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めがね丸
めがね丸
@reading11
  • 2026年2月9日
    バルセロナで豆腐屋になった
    子どもから借りた。中村哲さんの本はひとまずおいて、こちらから。
  • 2026年2月7日
  • 2026年2月2日
    母の友 2007年2月号 インタビュー“自信を持てないでいる「貴女」へ”
    大日向雅美先生のお話を読むと、もやもやしていて当然なのよ、と肯定されている気持ちになって、当時もとても慰められた。 育児というのは、頻繁に自分を責めてしまったり、自信がなくなったりするものだから。 2月2日 「小説というものは、現実から遊離した夢物語ではない。想像力は私たちの「現実」のなかから生まれ、その土壌を肥料として肥えていくもの、だから歳を重ねれば重ねるほどに、小説を読むことは面白くなる。これは私の実感である。成熟していくことを、社会全体が阻んでいるように感じられる今の日本。」 「イギリス的人生」の小池昌代さんの書評から。   伊藤雅子さんのエッセイ、「私はかまわないけど」は、自分もよく言ってる気がする。でも、ああそうか、相手に好きにしていいよ、という譲る気持ちで言ったつもりだけれど、逃げ道を作る無責任にも繋がるのか。自分はどういう場面でよく言っているだろう…。自分で考えずに人に考えさせているのだ。 最後に「とするなら、保身のつもりで、我から大事なことを遠ざけたり、自分を蝕ませているのだが。」と締めくくられている。そうやって生きている自分を変えたい。 2月5日。 KENPŌ TIMES連載題9回は天野祐吉さん。天野さんは憲法は、日本という国はこういう国でこういう形をとりますよ、という広告だとおっしゃっている。 世界価値観調査2000から「戦争が起きたら国のために戦うか」という調査の結果で、日本人は群を抜いて低い数字(15.6%)。天野さんは、「これは憲法の広告効果で、憲法のおかげで『我々は戦争をしないんだよ』という考えがここまで浸透しているんだとプラスにとっているんです」と語っている。「情けないという人もいるけれど、それは勘違いも甚だしい、だって、憲法で戦わないと宣伝しているのに、それで戦争になったら戦うってんじゃ虚偽広告ですよ」と。 憲法に対する考え方は人それぞれだけれども、『憲法についてみんなで話そうよ』という広告で、変えよう?守ろう?どっちだろうって考えている人のための広告はできる、というところで次月に続くらしい。この連載も心惹かれる。    「父の友」のコーナーは手塚貴晴さん。クスクス笑いながら読んだ。お料理頑張ってらっしゃる。カボチャをたくさん食べたり、食べなかったりの娘さんは今はもう大きなお嬢さんなのだろうな。そして、手塚さんはきっと良いお父さんなのだろうな。幸せな光景。   2月6日追記
  • 2026年1月31日
    母の友 2007年1月号 特集「どう選ぶ? 子どものおもちゃ」
    本日、「 母親を生きる、自分らしく生きる~『母の友』元編集長に聞く「母」のこれから~ 」という講演会へ。 「母の友」の読者の方がほとんどだと思われて、同志…、と勝手に親近感を覚える。 この号では、加古里子さんが子どもを信頼しているということを感じられて、大人は責任重大だとまた再確認。 そして、「あの日のこと聞かせてください」 戦争体験者の日記と体験談、マスコミの情報の操作されやすさ。 発刊の約20年前より危機感を煽られての今。選挙があるけれど、この先が良くなるということが信じられない…。 でも、今日の講演会は思い切って申し込んで本当によかった。好きなほうへ、自由なほうへ。人間は、やるか、やらないか。やりたいことをするのに、時間はあまり残されていないから。
  • 2025年12月29日
    中村哲 思索と行動
    母の友が、読み残り数ページになったので、自宅で読むことにして、こちらを久々に。 「私たちは怯えなくてもいいものに怯え、人に与えられた恵みを忘れがちです。」 敢えて怯えさせられているかもしれない私たち。 1月7日。 「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために 働いて支え合い、人のために死ぬ。」 人のために働けているのか?無力。  1月14日
  • 2025年12月28日
    母の友 2006年12月号 特集「どうしてこんなに片づかないの」
    「どうしてこんなに片づかないの?」の特集は、小さい人がいるから仕方ないところがあるけどこういう工夫で…、というお話だろうな、と思ったら、全然違った!日本の住まいの昔から現代までの変化を辿って、日本の生活様式は、散らかりやすい、ということがまず詳しく説明されていた。なるほど。あ、到着する、続きはまた。 1月1日追記。 興味を引いたのが、日本の集合住宅の割合は世界的に見ても非常に少ない、というところ。当時岐阜大学教育学部の渡辺光男さんによると、そのせいで、「戸建てを買わされている」とのこと。そして、その集合住宅も質のよくない住みにくいものをどんどん建てて、高い値段で売ってきた。住みにくいから、家族が増えたり、生活が変わると住み続けられない。すると、どうするか。一方で戸建てをたくさん建て、終の棲家はやはり庭付きの一戸建てだと宣伝して買い換えさせる。集合住宅を貧弱にしておくと、設計事務所、建設会社、それに融資する銀行が二度儲かる、というところも。 あれは、あえての住みにくさだったのか?と驚いた。 そして、20年経って、今建つ集合住宅は少しは住みやすくなっているのか?長く住めるように住みやすさを十分に考えたものが増えてほしい。そういうものが当たり前のようになれば、価格も抑えられるのでは…。 いつも思うけれど、道具が人に合わせるのでなく、人が道具(この場合は棲家)合わせていかなくてはならないのが当たり前になっているから、暮らしにくさや生きにくさのズレはだんだん大きくなっていくのではないか…。 もちろん、よくなってきたところもあるというのは分かっているけど、ある程度のところまできたら、ここから先は我慢よろしく、となっているような気がする。
  • 2025年12月1日
    母の友 2006年10月号 特集「繕って暮らそう」
    12月1日読了。 『子育てフリースタイル』の山田先生の「差別はいくらでもある」というタイトルのコラムは本当にそう、と思いながら読む。 たまたまだが、昨日は外国人差別をしている団体に、また別の集団が「差別はやめろ!」とコールしているところに出くわした。その場に留まることはできなかったけど、心の中で(頑張って。ありがとう)と思いながら通り過ぎた。
  • 2025年12月1日
    母の友 2006年10月号 特集「繕って暮らそう」
    絵本作家のアトリエ番外編の太田大八さんと加古里子さんの対談。 加古さんの「子どもって、周りの大人たちの様子からその時代の空気を無意識に見抜いて、それをどんどん吸収してしまうんです。ぼくは今のお父さんやお母さんに、このことをよく知っておいてもらいたい。子どもにおいしいものをやった、きれいな服も着せてやってる、絵本も大量に買った、さあ文句あるか、そうじゃないんですよ。子どもは大人の生き方を見ています。いくらモノが足りていても、人間の品格というかな、そういうものの大切さを忘れてほしくないと思います。」 品格というものなのかはわからないけれど、モノを揃えてそれで大丈夫、ではないというのはとてもよく分かる。不安で、人が持っているものは与えておきたい、与えておけば、そのことで何かをクリアできたわけではない。 見せられるような生き方をしているか、と問われてしまうと、どうだろうかと我が身を考えるけれど。後悔することばかり思い出してしまう。 そして時代の空気。
  • 2025年11月22日
  • 2025年6月9日
    母の友 2006年1月号 特集「思い出の生きる、写真を撮ろう」
    「身のまわり、というのはじつは卑近な場所ではなくて、唯一の場所である」という平出隆さんの文章にグッとくる。 本日は診察待ちの時間に読んだ。
  • 2025年6月9日
    母の友 2005年12月号 特集「子育て中に、元気をくれた本・父親編」
    長新太さんの「なんじゃもんじゃ博士」のカラー版!が掲載されていたことがじわじわと嬉しかった。この号のことはあまり覚えていなかった。借りたけど、読めずに返したのだったか。 皆川明さんの記事を読んで、当時、(これからはミナ・ペルホネンの服を着るんだ…!)と感激して読んだことを思い出した。未だ持ってはおらぬ。 特集の「子育て中に読んで元気をくれた本(父親編)」に紹介されていた本を何冊か読みたいリストに入れておいた。
  • 2025年5月9日
    母の友 2005年11月号 特集「追悼 長 新太さん」
    長新太さんが亡くなってもうこんなに年月が経ってるの?と驚いた。 改めて、ナンセンスのナンセンスな大切さを感じるよね。身の回りからナンセンスの居場所が急速に失われている気がする。身の回りだけでの観測だと絶滅危惧種。 ああ、氷少なめのタリーズの練乳入りミルクコーヒーの味が薄まっている。 「なんじゃもんじゃ博士」を買おうと思って、はっ、これもそう思って20年以上放置してるのか。 気がついたら買わないまま長新太さんに「ファンです」って会いに行ってるかもしらん。
  • 1900年1月1日
    ガウディの伝言
    娘に借りて、読み始め。 「ものを作る人間をダメにする確実な方法は、全体を考えさせず、細かい作業をひたすら義務としてやらせることです。」P43 これは、ものを作る人間だけでなく、誰に対しても言える気がする。 「事故というのは往々にして、人間を機械のように働かせているときに起こるものです。」P44 こんなことばかりでは?意図的に機械のように考えて人を使うことがまかり通っている。
  • 1900年1月1日
    母の友 2006年4月号 特集「毎日の生活リズムをどうつくる?」
    NHKの「ドキュメント20min. 母の友 72年の問いかけ」を観たので、その感想もここに。 インタビューを受けていた人たちの母の友への感想を聞けたのが嬉しかった。いつも1人で読み、1人で考えていたから。それぞれの方たちの意見に頷き、また考え、やっぱり、なくしてはいけない雑誌だったと思う。 ほぼ20年前にこんな問題がありますよ、と母の友が提示してくれた問題は、そのまま転がされていたり、もしくは改悪されていたり、大雑把には、時代は良いほうへ向かっていないことを感じる。休刊も同じく。 けれど、既刊誌はいつも、隣で背中に手を添えてくれるように気持ちを温めてくれる。こんなにいい雑誌だから、母でなくてもみんなが読めばいいのに、と思ったりもする。 そして私はまた、図書館へ次の号をリクエストし、黙々と読んで、黙々と考える。
  • 1900年1月1日
    母の友 2006年3月号 特集「おこづかい、いつからはじめる?」
    この号で、年度末なので、連載がいくつか終了になっている。渡辺鉄太さんの「ウォーキング・ウィズ・リンゴ」も終了で、今回は渡辺鉄太さんが山歩きを通してお父様の渡辺茂男さんと鉄太さんと鈴吾郎くんの物語が続いていくという締めくくりだった。茂男さんの入院のくだりは、父を思い出し、少し胸が苦しくなる。
  • 1900年1月1日
    母の友2006年2月 特集“「名簿」を作る? 作らない?”
    2月号は、最後まで読み切らずに返却日が来てしまった。頭痛に悩まされた2週間だった。
  • 1900年1月1日
    中村哲 思索と行動
    主に通院の待ち時間に読むから、読み終わるまでに絶対3ヶ月はかかるだろうな。 6月23日追記 母の友が手元にない時に少しでも読み進める。 中村哲さんの真っ当な命の使い方、足元とその先にあるものへの視線と確かな揺るぎのない歩み。 「復興支援」というのは、日本という国全体に必要なのでは、と思う。いわゆる被災地だけでなく。 6月24日追記 寝る前に10分ほど読み進めたけれど、進んだのは3ページ。 中村医師は、1日をどのように過ごしていたのだろう。このような報告を書くのだって、相当な時間を費やすだろうし、かなりお忙しかっただろう。眠い頭で想像している。 8月16日追記 造花と野草。 自分を見つめたり、自己主張することで人は救われない。 我執を去ることで得るものが数多あり。P114。
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