
めがね丸
@reading11
- 2026年3月22日
バルセロナで豆腐屋になった清水建宇読み終わった読み始めた@ 自宅子どもから借りた。中村哲さんの本はひとまずおいて、こちらから。 読了!人生冒険ですね。好きなことを挑戦できるの素晴らしい。 最後のカミさんのエピソードは、思いがけなくて不意を突かれて、友だちのことも思い出してちょっと辛くなった。 - 2026年3月15日
借りてきた読み終わった@ 自宅父の友 手塚貴晴さんの3回目「自分の色」。 次回は筆者が変わるので、今回で終わりなんだけど、その後のブナちゃんとシイちゃんが自分の色を成長と共にどうしていったかに興味あるな。決まった色のままじゃなかったと想像するのだけど、どんなふうに自分の色を卒業していったか、またはラッキーカラーとしてずっと大切にしているか。楽しいエッセイだった。 父の友+1の、「生まれて十日」 赤ちゃんの時だけは命が見えてるのかもしれないと言われるとほんとにそうだなと振り返って思う。命の塊。 産院でずーっと見ていた。 「子育てフリースタイル」は、読んでいて本当に怖かった。2006年の教育基本法の「改正」。イバン・イリッチさんの「権力を持つものが市民を管理しようとするとき、管理のための手段として最も大きな力を持つのは教育と医療と交通だ」という指摘。「自分の子どもの教育には関心があっても、教育全体に対しての関心は、少なくなっているのではないかとぼくには思えてなりません。」 20年経ち、もっと状況は悪くなっていて、父母は仕事で忙しくなり、子どものことは園や学校や塾に任せざるを得なくて、その内容について深く考える時間もないのでは…。 医療費も国の負担をどんどん削ろうとしているし、不安でしょうがない。ちょっと時間があるときに動画などで政治の解説など見てもそれは解説を作った人や作らせている人に都合よく解釈してあるものを見せられているかもしれないけど、それを確認する時間やそもそも確認する、ということを思いつくこともなく、なるほど、と鵜呑みにしている人もいるだろう。真面目な人ほどそうかもしれない。でも、国会をなるべく長く聴いてほしい、見てほしい。キャスなどでは手を止めて観なくても聴くことはできるから。切り取ったものでなく。委員会などもキャスでは聴くことができるから、自分の暮らし、子供のこと、そういったものを良くしてくれそうなところを選挙で選んでほしい。 「愛国心を求めることと、『できる子』を伸ばすことを主眼とした能力主義の組み合わせは、今、国が考えている教育の方針とぴったり重なります。これではますます学校は荒廃し、障害を持つ子どもに強いしわ寄せが来るだろうと思います。」読むだけで不安が迫り上がってくる。障害を持つ子どもさんについての現状は今どうなのか分からないけれども、良い方へ向かっている想像は難しい。 - 2026年3月1日
読み終わった@ 自宅2007年の記事では認定子ども園は、「少子化や財政の問題など、省庁や市町村の制度面の必要から作られていて、『子どもの視点』が欠けている」 今はどうなんだろう。このテーマは改めて取り上げたいということなので、また読めそう。 「トーリー島の人々」の記事を読んで、行ってみたい!と興味を惹かれた。マップでは経路は出ない。モノクロで撮られた風景にとても惹かれる。書くものを持ってスケッチなり文章なり、見たもの感じたものを記したいと思った。 新・女のせりふ。 公民館が、戦前の反省から"民主主義の学び舎"として誕生した歴史を持つなんて全く知らなかった。今は、公民館でなく、コミュニティセンターという名前に変わってしまっているけど、本質は変わってないのだろうか? 権力を下支えする"草の根のファシズム"。20年前から危惧されているのに、さらに進んでいる…。うう。この息苦しさよ。 KENPŌ TIMES連載題10回 先月号に引き続き天野祐吉さん。 文中に、「後方支援としてイラクみたいなところに日本軍が軍隊としていく」と集団自衛権の拡大解釈について話されているけど、本当に怖い。「卑近な例を出され、矮小化されたものだったりしても、わかりやすい分、そりゃそうだ、やっぱり集団的自衛権は必要だ、となってしまう。そのときに、自分が戦争に行かなくちゃいけないかもしれないってことはこれっぽっちも考えていないんですよ」。 母の友、良い記事載せてくれてるよなあ、今更ながら休刊は残念すぎる。 ということで、読了。今月号は年度末で、巻末に「この一年、この言葉」ということで、記事になった今年度の文章から、そうだ、読んだ、と思いながらまた改めて読む。 心温かになりながら。来月号はもう図書館に届いているようなので、間に別の本を挟まず、どんどん読んでいこう。 - 2026年2月2日
借りてきた読み終わった読んでる@ 自宅大日向雅美先生のお話を読むと、もやもやしていて当然なのよ、と肯定されている気持ちになって、当時もとても慰められた。 育児というのは、頻繁に自分を責めてしまったり、自信がなくなったりするものだから。 2月2日 「小説というものは、現実から遊離した夢物語ではない。想像力は私たちの「現実」のなかから生まれ、その土壌を肥料として肥えていくもの、だから歳を重ねれば重ねるほどに、小説を読むことは面白くなる。これは私の実感である。成熟していくことを、社会全体が阻んでいるように感じられる今の日本。」 「イギリス的人生」の小池昌代さんの書評から。 伊藤雅子さんのエッセイ、「私はかまわないけど」は、自分もよく言ってる気がする。でも、ああそうか、相手に好きにしていいよ、という譲る気持ちで言ったつもりだけれど、逃げ道を作る無責任にも繋がるのか。自分はどういう場面でよく言っているだろう…。自分で考えずに人に考えさせているのだ。 最後に「とするなら、保身のつもりで、我から大事なことを遠ざけたり、自分を蝕ませているのだが。」と締めくくられている。そうやって生きている自分を変えたい。 2月5日。 KENPŌ TIMES連載題9回は天野祐吉さん。天野さんは憲法は、日本という国はこういう国でこういう形をとりますよ、という広告だとおっしゃっている。 世界価値観調査2000から「戦争が起きたら国のために戦うか」という調査の結果で、日本人は群を抜いて低い数字(15.6%)。天野さんは、「これは憲法の広告効果で、憲法のおかげで『我々は戦争をしないんだよ』という考えがここまで浸透しているんだとプラスにとっているんです」と語っている。「情けないという人もいるけれど、それは勘違いも甚だしい、だって、憲法で戦わないと宣伝しているのに、それで戦争になったら戦うってんじゃ虚偽広告ですよ」と。 憲法に対する考え方は人それぞれだけれども、『憲法についてみんなで話そうよ』という広告で、変えよう?守ろう?どっちだろうって考えている人のための広告はできる、というところで次月に続くらしい。この連載も心惹かれる。 「父の友」のコーナーは手塚貴晴さん。クスクス笑いながら読んだ。お料理頑張ってらっしゃる。カボチャをたくさん食べたり、食べなかったりの娘さんは今はもう大きなお嬢さんなのだろうな。そして、手塚さんはきっと良いお父さんなのだろうな。幸せな光景。 2月6日追記 - 2026年1月31日
借りてきた読み終わった@ 自宅本日、「 母親を生きる、自分らしく生きる~『母の友』元編集長に聞く「母」のこれから~ 」という講演会へ。 「母の友」の読者の方がほとんどだと思われて、同志…、と勝手に親近感を覚える。 この号では、加古里子さんが子どもを信頼しているということを感じられて、大人は責任重大だとまた再確認。 そして、「あの日のこと聞かせてください」 戦争体験者の日記と体験談、マスコミの情報の操作されやすさ。 発刊の約20年前より危機感を煽られての今。選挙があるけれど、この先が良くなるということが信じられない…。 でも、今日の講演会は思い切って申し込んで本当によかった。好きなほうへ、自由なほうへ。人間は、やるか、やらないか。やりたいことをするのに、時間はあまり残されていないから。 - 2025年12月29日
中村哲 思索と行動中村哲読んでる@ 待合室母の友が、読み残り数ページになったので、自宅で読むことにして、こちらを久々に。 「私たちは怯えなくてもいいものに怯え、人に与えられた恵みを忘れがちです。」 敢えて怯えさせられているかもしれない私たち。 1月7日。 「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために 働いて支え合い、人のために死ぬ。」 人のために働けているのか?無力。 1月14日 - 2025年12月28日
借りてきた読み終わった読んでるまた読みたい@ 電車「どうしてこんなに片づかないの?」の特集は、小さい人がいるから仕方ないところがあるけどこういう工夫で…、というお話だろうな、と思ったら、全然違った!日本の住まいの昔から現代までの変化を辿って、日本の生活様式は、散らかりやすい、ということがまず詳しく説明されていた。なるほど。あ、到着する、続きはまた。 1月1日追記。 興味を引いたのが、日本の集合住宅の割合は世界的に見ても非常に少ない、というところ。当時岐阜大学教育学部の渡辺光男さんによると、そのせいで、「戸建てを買わされている」とのこと。そして、その集合住宅も質のよくない住みにくいものをどんどん建てて、高い値段で売ってきた。住みにくいから、家族が増えたり、生活が変わると住み続けられない。すると、どうするか。一方で戸建てをたくさん建て、終の棲家はやはり庭付きの一戸建てだと宣伝して買い換えさせる。集合住宅を貧弱にしておくと、設計事務所、建設会社、それに融資する銀行が二度儲かる、というところも。 あれは、あえての住みにくさだったのか?と驚いた。 そして、20年経って、今建つ集合住宅は少しは住みやすくなっているのか?長く住めるように住みやすさを十分に考えたものが増えてほしい。そういうものが当たり前のようになれば、価格も抑えられるのでは…。 いつも思うけれど、道具が人に合わせるのでなく、人が道具(この場合は棲家)合わせていかなくてはならないのが当たり前になっているから、暮らしにくさや生きにくさのズレはだんだん大きくなっていくのではないか…。 もちろん、よくなってきたところもあるというのは分かっているけど、ある程度のところまできたら、ここから先は我慢よろしく、となっているような気がする。 - 2025年12月1日
- 2025年12月1日
借りてきた読み始めた絵本作家のアトリエ番外編の太田大八さんと加古里子さんの対談。 加古さんの「子どもって、周りの大人たちの様子からその時代の空気を無意識に見抜いて、それをどんどん吸収してしまうんです。ぼくは今のお父さんやお母さんに、このことをよく知っておいてもらいたい。子どもにおいしいものをやった、きれいな服も着せてやってる、絵本も大量に買った、さあ文句あるか、そうじゃないんですよ。子どもは大人の生き方を見ています。いくらモノが足りていても、人間の品格というかな、そういうものの大切さを忘れてほしくないと思います。」 品格というものなのかはわからないけれど、モノを揃えてそれで大丈夫、ではないというのはとてもよく分かる。不安で、人が持っているものは与えておきたい、与えておけば、そのことで何かをクリアできたわけではない。 見せられるような生き方をしているか、と問われてしまうと、どうだろうかと我が身を考えるけれど。後悔することばかり思い出してしまう。 そして時代の空気。 - 2025年11月22日
- 2025年6月9日
- 2025年6月9日
- 2025年5月9日
- 1900年1月1日
ガウディの伝言外尾悦郎借りてきた読んでる@ 待合室娘に借りて、読み始め。 「ものを作る人間をダメにする確実な方法は、全体を考えさせず、細かい作業をひたすら義務としてやらせることです。」P43 これは、ものを作る人間だけでなく、誰に対しても言える気がする。 「事故というのは往々にして、人間を機械のように働かせているときに起こるものです。」P44 こんなことばかりでは?意図的に機械のように考えて人を使うことがまかり通っている。 - 1900年1月1日
NHKの「ドキュメント20min. 母の友 72年の問いかけ」を観たので、その感想もここに。 インタビューを受けていた人たちの母の友への感想を聞けたのが嬉しかった。いつも1人で読み、1人で考えていたから。それぞれの方たちの意見に頷き、また考え、やっぱり、なくしてはいけない雑誌だったと思う。 ほぼ20年前にこんな問題がありますよ、と母の友が提示してくれた問題は、そのまま転がされていたり、もしくは改悪されていたり、大雑把には、時代は良いほうへ向かっていないことを感じる。休刊も同じく。 けれど、既刊誌はいつも、隣で背中に手を添えてくれるように気持ちを温めてくれる。こんなにいい雑誌だから、母でなくてもみんなが読めばいいのに、と思ったりもする。 そして私はまた、図書館へ次の号をリクエストし、黙々と読んで、黙々と考える。 - 1900年1月1日
- 1900年1月1日
- 1900年1月1日
中村哲 思索と行動中村哲買った読んでる感想まだ読んでる@ 待合室主に通院の待ち時間に読むから、読み終わるまでに絶対3ヶ月はかかるだろうな。 6月23日追記 母の友が手元にない時に少しでも読み進める。 中村哲さんの真っ当な命の使い方、足元とその先にあるものへの視線と確かな揺るぎのない歩み。 「復興支援」というのは、日本という国全体に必要なのでは、と思う。いわゆる被災地だけでなく。 6月24日追記 寝る前に10分ほど読み進めたけれど、進んだのは3ページ。 中村医師は、1日をどのように過ごしていたのだろう。このような報告を書くのだって、相当な時間を費やすだろうし、かなりお忙しかっただろう。眠い頭で想像している。 8月16日追記 造花と野草。 自分を見つめたり、自己主張することで人は救われない。 我執を去ることで得るものが数多あり。P114。
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