでみたかった。もともとは25年ほど前の本で、8年前の増補版と合わせたものが文庫になってくれた。 DJのよさってあまりわからないなあ〜、と思っていたのだけれど、この本に出てくる曲を聴くうちに自分だったらここを反復させるなあとか思うようになってき楽しい。 DJプレイのえらくハンドメイドな技術(曲のつなぎ目にシールを貼ったり布かテープでレコードを繋げたり)を読んでいると、紹介されている大量の固有名詞が頭のなかでもつれてミックスされるような感覚に襲われる。レコードがぐるぐる回り、その隣にはもうひとつのレコードがかけられていて、たくさんの人名がレコードの溝に入り込んで声を出している。この固有名詞の羅列がレイアウトとして醸し出してくる"ハイ"な感じは消費社会を端的に表しているようで、たまにこういう本を読むとモノやカルチャーにまみれる感じがしておもしろい。書かれている音楽も検索すれば聴けるわけで、聴いているあいだは仕事机のまわりの重さがなくなる。名曲として書かれていたCan You Feel It(これにはキング牧師の演説Mixもある)とStrings Of Lifeがすばらしい。Strings Of Lifeについて制作者のデリック・メイは 「ときどき自分の祖父母や母や自分の幼少期のことを思い出す。"Strings"はマーティン・ルーサー・キングのことだ。彼が殺されたとき、希望や夢も破壊された。これはかなえられなかった彼の希望なんだ」と語っている。 こうしたテクノを聴いていると、服を買いたくなるというか、見た目もこのかっこよさにアプローチしたくなるのはどうしてだろう(でもクラフトワークやYMOを聴いても別に見た目を変えようとはならない) 昔は曲を聴きたければこうした本を参考に店に出かけてレコードやCDを漁る必要があったと思うんだけど、その過程できっとコミュニケーションやコミュニティが生まれたりして、それって今となっては得難い価値だろう。だからこそ最近は、その場所に出かけないと繋がることができない、ということへの需要が爆発気味に高まってるように思える。たとえば展示とかは、観賞というより体験の場として近頃は機能しているだろう。わざわざ出かけてある空間に入り込む、という作業をしなければなにがフィクションか実感しがたい世の中なんだと思う。それに友人や恋人と出かけるスポットとして映画や遊園地がもはやかなり高いというのは大きそう。クラブってその意味では今どうなのだろう? 盆踊りが人気っぽい(空気があるよね?)、その延長で流行ったりするだろうか。『ブラック・マシン・ミュージック』を読むといきたい感じはかなり出る。
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