トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫)

7件の記録
- ヨル@yoru_no_hon2025年6月12日読み終わった読了@ 自宅「人間は、それぞれべつべつな『時』をもっているって。もちろん、ほんとうはだれの『時』もみんなおなじ大きな『時』のなかの小さな部分だけど」(p.262) おじさんのアパートに預けられることになったトムは、真夜中にあるはずもない庭園に迷い込む。花が咲き乱れている花壇、木登りができるイチイの木、温室のキラキラ光るガラス、ひろい芝生や菜園...そして、そこで出会う少女ハティ。季節が移ろい、さまざまな顔を見せてくれる庭園に、読んでいるわたしも魅力されていく。やがてトムは、時間を遡っていることに気づき、《時》を永遠にとりかえようとするのだけど...。 《時》について問う場面は哲学的。大人になることの切なさ、悲しさも感じるけど、抗えないものの中で何を大切にするのか...。訳者の「私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ。」という言葉、今ばかり過ごしてると忘れてしまいそうになるけど、同じ気持ちで向き合うことの大切さ、たのしさをいつまでも持ち続けていたいと思った。 きっと庭園も大時計も、ハティたちと過ごした日々が特別な時間だったのだろうな。 またひとつ宝物になる本に出会えた。 . 6月はだいすきなハーブたちが勢いよく咲いてくれる季節。わたしと旦那と妹の誕生月でもある。マロウはもう盛大に咲いていて、タイムもミントもレモンバームも青々と茂っている、ラベンダーはもう少し。今回は挿し木がうまくいったのでもう少し増やせるといいな。毎年うせてしまうローズマリーは鉢植えで今年の冬はリビングに置くつもり。他にも、セージ、レモングラス、バタフライピーもそうするつもり。ハーブコーディネーターの資格、あんまり生かせてなかったから、今年は存分に発揮していきたい。ハーブケーキもつくる予定✌︎
- ヨル@yoru_no_hon2025年6月10日@ 山形県『トムの目のまえにあらわれる庭園は、一日のうちのいろいろな時間、ちがった季節をあらわしていた。庭園がいちばんすきな季節は夏で、それも晴れわたった天候のときだった。初夏には、芝生のところにある三日月型の花壇にまだヒヤシンスが咲き残っていた。まるい花壇では、ニオイアラセイトウが咲いていた。やがてヒヤシンスが頭をたれて枯れ、ニオイアラセイトウもひきぬかれてしまうと、こんどはアラセイトウやエゾギクが、それにかわって花をひらいた。温室の近くに、刈りこんであるツゲの茂みがあったが、その横腹はまるで大きな口のようにへこんでいた。そのへこんだところには、咲きほこっているゼラニウムの鉢をぎっしりとつめてあった。日時計の小径のあたりには、まっかなケシの花やバラが咲いていた。夏の日がくれると、ツキミ草があちこちで小さな月のようにかがやいた。晩夏には、煉瓦塀の上で熟しかけている西洋ナシが、傷つけられないようにモスリンの袋につつんであった。』 夏は植物が咲き乱れる季節。息子を見送ってからすぐ庭仕事をするのが日課になっている。アジサイ、クレマチス、その他色とりどりの花たちに囲まれて、黙々と作業する時間はわたしにとっては癒しの時間でもあり、私服の時間。 この本を読んでいると《真夜中の庭》も見てみたくなる。